死んだあとに残るもの
親しい人を亡くす経験は、まだ1度しかない。
小学2年か3年のとき、曾祖母が亡くなった。癌だったけど、最後までお家で過ごすことを選んだらしい。年に1度会いに行くだけだったけど、曾祖母は最後に会った時も変わらず明るくて床に臥せている様子もなく、私は病気だということすら知らなかった。亡くなったと聞いても、全然実感が湧かなかった。泣かなかったと思う。お通夜に行ったけど、曾祖母の名前が「ハルミ」だということを初めて知ったことしか記憶にない。そういえば私、ずっとひいおばあちゃんって呼んでたし、名前があることに気付かなかった。死、もう会えない…そんなことはふわっと感じていただけで理解はしてなくて。帰りの車、運転席の後ろで「夢でまたひいおばあちゃんに会えますように」と祈ったけど、工場から出る煙がなんとなく人の形に見えたことが怖くなって「やっぱり大丈夫です」と祈りなおした記憶がある。薄情な曾孫だ。
あれから少しずつ成長して、深く関りを持つ人が増えた。大好きだと思える人も増えた。恋人が出来た。一人暮らしをして、家族の事ももっと大切に思うようになった。それと同時に、その人達を亡くすということがすごく怖くもなった。死を受け入れる自信がない。その人達が居なくなるという現実に、向き合える自信がない。
同時に、自分が死んだら?と思うことが増えた。大好きな人たちと同じ世界で生きられないのは寂しいと思う。自分が死んだあとにも変わらない日常が訪れることを悲しく思うかもしれないし、前に進めているみんなを嬉しく思うかもしれない。やり残したこと、将来やりたかったことに思いをはせては悲しくて泣いているかもしれないし、それも乗り越えて笑ってるかもしれない。
日々生きて、色んな人と会話をして、本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて、踊って、車を運転して、いろんな景色を見て、道端の花に気付いて足を止めて…日々の何でもないことから一大決心の大きな挑戦まで含めて、私は私の人生を生きてきて、頭の中でいろんな考えを持つようになった、心は色んな感情を知った。
私から見た世界はどんどん色づいていく。
でも死んでしまったら、もうそれは誰にも理解されず、察せられず、共有もできないまま、知られないまま葬られていく。それは永遠に私のものになる。
こう書くと「それでいいじゃん」と思う人も居そうだが、私はやはり伝えたい!自分だけのものにしたくない!という気持ちが強いようだ。自分自身に価値があるかと聞かれると即答はできないが、私は私の感性が好きだし、考え方や見てきたものが好きなんだと思う。そしてそれを伝えることで、また他の人が何かに出会うきっかけになるかもしれない、今まで目を向けてこなかった足元の花の美しさに気付くきっかけになるかもしれない、そう思っている節がある。実際私がそういう影響をたくさんもらってきたから。
ともあれ、周りの人にも自分にもいずれ必ず訪れる(私からすればどう向き合っていいかわからず恐ろしく感じてしまう)「死」というものに対して、優しい気持ちをくれたのがこの本だった。
彩瀬まる著「やがて海へと届く」
一人旅中に東日本大震災に巻き込まれ行方不明になった親友すみれ。それから3年経っても、真奈はすみれの「死」を受け入れることができない。それに対して、すみれの死を受け入れ進んでいこうとする遺族や彼氏に対して憤りを覚え…
残す者・残される者の両方の観点から描いた作品。読んだ後はしばらく涙が止まらなかった。
残された方は 形見を捨てられず、忘れることが怖くて、その手を離すのが怖くてしがみついて、会いたくて。でもすみれがくれた「言葉」や「思い出」が自分の中で生きていると気付いた時、ここにいたのね、って。
死んでいく者も、その死の過程の中で、人生で起きた色々なことや出会った人などの記憶を手放していく。大事な人たちの名前がどんどん思い出せなくなる。それでも、最後まで手元に残るのはその人たちがくれた「気持ち」なのかもしれない。
そして、両者はいつか同じ所へたどり着く。
作中ですみれの彼氏が言っていた、「死んだ人はずっとその場で留まっているわけではなく、歩いているイメージ。…俺たちがずっと同じところにいたら、多分、置いて行かれる。」という台詞にはハッとさせられた。
熊本の地震が起きたとき、色んな感情になったけど、崩壊した建物を見て、たくさん働いて家を建ててもこうやって壊れてしまうんだ、と思った。ここにもそれぞれの家族の思い出やエピソードが詰まっていて、誰かの帰る場所だったはずなのに。壊れてしまうんだって。当たり前のことだけど、形あるものは壊れるんだって、改めて感じたことを覚えている。仮に私が将来働いて子供に家を買ったとしても、形があるものは壊れてしまう。それなら私が大事な人たちに残せるものはなんだろう?と思った。その時も思った、「気持ちかもしれない」と。
私と過ごして楽しいと思ってくれた気持ち、あったかいと感じてくれた気持ち、嫌いだという気持ち、悔しい気持ち、悲しい気持ち……結局のところ、残す人たちへ送れるのはこういう「感情」であり、それがその人達の人生を彩る糧になっていくのだろう。実際に私とこういうことがあって…という詳細の部分を忘れてしまったって、私の名前を思い出せなくなってしまったって、その感情や言葉が肥やしとなって前に進んでいることに変わりはない。その人の一部になれていることに変わりはない。
そんな風にぼんやりと考えていたことを、肯定してもらった気がする。
きっと実際に身近な死を経験したら変わるのかもしれないけど。それでも私は、もし私が死んだら大事だった人たちにこの本を読んでほしい。そして、私と過ごした時間よりも、芽生えた気持ちや言葉を糧にしてほしい。そのためにも、私は私の感性でもって、人と関わっていこうと思った。
あ、なんか遺書っぽくなったけど全然死ぬ気はないのでそこはご心配なくです!(笑)
とにかく、おすすめの一冊。