ふ
自分に関わる事をまとめています。
シリーズ物、創作を上げています
体験、スピリチュアル系。整理用。文章変な時あり。
漫画やアニメなどのフィクションとリアルを比べて落胆する事は多々あると思う。 よくあることで少し落胆したことがあった。 加えてそれは対人関係を良好に保つためにわりかし必要なことであるから、より落ち込み度は深い。 前から薄々気づいていて、よりそれが顕著になってきて、あぁやっぱり厳しいのか、と思った。 きっと自分にももっとできる事はあると思うから、努力は惜しまないつもりだけど、今は別のことに集中したい時だから、今までよりはそこに割く時間も興味もだいぶ落ち着くだろう。 誰
お金が普通に働くよりも多く貰えるのもうれしかったけど、それ以上に”次”をお願いされたことがとても嬉しいと感じた。 なんとなく感じた程度ではあるが。 自分の好きなことで、給料という評価を貰えることの尊さを改めて感じた。 同時に、もっと自分の好きな分野を極めて行きたいと思った。 自分のために、そしてそれが巡りめぐって誰かのためになるように。 なんとなくでも手をつけてみたもん勝ちだと思う。 あとは、今はとても面倒に感じても、先の事や相手の事を考えたら時間など様々な点に関
今までは目標とか関係なく歌が好きだったけど、今は目標がなきゃ音楽を聴いたり鼻歌を歌うことすらしなくなってきたナ
これまで不快感や恐怖感を感じることが多かったからか、過去のネガティブな出来事や、自分に危害を加えた人間をいかに痛い目に遭わせるか、不幸な死を願う、などよろしくない思考回路になってしまう事が多々ある。 数年前からかなり距離があるし、日常的に顔を見る必要もなくなったのに関わらず未だ縛られ続けているのは、それだけ悪い意味で印象的なことが継続的に続いていたからだろうと思った。 早く忘れることが1番良いことは分かっているし、自分自身が幸せになることが1番の復讐になるということも、
以前とても好きだった人がはっきりと夢に出てきた。 きている服も雰囲気も完全にその人で、相変わらず優しかった。 優しく私を包み込んでくれる。その行為にとても安堵した。夢ではあるが感覚と頭ははっきりしていた。 唯一、匂いがわからなかった。それは少し寂しかった。 一緒にご飯を食べたり公園に行ったりした。あまりにも穏やかだった。やっぱり現実じゃないな、と思った。 もうとっくに立ち直れていると思っていたけど、あれだけ長い期間だったからチラつくのは当然だよな、と思ったし、いまだ
やはり刺激はカロリーを消費する上で重要だと改めて感じた。 普段から会話はしているが、いつもとは違う場所で初めて会う人達と会話することとは訳が違う。 やることは日頃からやっている、傾聴とそれに対する返答だが、相手が違えば感じ方や配慮の仕方などが変化してくる。 ずっとはさすがに疲れるが、定期的には取り入れていきたいと思った。 一つもこぼさないという気持ちで耳を立て、言葉を紡ぐ。そこには必ず緊張がある。 ずっと穏やかであるよりも、時には緊張を感じることでメリハリになる。ひ
自分には様々な事が課せられていることに気がついた日。 今、そばに居てくれている高次の方々とはまた別の、古からの縁と改めて繋がったり、新しい神様と繋がったり……。 私の魂自体が、様々な星で数千年、数万年単位で滞在していたらしいので、繋がりが多いのはなんとなく納得のできる話ではある。 幼い頃は、がっつり霊的な話ばかりだったが、今は宇宙へと次元も話も移行している。 こういう界隈?に足を踏み入れた時は予想もしなかった位には、話はとてつもなく遠く、広い場所にまで進んでいる。 正直
自分についての理解をしっかり深めることで今後の生き方や生活が苦じゃなくなる、ということは重々承知である。 しかし、自分と向き合うことが面倒で面倒で仕方がない。 問題を先送りにしてしまう、興味のないことにはとことん興味がないという性格たちが相まって、初めはなんだか面白そう、と自己理解に手をつけるも、すぐに飽きてしまい途中で投げ出した。 この先の自分のためになる、それは理解しているが、自分自身が惹かれない事を理由にずっとひきのばしてしまっている。 目標としている、安定し
今日初めてザクロを食べた。 ザクロにも色々な種類があると聞くが、今日食べたのは皮が紺っぽい色のもの。中はピンク色の小さなつぶが無数にあるが、皮のすぐ内側が肌色のような色をしている事もあってあまりグロさは感じなかった。 甘さは個体差あるものの、味は癖がなくてさっぱりとしている、と個人的に感じた。そこまで甘くない個体を食べたとき、なんだか野菜のようだなと思った。食感も、とても面白かった。粒も若干ざらついているだけで、そこまで歯ごたえは感じなかった。 ザクロを食べているとき
再確認の必要性は日頃から感じる。 自分の場合は運転をする時で、自分の運転を省みるという名の再確認を行う癖を付けている。 安全運転に気を付けていても、事故にはならずに済んだが、考えたら危なかったよな、のようないわゆるヒヤリハットがときたま発生する。 その度に、今のこれはもっと待つべきだった、反対に確認がしっかり取れていて通過する車との距離は大分あるからいってもよかったなど、ほんの些細な事でも、自分がヒヤリ、もしくはハッとしたものは文字に書き起こしたり口に出したりしている
最近はかなり生活リズムも安定していたから油断していた。 これまで不定期ではあるが、頭がずきずきと痛むことが半日~一日続く事があった。しかし、当時はそれがデフォルトだったためあまり気にしていなかった。 その痛み達も、一年くらい前から殆どなくなり、症状自体忘れかけていた頃。 理由はわからないが、日中は痛みが酷く、一時間ほど仮眠をとった。 睡眠もしっかりとったし、朝ご飯も食べてきたはずなのに、とてもしんどかったのだ。 頻発していた頃、一度病院にかかったこともあるが、当時の
「Gravity」という曲を知っているだろうか。 LUNA SEAの曲であり、2000年3月にシングルが発売されたらしい(wiki参照)。 最近、元々好きだったT.M.Rから派生して、同じ時代の今まで聞いたことがなかったバンドを色々聞いていた。その中で何曲がいいなと思ったものが悉くLUNA SEAの曲だったため、徐々に聞くようになっていた。 ランダムで流していた時に流れてきて、とても心がしんどくて最高だなと感じたのが、上に挙げた「Gravity」という曲である。 ま
きっかけは単純なもので、交わることは必然で。 それでも、ずっとそこにとどまる事よりも、分かれ道が来る事の方がきっと多い。 寄せては返す波も、その都度強さや形が変わるように、共通点を持ち行動を共にする人達も、会う度に変化し、やがて別の方向へ進んでいく。 自分と相手が会うのは、一つの点で、その繰り返しを生まれてから死ぬまで繰り返し、徐々に線へと変化させてゆく。 点が線となったとき、自分は成熟した、と言えるのだろうか。 もしくは、点が一つの線になることはないのだろうか。
人と関わったり、目的のある外出をしていると、とてもポジティブな自分が顔を出すので心身共に幸を感じられる。 しかし、そうでないと一気に落ちて、一生スマホと睨めっこし続けてしまう。 今の自分は後者で、今日も自分から外出することができなかった。 これまでは、継続的に人と関わっていたので特に問題はなかったが、今は極端に関わる機会が減ったので、より顕著に落ち込みがちである。 考えられる理由としては、 ①外に出るまでの支度が面倒 ②目的のない外出に抵抗がある ③誰も見ていなくと
やりたい事とかやらなきゃいけない事があるのはわかっているのに、スマホを触る手が止まらない。常に触っていないと落ち着かない自分は依存症に片足を突っ込んでいる気がする。 新しいゲームを始めてしまったことも原因なのだろう。 時間があることを良いことに、夜遅くまで、眠いのにかかわらずずっと動画を見続けている自分、さすがにきもすぎるなと思う。 加えて出不精であるため、家の中でずっとだらだらしてしまうことが殆どというクソみたいな生活を送っている。 外にでたいという気持ちはあるが、面
電話で対応するときめちゃ食い気味に答えちゃうの嫌すぎる。落ち着いてって思っても、実際電話するとき一呼吸置く意識が彼方に飛んでくよね。泣いた。