論文のオーサーシップを巡って(3/13~3/15)

私が論文草稿を送った後、荒川氏からオーサーシップに関する意見がメールで寄せられた。

これに対する私の返事のメールは以下の通りである。荒川氏を筆頭著者とする論文について、共著から外れてもいいという旨を伝える一方、私が筆頭著者の論文については私自身の貢献も大きいこと、また松本氏の貢献もあることを主張している。

それに対する荒川氏の返信は以下のとおりである。これで荒川氏を筆頭著者とする論文は荒川氏が単著となることが確定した。

その後、私が書いた私を筆頭著者とする論文の扱いが議論された。この時点の原稿は荒川氏が作成したデータを利用しているため、荒川氏のデータが何らかの形で公開されないと、それを引用した論文として出版できないことになる。その点についての議論が交わされた。

荒川氏が自らの論文をプレプリントサーバーで公開する予定がないことを受け、荒川氏のデータを使用する形では私が筆頭著者の論文の出版が大きく遅れることになるので、荒川氏が求めたプロト(祖先型)配列ではなく、一般に知られている代表的な配列を使って論文化する意思を私から荒川氏に伝えた。

それに対して、荒川氏は自らのアイデアやデータを使わないのであれば問題ない(止める権利はない)こと、また私が筆頭論文の共著からも外れて、それぞれが独立に論文を書く方針を示した。私が最終的に公開した論文に荒川氏のアイデアやデータが含まれていないことは、既に述べた通りである。

今回のまとめ

  • 荒川氏が論文のオーサーシップの問題を提起し、荒川氏が執筆した論文について掛谷が共著を辞退することを提案し、荒川氏の単著となった。

  • 荒川氏は自らの論文が公開されるまで荒川氏の求めたプロト配列を使った論文を書くことは控えるよう掛谷に求め、またプレプリントの先行公開も拒否した。そこで、掛谷は荒川氏のプロト配列とは異なる武漢株とオミクロン株の標準配列を使って論文を書くと伝え、荒川氏はそれを認めた。

次回は掛谷・松本論文のプレプリント公開までの最後の一連の出来事について述べる。