学会参加報告

前回、ウイルス学の闇について連載を始めると宣言したが、その前に今回は先週の学会参加報告をさせていただくことにする。これは、ウイルス学の闇ならぬ生命科学の闇に関するもので、連載の前に紹介しておく価値はあると思われる。

私が参加したのは第23回情報科学技術フォーラム(FIT2024)

で開催された情報処理学会バイオ情報研究会である。

上のプログラムにもある通り、私の発表題目は "Anomalous US-wide prevalence of reversion mutants in the emergence of Omicron BA.1"で、内容的には既に発表したプレプリント論文とほぼ一致する。

この論文には解説動画もあるのでご参照されたい。

私の発表の最後のスライドは次のようなものであった。

質疑応答の時間、「確かにオミクロンBA.1復帰変異の瞬時全米拡散が自然には起きえないというのはよく分かるが、だからといって人的介入があったとは言えないのではないか」というコメントがある先生から寄せられた。上の英語を見れば分かる通り、私はスライドで「人的介入を想定しないと、現代の生物学では説明できない」と言っているのであって、人的介入があったと断言しているわけではない。

私は上のコメントに対して次のように答えた。「確かに科学で言えるのは自然には起きえないというところまで。でも、自然に起きえないなら、何らかの人的介入が行われた可能性についてフォレンジックな調査が行われるべきではないか」と。

当日の全ての日程が終了した後、この先生のもとに行って、少し意見交換をさせていただいた。その先生は、私の分析そのものには反論はなく、武漢株も自然のものとは思えないことも認めたが、人的介入の可能性は議論したくないとの見解だった。「これは水俣病と同じで、政治問題化している。だから、あくまで中立でいたい」と。

私自身も、新型コロナ起源問題をしばしば水俣病に喩える。だが、逆に私は水俣病を連想するからこそ、この問題で立ち上がったのである。水俣病の真の原因をもっと早く突き止めていれば、多くの命は救われたはずである。それを邪魔したのが、工業廃水原因説を頑なに否定した清浦雷作ほか当時の科学者たちである。それと同じ間違いを繰り返してはならないという思いは、その先生の心には全く芽生えなかったようだ。真実を語っても、水俣病の宇井純のように貧乏くじをひくだけだと分かっているからだろうか。

オミクロン株が人工起源なら、私をはじめとする一部の科学者が武漢株人工起源の科学的根拠を提示したときに、それを世界の科学者たちが真剣に受け止め、世界中の人工ウイルス合成の活動に対して監視を強化していたら、オミクロン株の被害は防ぐことができたことになる。それで多くの人命は救われたはずである。今、私が人工起源説を執拗に論じるのも、次の人工パンデミックを起こさせないためである。人工パンデミックが再発すれば、また世界中で多くの人命が失われる。

最近、ある先生が「多くの人は自分の仕事があるから」という理由で、世界の科学者が傍観することは責められるべきではないとの見解を私に示された。ただ、私自身も自らの仕事があり、新型コロナ起源問題の追究のために、その仕事は一切放棄していない。自分の専門分野でも、他の大学教員たちと同等かそれ以上の仕事はしているつもりである。私は、自分のプライベートな時間を全て犠牲にして、新型コロナ起源問題の追究をしてきた。自分は忙しくても、道端で倒れている人を見れば、それを救う。犯罪が行われていれば、警察に通報する。多忙を理由にその手間をとらないのは、人道に反する行為である。

少なくとも生命科学者なら、新型コロナは人工物である可能性が高いことは誰でも気づくことができた。だから、学会でも私の発表に対して、オミクロン株は天然には生じえないだろうという分析結果に反論できないのである。にもかかわらず、生命科学者たちはその問題を直視せずに逃げる。その態度は、道端に倒れている人を放置し、犯罪に気づいてもそれを見過ごす人のそれと同じである。

生命科学研究が世界で何百万人、何千万人もの命を奪った可能性が非常に高いという事実を知りながら、「中立」を気取って安全な場所に逃げこもうとするのが日本の生命科学者たちである。残念ながら、例外は宮沢孝幸先生ほか、ごく数えるほどしかない。