論文 "The Natural Evolution of RNA Viruses Provides Important Clues about the Origin of SARS-CoV-2 Variants" を読む
荒川央博士の新型コロナウイルス変異株を解析した新たな論文がパブリッシュされた。今回は、この論文について簡単にレビューする。
この論文では非同義変異(アミノ酸を変える変異)と同義変異(アミノ酸を変えない変異)の比率に着目し、新型コロナ変異株に非同義変異が異常に多い点を評価している。オミクロン株には非同義変異が異常に多いことは、その出現直後から多くの人が注目しており、それを根拠に研究所起源の可能性が高いという人もいた。
その点を数理的に評価して、オミクロン株の変異の偏りが天然に起きる確率が非常に低いことを示したのが、私と東工大の松本義久教授との共著論文である。
荒川氏の論文も確率計算をしているが、その方法は上の論文と全く同じで、二項分布に基づいている。異なる点は、個々の変異箇所に非同義変異・同義変異が起きる確率の比をどのように算出しているかである。上述の掛谷・松本論文は変異の平衡の概念を使ってそれを求めている。その後に、変異スペクトルをもとにその確率を算出した論文(プレプリント)も発表している。
今回出版された荒川論文は、その基礎となる確率に、平均的なRNAウイルスの観測値を用いている点に新規性がある。また、前述の2つの論文はスパイクタンパクについてのみ評価しているが、荒川論文は他のタンパクについても評価を行い、各変異株の各タンパクに対して確率を算出している。
二項分布を使った評価は私の論文の真似とも言えるが、この手法自体はごく一般的なものなので、それを以って「アイデアを盗んだ」と私は言わない。一方、私の論文について、荒川氏は非同義変異と同義変異の比に着目した点、コンセンサス配列を比較した点がアイデアの盗用だと主張したが、これらもごく一般的な考え方で、オリジナリティを主張できるようなものではない。
荒川氏は、自らが主張するmRNAワクチンの残留DNAの危険性やレプリコンワクチンの個体間伝播を否定したことに腹を立てて、私を貶めようとしたようだが、私はそういうことはしない。荒川氏の人格と仕事は全く独立である。私はこの論文に評価すべき点はあると考えている。
この論文の最大の成果は、Conclusionの最後に「この偏りは機能獲得研究の産物である(they are the byproduct of gain-of-function research)ことを示唆する」という一文の残せたことである。荒川氏は論文の執筆には非常に長けていると思う。論文英語の表現は洗練されている。論理展開も非常に上手で、途中は慎重な言い回しを多用した上で、最後にこの一文をもってきたのは優れた戦略である。
逆に、この論文の弱点と感じるのは、基礎となる確率にRNAウイルスの平均値をもってきたことである。私が査読者だったら、この部分は見直すようにコメントを返しただろう。このような観測ベースの値を使うのであれば、SARS-CoV-2の各変異株のコンセンサス配列とそのバリエーションの間での非同義変異と同義変異の比を、各タンパク質部位で計算して用いるべきである。同じRNAウイルスでも、ウイルスの種類によって、さらにタンパク質によって非同義変異と同義変異の比は異なる。ウイルスやタンパク質の違いによって、選択圧に差があることが理由である。実際、SARS-CoVとSARS-CoV-2でその比較をした論文(プレプリント)もあるが、実際に大きな差が見られている。
上の方法で求めた数値で確率計算をしたならば、荒川論文のように10のマイナス26乗といったような極端な数字は出てこないと予想される。今後、時間に余裕ができれば、実際に計算してみたいと思う。