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『 ベネデッタ 』ポール・バーホーベン インタビュー① NNFF59 Benedetta Interview | Paul Verhoeven

昨年末にBenedettaを見まして、バーホーベンの変わらぬ切れ味に感動しました。最近はこの作品についてもっと知りたいと思い、色々と情報を漁っている所です。最終的には論考/批評をきちんと書きたいと思っているのですが、その過程で作成したものなどを、頑張らない程度に共有していきたいと思います

『ベネデッタ』映画紹介

まず、本作がどういう映画か簡単に紹介します。

17世紀の修道院で起きたスキャンダルに対する裁判記録を元にしたJ.C.ブラウンの著作『Immodest acts』を原作としたフランス映画です。元になった裁判は修道院長のベネデッタに対するもので、それはある女性に起きた幻視や聖痕が本物なのか?という宗教裁判であり、そこでは別の修道女バルトロメアとの性行為における嫌疑についても争われています。

原作本ではベネデッタの評伝のような形式で叙述されており、巻末の方に付録として裁判記録が付いているという構成になっています。とても読みやすく興味深い本ですので、おすすめします。邦訳版の『ルネサンス修道女物語』も出ていますが残念ながら絶版、今は高値になっているのですが、いくつかの図書館で借りる事が出来ます。因みに『Immodest acts』は1986年の刊行当時も反響が大きかったようで、1987年のピューリッツァー賞(歴史部門)にもノミネートされています。

映画では、その原作を元にどのように物語化し、どのように描いているのかというのも見心の1つかと思います。私は1シーン目で既に圧倒されてしまいました。詳細はここでは記載しませんが、ベネデッタがどういう人物なのか、アクションの中で見事に描かれた素晴らしいシーンです。

当初2019年のカンヌで発表予定が、バーホーベンの病気やコロナもあり2021年のカンヌで発表となりました。余談ですが、このカンヌでの記者会見でのバーホーベンの受け答えも最高です。

フランス以外でも、アメリカ、イギリス、スペイン、ベルギー、チェコ、アイルランド、韓国、香港などで上映が決定しているようです。シンガポールでは修道女の同性愛シーン等を理由に配給が禁止されている状態です。

日本公開はまだ決まってないようですが、Youtubeなどの配信サービスで英語字幕版をレンタル/購入できます。英語字幕版のDVDもそのうち発売されるでしょう。字幕なしのフランス語版DVDは既に発売されています。

本題へ

今回はニューヨークフィルムフェスティバルでのインタビューを訳したものです。これはYoutubeに動画がアップされています。

40分のインタビューですので、何回かに分けてアップする予定です。英語を中心に回っている世界の中で、少しでも「もっとこの作品/監督を知りたい」という人の助けになればと思い、アップさせて頂きます。

日本語に訳し、日本のファンのためにインターネットで公表する事については動画投稿者の許可を得ています。

※インタビューには一部作中のネタバレも含みます。

ーインタビュー本文ー

デニス ニューヨーク映画祭のプログラム・ディレクターのデニス・リムです。今回は、「ベネデッタ」の監督、偉大なるポール・バーホーベン氏に直接ではなく、リモートで参加していただきました。
ポールさん、ありがとうございます。

ポール どういたしまして。

宗教への興味はいつから?

デニス 観客の皆さんも、この映画を上映会でご覧になったばかりだと思います。
まずは、映画についてではなく、宗教について少しお話を伺いたいと思います。以前にもお話しましたが、あなたは宗教的な(学術的)背景を持っているわけではありませんが、宗教に対して真剣に取り組んでいます。
あなたはイエスの生涯について研究し、イエスの本も書いています。
宗教への興味はいつ頃から始まったのでしょうか?

※バーホーベンは史的イエス(ナザレのイエス)について長年研究していて、Westar InstituteのJesus Seminar(主に神学者からなるゼミグループ)に参加しています。著作というのは、『Jesus of Nazareth』の事です。日本のAmazonでもKindle版は無いんですが、本を買えます。

ポール そうですね、20代の頃、あることがきっかけでした。
当時ある種の危機に瀕していて、私が少し精神的に参っているのを見て路上で話しかけてきた女性がいて、彼女はイエスがあなたを助けてくれると言ったのです。それで、ペンテコステ派の教会に2週間ほど通いましたが、それが事実でない事がわかりました。

それを知るには少し時間がかかりました。牧師が「イエスよ、あなたが私たちと共にいてくださることに感謝します。」と言うとき、イエスがそこにいると感じましたが、私が感じたイエス的な何かはオルガン音楽に誘発されたもので、それは私の脳の一部であり、基本的にイエスはそこにいないのだと徐々に気付きました。
だって、実際あり得ませんよね、もちろんこれは私の意見です。
多くの人が、イエスが戻ってきた(生き返った)と感じているのですから。
しかし、私はそれは本当に不可能だと思っています。

なので、私は信者だった時期もありますが、本当に短く2週間程度でした。
その後、イエスについて何も知らないことに気づき始め、恐らくペンテコステ教会で起こったことがきっかけで、イエスという人物に興味を持ち始め、さらに本を読むようになりました。今は、イエスについての本が1000冊ほどあります。私の後ろに見えるやつじゃなくて、2階にあります。

もちろん、イエスの姿や教えは、ヨーロッパやアメリカ..と言っておきましょう、これらの文化にとってとても重要で、何千年も、実際には2000年前から今に至るまで、私たちに影響を与えています。
このことは興味深く、理解することは重要だと思いました。 私は、イエスが本当は何をしたのか、何を言ったのかを知りたいと思うようになったんです。ですから、イエスに関する私の調査は、すべて史的イエスに関するものです。

今でも、イエスについて何かあると、新しい教義が出たとか、パピルスが見つかって、それは新しい福音書だとか、そうでないとか、捏造だとか、そういうことがあると、本を買って、全部追っかけています。

その、なので、歴史上の人物としてのイエスには大きな敬意を抱いています。

デニス 一時的に信者であったが、その後信じられなくなったということですが、そのきっかけとなった瞬間はありましたか?

ポール 私のガールフレンドが妊娠したことがきっかけです。
そのとき、私は良くわかってしませんでしたが、職に就くことや、何かしらを強いられる事だったのです。当時、私は20代でしたから、本当にそうでした。それは、言ってみれば危機だったんです。当時、私は20代でしたから、本当にそうでした。そしてそれは3週間ほどで解決しました。ある時、私の友人の一人で、父親が医者である研究者のところに行ったんです。
その時、彼は「子供が欲しいか」と言い。私もマルティーナも「無理だ、今は無理だ、」と言いました。それから病院に来たんだけど、当時は禁止されてたんだ。[※←この辺り余り聞き取れず自身無し。わかる人教えて下さい。因みに、1967年29歳でバーホーベンとマルティナさんは結婚し、72年と74年にそれぞれ娘を授かってます。] オランダでは人工中絶は禁止されていました、10年後に開放されましたが。今は合法になって、すでに30~40年ですね。[※オランダは1984年に合法化]
この事が私をペンテコステ派教会へ行くきっかけになり、そして、私のイエスに対する興味は、私の頭脳によって、明らかに......イエスに対する歴史的な興味とでも言うべきものに変容したのです。

原作本について

デニス ベネデッタの原作になった、ジュディス・ブラウンの『Immodest acts』という本について聞かせて頂けますか?

ポール それは本当に偶然の出会いでした。2000年,,確か2004-5年頃に、オランダ人脚本家と話していたんです。彼は私のそれまでのオランダ映画や後に2006年のブラックブックの脚本を書いてくれた人です。[Gerard Soetemanの事]
彼は私に、インモラルなセックスについてのこの本を読んだことがあるかい、と聞き。私は、ない、その本を知らなかったと言いました。そして彼はそれを私に渡し、これは映画になりそうだと言ったんです。私たちはすでに5、6本の映画とテレビシリーズを一緒に制作していたので、私は彼の言うことを真剣に受けとめました。そして彼が、主にそこから得たものを脚本にし、私はその脚本も読んで、これは映画化できるかもしれない、やってみようと思いました。そして、2015年くらいにElleをプロデュースしたフランスのプロデューサー、サイード・ベン・サイードに連絡しました。そして彼に本を送り、みんなで、映画にしようということになったんです。

もしあなたがこの本を読めば、それがとても特別で、奇妙だという事が分かると思います。

この本には、ベネデッタとバルトロメアという二人の女性が、1620年から23年にかけて行われた裁判の際に述べたことが書かれているのです。
つまり、3年間に渡る、2人の女性が性的関係を持ったとして訴えられた何度かの裁判についてです。そして、これはとてもユニークなことだと思うのです。その時代から出てきた、その時代の信仰の中で、レズビアンの関係についての裁判のメモは他にどこにもありません。二人の修道女が裁判中に何を言ったか分かるようなものは、基本的にこの例だけなんです。

そしてそれは唯一のケースであると共に、これを見つけられた自体が奇跡とさえ言えるのです。なぜなら、全くの偶然だったからです。ジュディス・ブラウンが80年代に歴史的プロジェクトに取り組んでいた時 、彼女はスタンフォード大学の歴史学の教授です。 彼女は非常に特別なもの見つけました、それはフィレンツェの州立図書館のアーカイブにありました。彼女が別のプロジェクトに取り組んでいたとき偶然に見たのです。 そこには風変わりで魅力的な名前の箱がありました。彼女はそれを取り出して見始めると、それは1620,22,23,24 年に男性の書記官によって書かれた裁判記録でした。それで、それがとても凄かったんです。だって、中世の文書で、バルトロメアという女性が裁判中に「私は彼女の性器に20回キスをしました」と言ったことを記したようなものが一体どこにあるんだ!? って、思いますよね。キスって、勿論、舐めるってことですよ。このようなことが発見されたのは非常にユニークで、それを(映画として世に)示すのは素晴らしいことだと思いました。また、当時の人々がレズビアンをどのように見ていたかということでもあります。当時はレズビアンという言葉は無く、女性同士の不純などと表現されていました。17世紀初頭に彼らがレズビアンをどう見ていたか、そして今私たちがどう見ているかという点でもとても興味深いです。
私たちは既に、基本的に同性愛はごく自然的な事柄の一部であると受け入れることで、進歩したと言えるでしょう。もちろん、それはダーウィニズム的だと思います。私はダーウィン主義者ですから。

この2人の修道女の物語に惹かれた部分は?

デニス ブラウンの研究の詳細についてはともかく、この修道女の物語に惹かれた理由は何だったのでしょうか?この映画は、2人の修道女のレズビアンの関係についての映画だと言う事もできますが、それだけでは、この映画の中にあるもの、この映画が観客に興味を持たせると私が思うものを表せないからです。この映画は信仰についての映画であり、権力についての映画であり、これらのことがどのように交錯しているかについての映画だからです。

ポール そうですね、3つのレベルがあると思います。
宗教的なレベル、イエスやその他聖人についての幻視、それから権力のレベル、つまり男性社会の中で女性が権力を得ること、当時は全てにおいて男性が重要で、女性は脇役であることを要求されていました。30歳にもならないうちに、修道院の修道院長になることを成功させた女性は、かなり稀有な存在です。裁判記録を読めば、ベネデッタが権力を求めていたことは明らかです。しかし、ただ権力を求めていたというよりも、彼女が聖痕を手に入れたときに、それで何ができるのか考えたのだと思います。実際、聖痕がもたらされた方法が何であれ、修道院はとても感銘を受け、彼女を修道院の修道院長にしたのです。それは彼女が本当に望んでいたことだったのです。というのも、修道院長には個室があり、他の20人の修道女たちがいる寮とは違うからです。彼女は自分の部屋を持ち、ドアを閉め、鍵を回し、バルトロメアと一緒にやりたいことを何でもできたんです。

この映画は権力について描いたもので、確かに彼女は権力を手に入れましたが、彼女の権力には、バルトロメアと性的関係を持つために数年間使えるという、非常に即物的、現実的な側面が含まれています。当時の教会の政治の元では、、、少し遡るりますが、例えば1532年、物語の約100年前にカール5世は、女性が他の女性とセックスする場合、火あぶりにすべきだとする勅令を出しました。[※カロリナ法典の116条:反自然的淫行(獣淫・男女同性愛)は火刑とあり] 1625年、あるいは20年頃においては、バルトロメアとベネデッタは軟禁されました。もちろん、女性として他の女性とセックスした場合は罰せられますが、火あぶりにはならず、異なった方法で罰せられたのです。しかし、もし行為に道具を使ったとしたら。

デニス 今回の映画でのように。

ポール そうです、そうすると、基本的に火あぶりにされます。

余談:中世時代のレズビアンに関する刑罰


中世のソドミィに纏わる刑罰について簡単に紹介します。年代や発行する側、国によって刑罰が結構変わりったようですが、女性同士の性交は、低い位置付けのもでした。(1532年カール5世の、火刑の例などは寧ろ珍しい例であった。) それは、女性自体の価値が低く見積もられていた事に多くが由来しています。妊娠も、男の精子が大事だと考えられていた時代です。男が、子供の作れる自然な場所以外で淫欲の行為を行う事の方が、はるかに重い罪と考えられていました。男性同士の同性愛、自慰、女性との口や肛門を使った淫欲などです。女性同士がただ股をこすり逢うだけの場合、それは男とのより素晴らしい性交の練習と見做される事も多かったのです。ディルドを使った場合は死刑という例でも、問題視されたのは、男のように振舞っているという点でした。似た例では、クリトリスが肥大した女性が他の女性と股をこすり合わせるのは死刑という例です。(要は相手に挿入できる程肥大している場合、という意味) 

上記のような状態で、かつ、社会の上層部は男が占めていましたから、女性の同性愛やそこ実際的な行為に関する知識はほぼ皆無で、名付ける事が非常に難しい、どういう基準で裁けばいいのかも良く分からないものだったようです。レズビアンという言葉自体19世紀まで一般化しませんでした。なので記録も殆ど残っておらず、だからこそ、このベネデッタの宗教裁判記録が貴重なのです。

原作からの脚色について

デニス だから、ブラウンの本ではセックストイは出てきませんが、火刑があるために、それを導入したのですか。

ポール ディルドについては、それが当時どういうもので、それを使うとどういう危険があるかとか、そういうことが何ページか描かれている部分があります。確かに、ベネデッタとバルトロメアの場合には当てはまりませんでしたが。
スペインやイタリア、オランダでも事例が有ったかとと思います。そして私はそれをドラマ的な理由から(今回の映画で)利用したんだ。つまり、1625年に(レズビアン的な行為をしていたというだけで)彼女を火あぶりにするのは、この火あぶりも脚色ですが、歴史的に正しくないと思ったんです。(1600年代は)もうそのようなことはない時代なのですから。だから、彼女が火あぶりにされるほど、悪い意味を持つ何かが、ディルドを使うとか、そういう事が必要だったんです。なのでこれは我々が加えた、物語上の、ドラマツルギーです。しかし本にも書かれている事です。また、小さな聖母マリア像(後にディルドとして使われる) は、最初から脚本の一部だったんです。ベネデッタはこの小さな聖母像を持って修道院にやってきて、そこの修道女に、それは価値がない、うちにはうちの像がある、廊下にある私達の聖母マリア像の方が重要だと言って、小さな像をベネデッタから取り上げて引き出しの中に入れてしまいます。そしてその後消えてしまう。ですから、物語の最初からあったものなのです。
そして、エンディングに向けて作業をしていく中で、その方法を模索していました。だって、映画をこのような形で(盛り下がっていくというジェスチャー)、終わらせたくないですよね。監督の脚本としては、最後に何か盛り上げたいわけで、私たちはあるシーンで盛り上げたいと思ったんです。例えばジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットが、ギロチンや火あぶりにされるように。それが、ドラマ的な観点から見たときの私達の望みでした。そして、そのエンディングに向けてすべてを構築する必要がありました。歴史的な観点から、例えば2人の女性がディルドを使うというシーンが必要だったのです。

余談:なぜカトリックではマリアに祈るのか?

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ベネデッタが入った修道院は女子テアティノ会、まだ正規の修道院ではありませんでしたが、カトリック教会内での立場を合法化すべく官僚機構に働きかけている所でした。

さて、インテビューでも触れられているように、今回の映画にはマリア像が良く出てきます。なぜキリストではなくマリアに祈るのでしょうか?しかも像に向かって祈っている、、?それって、、それ偶像崇拝じゃないの?など色々考えてしまうと思います。

キリスト教といっても色々あり、近年は最早様々な考え方が入り混じっていて、簡単に断言出来るような確固たる正解、というのは無いように思うのですが、ここではいくつかの考え方を示したいと思います。

まず、イエスはマリアを通して我々と繋がる事を選んだ。という考え方があります。これは、そもそもマリアを母に選んだ事自体に意味があり、それは罪にまみれた全ての人の子どもたちを、イエスの兄弟姉妹として、その母が受け入れられるため、、など色々と周辺の理論が構築されています。しかし現実的な事を考えれば、カトリックというのは厳格な位階制度に基づいていますから、基本的にはイエスと直接繋がる事が出来るのは法皇だけという事があります。誰でも繋がれるという事になったら、位階に基づく権力構造上、都合が悪いですから、その他の人々はマリアに祈りなさいという側面もあると思います。カトリック系の幼稚園などでは、神は忙しいからマリア様に祈りなさいなど結構キッパリ言われるという経験談も聞いた事があります。

偶像崇拝についてですが、これについてはMariolatryという概念があり、これは17世紀ご頃に出来た言葉で、聖母マリアの偶像崇拝や過度な崇拝を表す言葉で、プロテスタントがカトリックを避難する際に使われたりします。キリスト教では十戒の頃から崇拝されるのは神のみであるとされているからです。カトリック側の反論は、一言でいうと、マリアを崇拝はしていない、崇敬しているのだ。という事です。

カトリックの教えでは、【神のみが"adoration/崇拝 "(カトリック用語ではLatria,ラトリア)に値するというもので、その他聖人は "veneration/崇敬 "や(カトリック用語ではdulia,ドゥリア)と呼ばれるより低い名誉に値する。】とされており、かつ、マリアは他の聖人より一段上なので、マリアに対する崇敬はhyperdulia,ハイパードゥリアであるという事です。しかしそれはLatria,ラトリアより低いから、神とマリアを同じ位においてる訳ではない。という理論です。え? 子供の屁理屈かっ! って? うーん、宗教ってこういう事なんです。

さて、少し脱線しましたが、像に対して祈る事についても、言い訳、じゃなくて理論武装、、でもなかった、きちんとした宗教的真理(?)が、それこそビザンティン帝国始まった頃(4世紀頃)、イコンという概念が出た頃から形成されています。 要は十字架や、マリア像などの「像」に祈っているのではなく、「像」が私たちに思い出させる聖なる人々に対して祈っているという理論です。家族が遠く離れているときに写真を見るのと同じで、天国の最愛の家族を思い出させ、写真は触れることができるので、それを使用する。遠く離れていても、そこに表現されている人も私たちを見てくれるだろうと考えて、像を見て祈っている。という事です。

ちょっと考えてみて欲しいのですが、文字なんか読める人が少ない中で、あの分厚い聖書の教えを広めるのは非常に面倒で、それを絵として見せる絵画や物体として見せる像が必要だったのです。 信者個人の事を考えても、人が自分の頭の中の想像だけで何かを崇拝し続ける事は難しいと思うのです、やっぱり、何か目に見えるものが欲しいなぁと思うはずです。そのような事からも、それを正当化する理論が必要となった事は自明でしょう。

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