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エベレストで眠る人

私が10代の頃、入り浸っていたスナックがあったと、以前書いたことがあったが・・・。

昼は喫茶店で、夜になると飲み屋になる店だった。
最初は中学2年の時、友達に誘われコーヒーを飲みに行くようになり、高校に入った頃には夜の部にも顔を出すようになる。
19歳くらいまで、毎日のようにツケで飲んでいたかも・・・。 ゴメンナサイ。


そこには年齢がひと回りも、ふた回りも上の、個性強めな常連客。
近所の大病院のナースたち、銀座に店を構えるママさん、学生運動くずれの編集長、フォークソングくずれのおっちゃん、良いコトも悪いコトも沢山教わった。 笑
PP&Mを知ったのもココだった。


そんな中には、山屋と言われる山好きオジサン連中も結構いた。
もともと近くに某国立大があって、そこのワンゲル部の溜まり場だったこともあり、さまざまな山屋さんが来る店だった。


そして、ある日、あの人が来た・・・。
マスターの話によると、2度目の来店。
私にとっては、その日が最初で最後となった。

私が17歳、あちらは30歳くらいだったと思う。
「やっちゃん」とか「やすおさん」とか呼ばれていたその人は、なかなかのハンサムな上に背が高い。
175cmの私よりも大きかった。

屈託なく笑いながら、
「足の指が全部ダメになっちゃって、カカトで歩いてるようなもん」
とか
「酒より、まんじゅうのほうが好き」
なんて、仰ってました。

私はド素人だし、やすおさんの功績もよく知らなかったんだけど、童顔のその人の周りには、すごいオーラが漂っていた。
近いうちにまた、エベレストに行くって話をしてましたね。

「もしチャンスに気付いたなら、手を伸ばして掴むんだ」
「ただ見てるだけじゃ、すぐに通り過ぎちゃうからね」

高校を続けるか、辞めるか、考えてた時期でもあり、やけに刺さったなぁ。


その後は、皆んなで焼肉屋に行った気もするのだが、かなり記憶が曖昧で別れた時のコトも全く覚えてない。
まぁ、そこそこ飲んでるし・・・。 おい、高校生。


次に彼の名前を聞いたのは、3年ほど経ってからのことだ。
仕事で行った初めての町、初めて入った食堂のTVのニュース。


「Mr.エベレスト加藤保男氏、登頂後に消息不明」
「生存は絶望的・・・」

話を共有できる人も居らず、ひとり背中でニュースを聞きながら、たいして旨くもないカツ丼を涙と一緒に飲み込んだ。



保男さん、あなたは33歳のまま、そこで眠っているのですか。
あの時の17歳の不良少年は、61歳になってしまいました。

日本もずいぶん変わりましたよ。
携帯電話って、知ってますか??
今、電話であなたのコトを書いてるんです。
すごく、すごく、不思議な感じがします。

エベレストもだいぶ変わったみたいですね。
かつてのように、自らの命を担保に神々に挑む時代は終わりを告げ、いかに良いガイドを見つけるか、ガイドに連れて行ってもらう登山スタイルが主流らしいです。

そして何と寂しいことに、人生までもがガイド無しでは歩けない時代なんだとか・・・。
真っ暗な中を手探りで歩いていたのでは、時代遅れなんですかねぇ。

道を照らして欲しい人と、誰かの道を照らしたい人の取捨選択の争いが凄まじいです。
ってゴメンナサイ、つい愚痴ってしまいました。
無駄に歳を重ねてしまった私です。


それでは保男さん、またいずれ!!



こんな歌、どうでしょう。

では、では、また次回。 ありがとうございました!!