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リレーエッセイ「UFO」(連想#6)

トミーくんが書いた前回のコラムは「タイムトラベル」がテーマ。

私もトミーくんと同じく、タイムトラベルと言えば「ドラえもん」のイメージが最初に思い浮かぶ。パラレルワールドとか、四次元とか、藤子不二雄作品からは少年時代にSFの基礎を叩きこまれた。当時はまだまだ「漫画を読むとバカになる」と言われた時代だったけど、漫画を読んでいたからこそ培われた想像力や知識は少なくなかった気がする。自由に漫画を読ませてくれた両親に感謝だ。


タイムトラベルと言えば、2000年にアメリカに現れたタイムトラベラー、ジョン・タイターが有名だけど、個人的には2010年にネット掲示板・2ちゃんねるに現れた未来人2062が興味深い。

2023年のいま、“2062さん”の発言を読むとフムフムとうなずけるけど、この内容を2010年に書き込んでいたというのがスゴイ。ゾクゾクとワクワクが止まらない。彼が発した自然災害に関する「yあ 間 N意 埜 b於 ㋹」という暗号も2010年時点では「???」だが、2011年3月以降は「山に登れ」で合点がいく。

もう一人、タイムトラベルで有名な人物としては、2021年にTwitterに登場して話題になった國分玲が記憶に新しい。

2058年から現代にやってきたという國分玲。最終的にはネット上で「こういうトリックなのでは?」という考察が広まり、いまではガセ扱いされているけど、個人的には本当か嘘かは割とどうでもいい。私は非常にワクワクした。

本物のタイムトラベラーだったらすごいし、本物じゃなかったとしたら、クリエイティビティの高さがすごい。つまり、どっちにしてもすごい! ということで自分的にはOKだ。

タイムトラベルの話題は、SFの範疇で語られている間は「タイムパラドックスの処理が上手い」とか「科学的に破綻しているけど物語が面白いからいいか」などという論考が主になる印象である。

しかしながら、現実世界に「自分、タイムトラベルしたっす」という人が現れると、さすがに胡散臭い扱いをされることになり、即座に都市伝説やオカルトの世界へと放り込まれる。創作であることが前提の映画や漫画とは異なり、都市伝説やオカルトは「本当か嘘か」という観点で語られがちだ。

都市伝説に類する“お話”は、フィクションとノンフィクションの狭間でアンバランスな存在感を放つ。その絶妙な在り方に魅力があると私は感じる。現実とリンクするポイントがあるがゆえに興味深く、ツッコミを入れる楽しさや、現実の出来事をつなぎ合わせて紡がれたセンセーショナルなストーリーが思わぬ結論にたどり着く興奮もある。トンチンカンな都市伝説も、他人に迷惑をかけない範囲内でという条件はつくが、それなりに愛くるしい。


話がそれかけたが「タイムトラベル」についてもう少し書く。

タイムトラベル、タイムスリップ、タイムリープの違いは、トミーくんが前回のコラムで言及してくれた通り。私自身、過去に雑誌でタイムリープを扱ったドラマについての原稿を書く機会があり、SFマニアからのクレームが来たら怖いので、言葉の誤用を避けるべくそれぞれの違いを厳密に調べた経験があった。

個人的に「タイムリープ」ものには好きな作品が多い。原田知世版の「時をかける少女」は何度見ただろうか。トミーくんも挙げていたけれど、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」も大傑作だ(純粋なタイムリープものとは若干印象が異なるけれど)。近年のテレビドラマでは「トドメの接吻」「テセウスの船」に引き込まれた。

過去に戻ってやり直す系の物語は、現実にはあり得ない荒唐無稽な展開なのに、見る側が「はいはいそのパターンね」と瞬時に理解できる。現実には起こり得ない出来事にもかかわらず、なぜだか“あるある扱い”をされている実情は、改めて考えてみるととんでもないったらありゃしない。

SMAP解散直前に噂された「木村拓哉タイムリープ説」も大好きだ。いまもSMAPが解散していない世界線が、どこかに存在するのだろうか?

この件について、ファンが映画の予告編のような動画をYouTubeで公開したり、木村さん本人がラジオ番組で「タイムリープはしてません」と宣言したりと、話の広がり方も面白かった。“それっぽい噂”と現実が絡み合うこの手の話はやっぱりゾクゾクする。

お笑いコンビTKOの木本さんがタイムリープしている、というABEMA TV「チャンスの時間」での考察も、お笑い成分多めで好きだ。配信当時、爆笑しながら見た。

ABEMAプレミアムに加入していれば本編を見れるけど、YouTubeに切り抜きショートもアップされている。再生回数もエグイ。

タイムリープネタは、いろんなジャンルと親和する。むしろありがちなギミックだけに、どんなジャンルとコラボレートするかが肝なのだろう。アニメ版も人気の漫画「東京卍リベンジャーズ」も、タイムリープ×ヤンキーというマッチングが斬新な作品である。


SFネタ、都市伝説、オカルト系の話などは、話し相手を選ぶ必要があるので、誰かと語り合った経験はほぼないけれど実を言うと大好物である。中学時代は八王子中央図書館の雑誌コーナーでオカルト雑誌の総本山「ムー」をほぼ毎月読んでいた。いまでもYouTubeではそっち系のチャンネルをたくさんチェックしている。テレビ東京で度々放送されている「やりすぎ都市伝説」も毎回楽しみだ。

「大の大人が何を幼稚な」と思われるかも知れないが、仕入れたマユツバ話を吹聴して回るわけでもなく、あくまでエンタメとして一人でワクワク、ゾクゾクしているだけなので、その点は勘弁願えるとありがたい。

今回のコラムでは、トミーくんの「タイムトラベル」から連想して「都市伝説」とか「オカルト」をテーマに書こうかと思ったが、ちょっと範囲が広すぎるので、もう少し絞り込んで「UFO」をテーマに書いてみることにする。SF作品に登場する乗り物としてタイムマシンと並ぶ存在である点でも、コラムの題材にちょうど良さそうだ。


UFO。Unidentified Flying Objectの略称であり、直訳すれば「未確認飛行物体」である。本来は米軍発祥の軍事用語だ。テレビのUFO特番などで流れる海外の映像を見ていると「ユー・エフ・オー」と呼ばれることが多いようだが、日本人なら「ユーフォ―」と発音するのが一般的だ。ピンクレディーのヒット曲の影響か、はたまた日清食品から発売されているカップ焼きそばの影響か。

日清食品の「U.F.O」が「うまい・太い・大きい」の略という話は、一時期よくクイズ番組や雑学系の記事でよく見かけた。ちなみに私の場合、カップ焼きそばは完全にペヤング派である。子供時代、地元・八王子ではU.F.Oよりもペヤングが売られていた印象で、自然とそうなった。近頃のペヤングは激辛バージョンばかりが注目されて、罰ゲームの代名詞的アイテムとなっているのが嘆かわしいが、それでも断然ペヤングが好きだ。

関西ではU.F.O、関東ではペヤング、北海道では焼きそば弁当が人気だという話もけっこう好きな話題である。そんななか頑張っている一平ちゃんは大したものだ。

ピンクレディーの「UFO」に関しては、イントロのシンセサイザーサウンドが秀逸だ。

文字にすると「ピキュルルルルル……」みたいな、宇宙から何かが飛来する様子をイメージしたキラキラ系のサウンド。1977年の発売当時はまだまだアナログシンセサイザーが主流の時代である。つまみをひねり、あのサウンドを作り上げた人は「これだ!」と思ったのか。それとも「こんな感じ?」と不安だったのか。もしかしたら、参考にしたサウンドがあるのかもしれないが、何はともあれ日本国民にUFOサウンドを印象付けた功績は大きいだろう。

あのシンセサウンドの遺伝子は、うる星やつらのラムちゃんの飛行音や、初代エンディング曲「宇宙は大ヘンだ」のイントロ部分に受け継がれている。そういえばラムちゃんも、でっかいUFOに乗って地球にやってきたんだったっけ。


UFOを日本国内に広めた人物と言えば、テレビプロデューサーの矢追純一さんが筆頭だろう。少年時代、矢追さんが手がけたUFO特番が放送される度、私は食い入るようにテレビを見ていた。当時は心霊系の番組や超能力を扱った番組も放送されていたが、その手の番組のなかではUFO特番が一番好きだった。科学的な理屈で説明できそうな、リアルとファンタジーの成分比率が自分の好みに合っていたのだと思う。

さて矢追さんだが、別に元からのUFO信者ではなく「目先のことばかりに集中しがちな日本人に広い視野をもってもらうべく、みんなが空を見上げたくなるような番組を作りたくて」という理由でUFO特番を思いついたのだという。いろいろなところで、そういった発言をしているらしく、私の手元にある1990年刊行の作家・高橋克彦の対談集「1999年」の中でも矢追さんは同じようなコメントをしている。

矢追さんに対して、UFOを利用して恐怖を煽るやばいおじさん(失礼!)のようなイメージを持っている人も多いかもしれない。でも「空を見ようぜ!」というメッセージから感じられるのは、清々しさやピュアさなどのポジティブな印象が中心だ。番組を作り続ける中で、いろいろなヤバい情報をキャッチして、UFO界隈(?)でそれなりの立場になっていったことは想像に難くないが、いずれにせよシンプルにわれわれを楽しませようとしてくれていたのだと思う。エンタメ界の偉人だ。


ちなみに、私はUFOを「信じる・信じない」で語ろうとする二元論的スタンスに違和感を感じている。

「UFOを見た」と語る人が世の中にたくさんいる以上、物体なのか、現象なのか、何かしらが「ある」のは確かなのだろう。何かがあるという絶対的な真実を前提に、宇宙人の乗り物なのか、敵国の新兵器なのか、自然現象なのか、疲れた人が幻覚を見たのか、誰かの気を引きたくて嘘をついているうちに現実だと思い込んでしまったのか、などなど、いろいろなケースがごちゃまぜになっているのがUFOの実状なのだと思う。そういえば、UFOは未来人を乗せたタイムマシンだという説もある。UFO=宇宙人ばかりではないのだ。

そんなごちゃまぜな状況を打開しようとしたからなのか、米軍は2021年に「UAP」(Unidentified Aerial Phenomena = 未確認空中現象)という呼称を提唱したようだ。実際にはどんな思惑が含まれているのか、それとも単なる思い付きか、詳しい考察は専門家に任せる。

1952年に撮影されたUFOが遭遇者の名前にちなんでアダムスキー型と呼ばれているとか、UFO研究の聖地と噂される軍事施設があるエリア51の話なども興味がある方は、専門家の論考をあたってみてほしい。今回のエッセイはライトな都市伝説好きの主観を軽い気持ちで記させてもらう。


UFOの目撃情報が増えるようになったのは、1947年にアメリカで目撃された未確認飛行物体が「flying saucer(フライング・ソーサー)」と名付けられ、新聞で紹介されたのが契機だったのだとか。でも、UFOが宇宙人や未来人の乗り物だったり、自然現象だったりするのならば、1947年以前の目撃情報が残されていないのは不自然だ。

人類が原子力を手に入れたのを契機に、宇宙人や未来人が地球人を監視し始めたという説がある。米軍による原爆使用後の目撃情報急増や、世界各地で原発事故が起こると周囲にUFOの目撃情報が増えるのがその根拠だという。ほほぅ、ふむぅ。

UFOという概念がなかった時代は、何かが空を飛んでいても気にならなかっただけとの説もあるそう。「空気」を分析しないと酸素、窒素、二酸化炭素の存在を意識できないような、そんな話だろうか。

なお、1807年にUFOらしきものが茨城県で発見されたとの資料が実在する。「うつろ船」と呼ばれるその物体は、海から陸地へ漂着したと思われていたが、その形状はUFOそっくりなのだという。

UFOの概念がなかった時代は、きっと、自分たちの認識の範疇で記録に残したり、説明がつくような物語にして、不思議なものごとを言い伝えて来たのだろう。「竹取物語」のかぐや姫は宇宙人で、かぐや姫が生まれ出る輝く竹は宇宙船だったという説もある。宇宙人に遭遇すると体がしびれて動かなくなるという“UFOあるある”が、かぐや姫が月に帰ろうとするのを止めようとした人たちが身動きできなくなる様子に似ているという考察もあるという。なるほど、なるほど。


私はUFOを見たことがない。中学時代は天文部、高校時代は地学部で、晴れた週末には公園や山中で天体観測を趣味にしていた私は、いまでも夜中に出歩くと星空を見上げ、星座の位置を確かめながら季節を感じている人間なのだが、人生50年でUFOは一度も見たことがないのだ。しかし、だからといってUFOを否定するつもりはない。先にも書いた通り、見たと言っている人がたくさんいるのだから何かがあるのだろうし、できるなら私もUFOを見てみたい。

これだけ広い宇宙に、知的生命体が地球人だけというのは逆に変な感じがする。きっと宇宙人はいるだろうし、宇宙人の乗ったUFOが地球にやってきても何らおかしくないーー、と以前の私は考えていた。しかし最近は考え方が変わってきた。

宇宙誕生のはおよそ138億年前だという。その間に、宇宙のあちこちで生命が生まれ、文明も発展しただろう。でも“同じタイミングで発展した文明”は、宇宙空間にどれくらいあるのだろうか。UFOや宇宙人と遭遇できるかどうかは、空間的な隔たりの問題よりも、時間的なすれ違いによる問題の方が深刻な気がする。138億年という時の流れを思うと、最近はUFOや宇宙人と出会えなくても仕方ないという感覚に落ち着いてきた。

とはいえ、目撃例が多いのがUFOであり、宇宙人である。奇跡的な確率で同じ時代を生きる何者かが地球外にいるのならうれしいし、高度な科学力でUFOを生み出したというのならいろいろとあやかりたい。

宇宙人に出会うと、何かを体に埋め込まれたり、遭遇中の記憶を消されたりする場合があるという。SFもので読んだ話なので、100%信じているわけではないけれど、体のどこかに何かを埋め込まれた際の記憶をきれいサッパリ消されているだけなのかもしれない。

UFOが登場する夢なら見たことがある。緑、赤、黄色の光を放つ数機の飛行物体が見慣れた街の上空に現れ、編隊を組んでこちらに迫ってくる夢。同じような光景の夢を繰り返し見た時期がある。宇宙人は、夢を通じてメッセージを送るケースもあるというから、私も何かしらのコンタクトを受けた可能性はある。……なんてことを書いてしまうのは、結局SFものに影響され過ぎなわけだが。

いままで見たことがないからといって、これから見ないとも限らない。先ほども紹介した対談集「1999年」では、画家の横尾忠則さんが50歳を過ぎてからUFOとコンタクトするようになったと語っている。

私が生まれ育ち、いまも住んでいる八王子市は国内有数のUFOスポットだという噂もある。自分自身が八王子市内でUFOを見たことがないので、真相のほどは分からないが、ご当地アーティストでもあるFUNKY MONKEY BABYSは「八王子純愛物語」という曲のなかで「そういえば八王子(ここ)はUFOの多発地帯ってDO YOU KNOW ?」と歌っている。

FUNKY MONKEY BABYSと面識のある知人の話によると、メンバーのモン吉さんは八王子市役所の最上階に横付けされたUFOを目撃したことがあるらしく、市役所を表敬訪問した際に職員さんにその報告をしたのだそう。職員さんは「そうですか、見ちゃいましたか……」と冗談っぽい口調で切り返してきたのだとか。それなりに含みのある、職員さんの気が利いた対応がお見事だ。


私がUFOについて語る上で、避けて通れない人物がいる。UFO好きで知られる大槻ケンヂさんだ。私は、大槻さんが手がけた音楽、エッセイ、小説が好きな“ただのファン”なので、特別何かを語れるわけではないけれど「UFOを信じる・信じないの二元論で語るべきではない」という私の考えは、完全に大槻さんの受け売りだ。オカルトをエンタメとして楽しみ、一連の背景や関わる人たちの心情に趣を見出すスタンスも、大槻さんからの影響である。

若かりし日の大槻さんは、気を病みかけた時期に「医者からUFOを禁じられた」のだという。つまり「UFOのことなんか考えているから気を病むのだ、と医者に診断された」というのだ。80年後半からの大槻さんのエッセイを年代を追って読み、UFOにハマりまくっていた時期、医者から止められた時期、医者からUFOを解禁された後の違いを比べるのも一興である。どこかの出版社から、大槻さんのUFOエッセイアンソロジーが出たら間違いなく買う。

大槻さんのエッセイを年代順に読むと、UFO界隈のトレンドの移り変わりもボンヤリ見えてくる。近頃、語られているレプティリアン(爬虫類型宇宙人)やドラコニアン(恐竜型宇宙人)とったキーワードは、2015年刊行の大槻さんのエッセイ集「おまけの一日(その連続)」で、大槻さんが初めて聞いたトンデモ論の一種のような書かれ方で登場する。レプティリアン、ドラコニアンはもっと昔から知られていたような印象だったが、まだまだ新しい言葉なのだなと不思議な気持ちになる。

大槻さんのバンド・筋肉少女帯は、1993年に「UFOと恋人」というアルバムを出している。収録曲の中では“宇宙生物ドルバッキーがこの世の真実を暴く”という歌詞の「暴いておやりよドルバッキー」が、アルバムにおけるUFO要素を代表していると言えるだろう。

ベースラインがうねる横ノリのイントロリフ、ピッチシフターを通した声によるセリフ語りとキャッチーなサビのコントラストや、サビ後のブレイクのたたみかけ、間奏のメランコリックなクラシックギターなどなど。聞きどころ満載の曲で、当時の筋少らしささが「これでもか!」と詰まっている。ただしカラオケで歌ったら周りから引かれるのは間違いない。


UFOを題材にした楽曲の中では、日本のプログレバンド・四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」も素晴らしい。

エマーソン・レイク&パーマーの名盤「タルカス」を思わせるイントロと、続けざまに奏でられる伸びやかなリードギターのフレーズにワクワク感を煽られる。そしてなんといってもすごいのが歌詞だ。空からやってきた円盤から提示された「円盤に乗るための条件」とは……。「なんで?」と思った直後に「で、弟は乗れたんかい!」という驚きが待っている。聞いたことがない人はぜひ聞いてみてほしい。大好きな曲。

四人囃子のベーシストだった佐久間正英さんは、BOØWY、GLAY、JUDY AND MARYなどのプロデューサーとしても有名だ。筋肉少女帯の「UFOと恋人」も佐久間さんのプロデュースだというから、なかなかにUFOと縁があるミュージシャンなのかもしれない(佐久間さんにもUFO目撃経験があるのだと、大槻さんのエッセイ「おまけの一日(その連続)」のなかでユニークな形で語られている)。


UFOを題材にエッセイを書き進めてきたが、遭遇体験ゼロなので、素人丸出しの考察や関連作品の紹介になってしまう。しかしながらもう少し続く。

UFOや宇宙人が登場するエンタメのなかで最高峰だと思うのは「ウルトラセブン」だ。怪獣の襲来を描いた「ウルトラマン」、怪人との戦いを描いた「仮面ライダー」と異なり、ウルトラセブンは「異星人との戦い」が中心な点が特徴である。宇宙人は宇宙船やUFOに乗って地球にやってくる。怪獣やメカは宇宙人の手先として人類に襲いかかってくる。異星人が知能を駆使して地球侵略を企むこともある。そんな展開が他のSF作品以上にリアルな感じがするし、「零下140度の対決」「ノンマルトの使者」などの都市伝説っぽい怪しさはいま見てもよくできていると感じる。

ネット上のサブスク映像や、DVDセット、CSチャンネルでの再放送などがなかった昔、完全保存するべく録画したウルトラセブンのビデオテープに、弟がプロ野球珍プレー好プレーを上書き録画されたときは取っ組み合いのケンカになった。35年以上前、何気にあれが人生最後の兄弟ゲンカだ。そういう意味でもウルトラセブンは思い出深い。


インパクトが強烈だった本の話も。ある仕事の関係で読んだ「UFOとローマ法王、そして自然栽培: 空飛ぶ円盤で日本を変えた男」という本。2017年刊行。

国の予算でUFO宇宙博物館を作った著者・高野誠鮮さんが自身の経歴やビジョンを語る一冊で、自然栽培で作った米をローマ法王に届けるエピソードも語られる。書名のインパクトが抜群で、タイトルのユニーク度合いが評価の指針になる日本タイトルだけ大賞にノミネートされたことも。資料として借りて読み、すでに返却してしまったので、いま詳しい内容に触れられず残念だが、豪胆かつ前向きな高野さんの人生譚が興味深くてスラスラと一気読みしてしまった。

近年のUFO関連のコンテンツは、単に恐怖体験を伝えるようなものよりも「目覚めよ地球人」的な内容が多い。胡散臭さと清々しさが同居する感じが好きだ。ポジティブに振り切った意識高い系コンテンツは苦手だが、宇宙人からのメッセージという体裁で「前向きになりましょう」と言われる感じは、時と場合によってはスルーしていい気がするので割と気楽である。

世界的に愛読者が多いことで知られる「アミ 小さな宇宙人」シリーズも、SFファンタジーの体裁を取ったよりよい生き方の啓発本だ。受け止め方は読み手に委ねられるし、いろんな読み方ができるのでお得感もある。UFO文学の世界的傑作なのではないだろうか。UFO文学なんてジャンルが存在するのかはわからないけれど。

こちらは「アミ」の読み聞かせ動画。なるほど、こういうコンテンツもあるのかぁ。

なお「アミ 小さな宇宙人」シリーズは、少し前から絶版の噂が流れており、現在は入手が困難なのだとか。だから読み聞かせ動画が誕生したのかも。

実際には版権の関係で重版が遅れているだけらしいけれど、そんなもめごとで本が広まらないのだとしたら、宇宙人アミから「これだから地球人は」と呆れられてしまうんじゃないだろうか。


映画「未知との遭遇」「E.T.」「メン・イン・ブラック」などは、地球人が宇宙人を受け入れるための“慣らし”を狙ったプロパガンダ作品であるという話も、オカルトファンの間で長年語られている。本当のような、冗談のような、どちらともつかない話だからこそ、話のネタとして寿命が長いのかもしれない。

米国がUFOや宇宙人の秘密を公開するという話も、「来年こそは」「今度こそは」と長年はぐらかされてきた。おかげで、もうどうでもよくなってきた感じもする。それがアチラさん(?)の狙いだったら、いつの間にかすっかり丸め込まれているわけで、笑うしかない。情報に慣らされたり、はぐらかされたりしたところで、実際にUFOや宇宙人に初めて遭遇したら結局ビックリするんだろうなぁ。

見たことも乗ったこともないUFOだけど、ずいぶんと長く語ってしまった。こうしてそれなりに語れたのは、人生のいろんなタイミングでUFOに引っかかってきたからなのだろう。その回数や頻度は他の人より多いのか、少ないのか。

多いのだとしたら、やっぱり遭遇経験があるけど記憶を消されているのか? または、いまは来たるべきコンタクトの時に向けて少しずつメッセージを受け取っている時期なのか!? それとも単に夢見がちなだけかーー。そんなことを考えながら、また空を見上げようと思う。この季節、夜半には東の空に夏の大三角形が昇る。


さてさて、お次もトミーくんにエッセイを回します。ここまでの「マンガペン小説家締め切りタイムトラベル → UFO」と続いてきた流れが次にどうなるのか楽しみです。トミーくん、よろしくお願いします!


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