記録することへの執着を一度捨ててみる
最近、時間を無駄にしてるな~と思ってしまうことがある。
その一つにYouTubeがある。
見る方もそうなのだけれど、ここではどちらかというと投稿する方。
自分は主にゲームプレイやゲーム以外の、人と遊んだ記録や感じたことをまとめて動画にしたりなどしていた。
そもそも始めた理由は、
……気取ったように言うが、
『記憶を留めておきたいから』。
裏返すと『忘れるのが怖い』ということでもある。
自分のつくった動画にこういったものがある。
簡単に説明すると、
『なんでもない日常を特別な日にするためにつくった動画』だ。
なんでもなさすぎる日常は時が過ぎれば忘れていくものだ。それは寂しいよね、と思った俺はその思いを形にしておきたくなったのだ。
そのほかの投稿した動画はこの考え方の延長線にあるといっても過言ーーではない。大袈裟だが。
しかし、記録をすることに意固地になっている側面を自分でも感じていた。
そんなさ、記録なんてしなくても、別にそれ以前は特に問題なくやってきていたじゃないか。
動画編集もね、別に得意ってわけでもない。無駄に時間をかけている。時間、かけてる。
それにさ、自分でもさ、思うんだよね。
お前、言うほど忘れたりしないじゃん、って。
そう、自分には長所があって、体験した記憶というものをなかなか忘れたりなどしていないのだ。それは、日記をつけていたり隙あらば動画など記録してやろうってことの積み重ねではあるのだろうけれど。
なんにしても、昔話をしたりすると、人一倍に語ってしまうし、自分の周りの人は実はそんなに覚えていなかったり。(そりゃ、一人称が違うのだし注目しているところが違うからだろうね)
あのゲームの初見プレイの感覚、とかさ、あの日の観光地を歩いた時の空気、とかさ、人よりは語れる自信がある。
その自信は、年老いたら失われてしまうのかもしれないけれど、とりあえず今のところは自信大アリだ。
『忘れることが怖い』よりも、『覚えていられる自信』の方がちょっとだけあるよ。
そんな自己分析でしたが。
いま、中途半端になっているところは手をつけようと思う。それを終えたら、特にYouTubeとか、自分にとって本当に必要なときにだけ活用すればいいんじゃないかな。(誰かに伝える場合とか)
ほかにやりたいこと、あるでしょ。
それをやりなよ、自分。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?