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経験を以てして完成する映画|『ラビットホラー』

まず、この映画の一番目についたところ。

ホラーの対象が幾度も切り替わる。
ここが、面白いと思った。

最初はウサギが怖い。
次はキョウコが怖い(亡くなった母親)。
次はキリコ(主人公の女)。
次はダイゴ(少年)。
そして最後に、父親にクローズアップして終わる。
父親が、最後は狂ってしまった。現実に耐えきれなかった。
もしかしたら、キリコの死を仕向けたのは父親だったのでは? そういう可能性のひとつが頭をよぎる程度には、父親からも冷えた恐怖を感じた。


ホラーの対象がウサギ→キョウコまでは分かるとして、キリコが怖いというのは解説が必要か。
中盤、キリコが狂った人間だということが判明し、人を憎む感情の描写があった。自己中心的で、どす黒い感情を次第に表に出していく。少しずつ、この女の子は人を殺しかねない、という演出が強くなる。
ただ、ナイフを持って刺すという強い感情までは感じなかったのが逆に描写不足かもしれないね。どす黒い描写の積み重ねが少なかったから、ラスト手前のシーンに説得力がなかったな。人魚姫をストーリーとして引きずりすぎている。

開始一分から定期的に怖い。
印象的だったシーンは棺桶かな。棺の中のキョウコの目は見開くものだとは思っていたけど、それでも怖かった。『この目は絶対に開く、このあと襲ってくる』という恐怖の予兆そのものが最高に怖かったね。金縛りにあうような感じ。回避不可能、受け入れるしかない恐怖の恐怖加減よ。

初盤の展開が怒涛のホラー。
場面転換をしてもホラーが続くのが精神的にきついんだけど、でもホラー映画はそうあるべき。
納屋とか、現実に戻っても怖いわけよ。その空間がもはや怖い。そういうのが続くのはホラーの良条件だと思う。

経験を以てして完成する映画だと思った。
主人公が、ダイゴだと思わせて、キリコに変わっていくんだよね。
で、キリコの中にあるのはうさぎの人形の記憶。それと、新しい家族。
残念ながら、俺にはそういった経験がどっちも無かったからな~。特に、人形(あるいはぬいぐるみ)と過ごしたという記憶/経験が、意外にも俺には無かったのだ。
小さい頃に愛でていたぬいぐるみがひとつでもあれば感じ方は違ったのかもしれない。

特に、中盤以降の、恐怖の芽生える秘密がウサギのぬいぐるみだと判明してからは恐怖心はかなり薄れてしまったように思う。正体見たり、枯れ尾花。
そういう意味では、経験が掠らなかったのが残念でならない。

ただ、そういうところがうまく体験と映画が融合した人にとっては意外と唯一無二のホラー映画だったのでは、と思わせられた。
やっぱりホラー映画は覚悟がないと視聴できない。


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