🇦🇺30歳成人女性、海外でアルバイト探しの巻-無限無職編-🇦🇺その④〈無職によるストレスでおしっこを漏らしてしまった話〉
状況の悪さに私の「気難しい性格」が組み合わさり、アルバイト探しはドツボに嵌って行く感覚がありました。履歴書を送っても良くて1/10の確率の返信、数少ないチャンスなのに最後の最後で面接を突破出来ない自分への情けなさ。
気晴らしに外出する時間はいくらでもあるのに「無職のくせに電車賃使うて外出ら出来へんわ」といじけた気持ちになってしまい「どうせ外に出ることもないんやから」と風呂にも入らずテカテカの頭で引きこもる日々。もうこんなの役◯広司主演で「送れども送れども」という映画を作ってもらわないと割に合いません。キャッチコピーは-この日々に終わりは来るのか-にしましょう。字体は明朝体でお願いします。
そんなある日のことです。その夜、私はこちらで知り合い最近日本に帰国した友人とチャットをしていました。やりとりが楽しく夢中になっていたのですが、お供に温かい飲み物のおかわりが欲しいなぁと立ち上がった時でした。
「お茶淹れなおそ」
その瞬間、いきなり膀胱の残容量をぶっちぎり120%の尿意が私に襲いかかって来たのです。
「!!??」
椅子から立ち上がったもののケツを後ろに突き出し、体をくの字に曲げた状態から一歩も動けません。
「ひぃっ...ひぃ...!」
あかんあかんあかんこのままじゃ間違いなく部屋で放尿してしまうどうするどうすんの!!?
「ああああああ゛!!!」
何としても放尿を回避したい私は腹筋に力を入れてくの字のまま高速のすり足で部屋を出ましたが、あと少しのところで間に合わず。床を汚すことはなかったものの、完全に「お漏らしした」と分かる下半身になってしまいました。
「無」の状態で部屋に戻り友人にメッセージを送りました。私たちは直前まで彼女の新しい職場について話していました。
「おしっこ漏らしてもた」
「ところで新しい仕事はどう?」
「いや、私の仕事の話よりそっちに注目しよ?」
「いや、もう漏らし終わったから大丈夫やで」
自分でも何が大丈夫なのかは分かりませんでしたが特に焦りは無く心は凪ぎ、意外と冷静な私がそこにはいました。
誰しも心身の不調のサインというものがあると思います。蕁麻疹が出るとか食欲が無くなるとか。私の場合は「体が出している警告に気付かなくなる」というのが一つの目安です。
今までだと味覚が鈍感になり気付けば毎日カレー、平衡感覚が狂って真っ直ぐ歩けなくなったせいで左半身が打ち身擦り傷だらけ等がありましましたが、なるほど今回はそう来たか。
しかし失禁て。
もうちょっとこう、年齢とか社会的な立場とか考慮して欲しかったです。脱糞じゃないだけ有難いと思えということなのでしょうか。このままストレスを放置すれば脱糞にレベルアップするぞ、ということなのでしょうか。
結局後日もう1回漏らし、このままのペースで行くと10日に1回、今月中にあと2回失禁する可能性があることに気付いた私はおむつを着けることも検討しましたが「いやいや、1回おむつ着けてもうたら横着して一生漏らし続ける自信あるわ」と考えを改めました。それにあと90年もおむつ生活ってそんなのおまたかぶれ祭り確定ですよ(私は遺伝子の限界の120歳まで生きる予定です)
大人なんだから自分の機嫌ぐらい自分で取らなければ
ということで、完全に昼夜逆転していた生活を元に戻し、朝はベッドを整え太陽の光を浴び、外出の予定が無くても身なりを整えるようにしたところ、失禁から夜間頻尿に改善(?)し、何とか人間らしい生活を続けられています。
一段落したところで「何がそんなにストレスなんだろう?」と自分なりに振り返ってみました。心配性な私はしっかり貯金をしてきたので、あと数ヶ月は無職でいられるだけの蓄えがあります。日本には「困ったらいつでも頼るんよ」と言ってくれる母もいます。なのに何故?
きっと「お金を稼ぐ」というのは、私にとってそれ以上の意味があるんだと思います。「自分の食い扶持は自分で稼ぐことが出来る」状態が自尊心や自信に直結するタイプなのでしょう。私は※1助手席では無く、運転席でハンドルを握っていたい人間なのです。「望んでいないのに無職」という状況が私から自信を奪うのだと痛感しました。
〈続く〉
※1 ミン・ジヒョン著「僕の狂ったフェミ彼女」から表現を引用。再開したら「小煩いフェミニスト」になっていた初恋の彼女と主人公「僕」の2度目の関係を描いた小説。
※写真はとある日の晩ご飯です。卵焼きのためだけにフライパン出して洗って片付けるのが面倒くさ過ぎて、最近は小ちゃいカップに卵落としてまぜまぜ→とけるチーズぱらぱら→そのままチンして卵焼きもどきにして食べています。
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