新婚旅行さんいらっしゃい
兄夫婦(兄と、私の後輩)が新婚旅行の旅程の中で東京に来るというので、うちに泊まりにきてもらった。
当初はスケジュールの都合で後輩だけ先に東京に来て泊まる手筈だったのだが、兄も来られるようになったというのでソファベッド用の毛布と椅子を追加で購入した(一泊に本気を出す女)し、ケーキも焼いた。
後輩と東京ドームシティで待ち合わせ、ミュージカル忍たま乱太郎を共に鑑賞。二人とも初演は現地と配信でそれぞれ見ていたが、席も良く、内容もさらに良く非常に楽しめた。後輩とはすごく久しぶりなような気もするし、まったく久しぶりでは無い気もする。神クズ7巻のサイン会以来だから、約2ヶ月ぶり?だろうか?
普通に二人とも愛媛にいたとしてもそれくらい会うのが空くことはあっただろ!!!!!
東京愛媛間に別れてなおハイペースで会うな!!
ちなみに今日二人はは品川で解散し、兄はカードゲームの大会に行ったらしかった。新婚旅行の初日で別行動になることってあるんすね、と思ったが、私の両親も新婚旅行のアメリカで別行動(疲れゆえ)していたらしいので伝統の踏襲と言えるかもしれない。
兄を待つ間に後輩がスマホを階段から落とし、破壊した。
後輩が「これ机に置いといてさあ〜!兄くんがいつ気づくか観察しようよ!」と言い出して、私は(兄の楽しみ方をよくわかっているなあ…)と感心した。
兄は機械類の扱いがまともなので、私のバキバキのiPhoneを見るたびに買い替えろ!と説得してくるタイプである。
無事兄も合流し、iPhoneに絶望する顔を眺め、パフェを食らい、(星座をモチーフにしたカフェなのに誰一人星座に明るくなかった。なんで来たんだろう)(かわいいからです)
iPhoneの修理についてや最近の出来事についてあれこれと語り合う。
兄は先日、後輩が所持している神クズのサイン本にコーヒーをぶっかけてめちゃくちゃにしてしまったらしかった。
母が「肘樹にまたサインさせれば…」と提案したらしいが、
後輩は「いや、このサインは私がアニメイトの抽選を潜り抜けてあの場で肘樹ちゃんにサインして貰って持ち帰ったことに価値があるので…」と固辞したそうだった。立派な女である。
10年以上の付き合いではあるが、神クズのファンムーブをするときは完璧に身内としての自我を消している。スパイに向いているのかもしれない。
今夜は何を食べようか、という話になったが、私は一応新婚旅行なのでちょっといい飯を食べた方がいいのでは、と考え「駅前に美味しそうなイタリアンがあるんだよね、それかサイゼリヤ」と提案した。
結論としては「愛媛にはイタリアンはあってもサイゼリヤはないのだから、サイゼリヤだろうが」ということになった。愛媛県民としては非常にごく自然な結論と言えるだろう。
飯時まで3人でドクステの配信(初演のもの)を鑑賞。
二人とも真面目に「ビバ!サ~イエ~ンス!」のポーズをやっていて、なんていいやつらなんだろう…と思った。
連れ立ってサイゼリヤに向かい、なんでもかんでも頼んだ。1人でいつでもサイゼリヤに行くことができる身になった今ではあるが、一人だと量に臆してあれもこれもは頼めないのでガンガン食べられてうれしい。ワインを2本空けてしまった。
帰宅すると、私はスマホをサイゼに忘れていたことに気づいた。
当然のように兄が取りに行った。改めてなんていいやつなのだろう。
ちなみに私はこの日
①フードコートのお盆にスマホを載せたまま返却口に返す
②カフェのトイレに置き去りにする
③サイゼリヤに置き去りにする
となんと1日で3回スマホを紛失している。
ここまでくると立派なもんである。
スマホのガラスを割るのもそうだが、あまりにも粗忽者である己に慣れ切った人間は多少のことが起ころうとも「まっ、俺ならそう来ると思ったよ笑」程度のメンタルになってしまうのだ。
兄と後輩はそういった人間である私と10年20年付き合ってきた者たちである。
なんとラクなのだろうか。
その後はswitchで逆転裁判をやっているところを見せてもらった。
人がゲームをやっているのを横から見ることほど楽しいこともない。このために新婚旅行にわざわざswitchを持ってきているのだからすごい奴らだ。
聞くところによるとこの旅行にiPhoneをそれぞれ2台、あとipadも持ってきているとか何とか言っていて、私は「こち亀の電極一家か?」と思った。その割に記念写真用に使い捨てカメラも持ってきていて、かわいかった。
翌日目覚めた私は寝起き2分でタマネギを刻み、朝食を作った。いつもは起きてから30分くらいボケーとしているので、やるべき時にはやれるものだ。
後輩が明らかに手持無沙汰になりウロウロしていたので(これは傲慢でもなんでもない事実なのだが、後輩は私に…尽くしたいのである…)、「二人で牛乳とケチャップ買ってきてくれや!!」とコンビニへ送り出した。
私は何かしている時、人を待たせているとプレッシャーになるのでこれで良かった。車のバック駐車とかさ、見ないでほしくないですか?ヘタだからなのもあるけどさ、基本的にどっか行っててほしいもん。
見ないで!不得意分野に取り組んでいる私を。(黒執事13巻)
飯をあらかた作り終えると、玄関からガチャガチャと音がして二人が帰ってきた。
なんだか「自分が家にいて、誰かが帰ってきてくれる」の自体が久し振りでしみじみした。
朝食を食べ終えて駅へ送るために、メチャクチャ適当なTシャツ短パンにサンダルのまま外に出るととても涼しくて、秋が来たんだなあということと、二人がいるからこんな適当な格好で外に出てもなんら恐れることがないのだなあということの二つを感じていた。
私はかつて大学生の頃、洋楽の歌詞を自分で和訳する授業を取っていたのだが、ベリンダ・カーライルの「Heaven Is a Place on Earth」を訳した時があった。
別に今だってハタチとかそこそこの若者ではあるけど、今までもそしてこの先の人生も誰とも付き合うビジョンがまるで見えないなあ、この歌の「前は怖かったけど、あなたに会えてもうちっとも怖くなくなっちゃった」というような満ち足りた幸福と肯定は得られないんだろうなあ、という諦めにあまりに悲しくなり、授業中に1人でぼろっと泣いてしまったことがある。
そう悲観することでもあるまいよとも思うが、私にとっては辛いことだったのだ。私は恐らく、ひとの人生の路傍に現れるチンドン屋にはなれたとしても、共に過ごしてゆく人間にはなれない。
しかしながら、二人と歩いて、駅のホームに消えていくのを最後まで見つめながら、何も怖くないというのはこういうことなのかもな、兄も後輩も私のことをよく知っていて、肯定してくれて、あるがままに気兼ねなく振舞うことができるのが、幸福なのかもなと思ったのである。
ちなみに、ヘッダーは「愛媛土産」として二人により密輸されたカール。