ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第九話「追走の回廊 後編」 U.C.0083

少年達と少女の決意。そしてジム・ピオニアが目覚める。

U.C.0083 6月
暗礁宙域 岩礁回廊

「よし……よーし!まだ生きてる!」

 ホス・シャークス少尉はコクピットシートで快哉を叫んだ。 
 ホス少尉のジム・ピオニアはシュツルムファウストの直撃で小破した。シールドは左腕ごと吹き飛んだが、幸いなことにコクピットブロックの損傷は軽微だった。頭を素早く動かし操縦キャビンをざっと見まわす。エアーの流出はないようだ。生命維持装置に異常がない旨を知らせるグリーンランプが目に入り、自然と息が漏れた。

 正面モニターは暗い。メインカメラかCG補正側の不具合が見て取れる。サブカメラ映像への切り替えが始まっていた。止めを刺されていない今、一刻も早く外部の様子を知らなくてはならない。手負いの敵機を放っておく馬鹿が戦場にいるものか。
 同時に自機の状態を把握しようと片目で外部モニターと熱源・赤外線モニターを、もう片方の目でメカニカルヘルスチェックの表示を追いかける。死ぬ気になると人間は器用になるものだ。

 極東戦線からこっち、潜った死線は一つ二つではない。この程度で取り乱していたら今日まで生きていなかった。ホス少尉は、一年戦争で刻み込まれた「生き残る力」を信じている。自分が兵士として戦ってこられたのは、生を諦めなかった故だ。
 この程度、ザクとグフに追い回されジャングルを逃げ回った二日間に比べれば、まだまだ優しい窮地に思える。そんなことを考えられる程度にホス少尉は余裕を取り戻していた。

 ヘルスチェックモニターの応答は想像より深刻だった。推進剤の漏出、誘爆の恐れがなく推進系ダメージは深刻でない。しかし駆動系の損傷具合が危うい。防御姿勢のおかげで行動不能に陥る事態は避けられたが、戦闘は到底無理だろう。爆発の衝撃で股関節のマシンストレスが許容度ギリギリなのだ、四肢を振って姿勢制御を行うAMBAC機動が使えない。つまりスラスターのみが頼りだ。

 辛うじて右腕が動くとは言え肘から先のモーター出力は半分以下である。これではマシンガンの反動抑制ができないばかりか、ビームサーベルを振るうことすらままならない。

 そこまで理解したところで、周辺に敵も味方もいないことに気が付いた。オッゴは見えない。ザクもいない。後ろについていたはずのマモル機すら見つからない。

「ちっとまずいな。流されちまったか?」

 不自然な静けさは危機が去ったことを伝えてはいなかった。ともあれ、今は下手に動く方が危険と判断し、メインカメラの復活を期待して一部機能の再起動を優先した。ジム・ピオニアは月管区工廠製のジムヘッドにより光学観測機能を強化されている。再起動できれば生存の可能性は高まると思えた。


 “RGM-79Pa ジム・ピオニア”の頭部は、情報処理装置の大型化に加えピオニーユニットと新たに冷却用触媒を搭載する都合で60mm回転多砲身式機関砲、いわゆる“バルカン”が装備されていない。近接防御火器の不足はパイロットとしては不満だったが、誘爆を避けられたのなら却ってよかったかもしれない。

 メインカメラ再起動のコマンドを実行するが即座にエラーが返された。二度目のエラーが返ったところで、観念してコクピット内の該当する基盤を抜き出し差し込み直す。こういうところは旧式のエレカーと変わらないんだよな、と、状況に似つかわしくないくだらない感想を抱いていたが、結果はエラーの質が変わっただけで再起動は失敗した。

 ヘルスチェックモニターの応答を信じるならヘッドユニットは無事なはず。どのみち敵に見つかれば蜂の巣なのだ。運を天に任せてメインシステムの再起動を試みる。しかし、それすらエラーが返ってきた。

「どういうことだ!? パイロット権限の強制コマンドがエラーだと?」

 エラーメッセージはコマンドが拒絶された旨を知らせている。MSのオペレーティングシステムには生命保護の点から幾重にもプロテクトが施されているが、最上位命令としての搭乗者コマンドを拒絶できるケースは限られる。数少ない例外を除いて、パイロットが再起動を命じれば速やかに応じる。連邦製MSに共通する設計のはずだ。

 それが拒絶された。不具合やバグなんてものじゃない。パイロットコマンドよりも権限の高い何かが、『根拠を示さず』にOSの要(かなめ)に対してNOを突き付けているようだ。
 こんなことは初めてだ。大戦中の仕様よりも遥かに信頼性の高いジム改を母体にしているなら、こんな事態は稀なはずだった。

「要するにいかれちまったって訳だ。 はーあぁ……まいったね、こりゃ」

 現状のまま帰艦を試みるしかない。敵に見つかればまず助からない。燃焼光の目立つメインスラスターは諦め、脚部とサブのスラスターを慎重に使いつつ、大き目のデブリを蹴って進めば目立たず移動できるかもしれない。

 推進剤を節約しつつ、回廊側に近寄らないよう、極力最小の動きで母艦を探す。最悪のケースとしてケセンマにMIA(ミッシング・イン・アクション 戦闘中行方不明)認定されていた場合、漂流を覚悟しなければならなかった。

「生きるってのは大変だ。 大変だよ、まったく」

 生き残る。刻み込まれた決意がホス少尉を支えていた。
 その決意を、彼の心を見逃すまいと、ピオニアは一瞬も止まることなくホス少尉をモニタリングしていた。


同時刻
暗礁宙域 岩礁回廊 回廊内

 マモル・ナリダ曹長は二機のザクⅡF2型から逃れるため回廊へ入ってしまった。こうなったらやるしかない。ケセンマへ戻ればザクを連れていく羽目になる。真っすぐ向かう訳にはいかない。応援が来るまで耐えてみせる。
 そのために、敢えて接近戦を挑む覚悟を決めた。得意の射撃戦は距離が取れるが回廊内で速度を落とせば命取りだ。見晴らしが良すぎるのだから狙い撃ちにあう。それこそ敵の思う壺だ。

 ビームライフルを持ったまま敵に背を向け回廊へと逃げ込んだ。案の定、ザクは速度を上げてこちらを追い込んでいる。マモル曹長はオイカワ少尉が月面で見せた接近戦を思い出していた。彼の見事な剣さばきは目に焼き付いている。足を止めない。常に回り込む。敵の斬撃をいなすように、受け流すように。

 自分にもできるだろうか。あの時は味方が五機、今は一対二。シチュエーションが違う。だいいち接近戦の場数が違う。

 ビームライフルを連射モードに切り替え全弾撃ちきる覚悟を決めた。仲間が来るまで弾はもたないだろう。一機をけん制しながらもう一機に斬りかかる。二種類の攻撃を同時に行うのだ、自信なんてあるはずがない。それでも、やるしかないのだ。


 マモル曹長の駆るジム・ピオニアもまた、コクピットシートに座る搭乗者の“心”をモニタリングしていた。

 敵意がどう“見える”か――ピオニアはもう“知って”いた。
 自らがピオニーユニットだった頃には知り得なかった「心」という“波”が、今はとてもよく見える。故に知らなければならない。敵意と、それ以外を。殺意と、それ以外を。絶望と、それ以外を。その見分け方を。

 乗り手が発している「恐怖」「」「」「」「」「」………………
 乗り手が受け止めている「恐怖」「焦燥」「」「」「」………………

 その“波”の名をピオニアはまだ知らない。分類するためにラベル付けを試みた。

 パイロットが抱いている「恐怖」「-」「--」「---」「--'」………………
 パイロットが感じている「恐怖'」「恐怖''」「--''」「焦燥'」「焦燥'’」………………

 パイロットの思考が加速する。思念が渦巻く。波は高くなる。別の波が凪いでいく。心は複雑だが観測できた。数値化できた。変化はトレースできる。それが何を意味するのか、価値判断はまだできない。ファクトを集積し、解析し、分類を試みる。類例を形作るため、テストケースを生成するため。あるいは、いつか模倣するために。

 波がうねる。交差する。激しくぶつかる。位相がずれる。かと思えば重なり大きくなる。絶えることなく浮き沈む。心拍、血流、発汗、神経電位、パイロットスーツへの逆圧、スロットルの操作速度、操作精度、視線、判断に要した情報の数・種類・順番、それらを認識した前後の脳波、消極的挙動、テレメーターが記録した凡そ全ての数値が波を形作る。

 僅かな波紋も見逃さない。ピオニアは休むことなく、見つめ続けていた。


1分後
暗礁宙域 岩礁回廊 サラミス改級ケセンマ

「爆発と思しき地点からジムのスラスター光を確認。回廊へ入った模様です」

「聞こえたか少尉、はめられたようだ。本艦は可能な限り捜索を行う」

「承知しています。 マリアは俺と回廊へ。キッシンジャーは捜索を!」

 ケセンマ側方警戒位置からアーサー・ドーラン少尉とマリアンナ・ジーノ曹長が、直掩位置からヤスコ・キッシンジャー曹長がそれぞれスラスターを噴かして飛び出していく。ケセンマから離れるとあっという間に通信が不安定になる。暗礁地帯もここまで潜ると近距離通信以外使い物にならなかった。

 回廊内にスラスター光が三つ、目まぐるしく動き回っていた。

「マモルの方だ! よく堪えてるじゃないか」

「隊長は行ってください」

「頼めるか?」

「足場には困りませんからね。 使いこなして見せますよ」

「背中は任せたぞ、マリア」

マリアンナ曹長は、マモル曹長が使っていた狙撃用アタッチメント装備のビームライフルで支援を行う。彼女には何度も背中を預けてきた。だからこそ目の前のマモルへ迷いなく飛べる。
 援護射撃と伏兵への警戒をマリアンナ曹長へ任せ、アーサーは90mmマシンガンを連射しながら回廊へ飛び出した。


ムサイ艦 大気圏突入カプセルコムサイ内 サイコミュ・モデレートシステム

 回廊を進むムサイ艦は艦首から大気圏突入用カプセル「コムサイ」を切り離す直前だった。コムサイのカーゴスペースにMSは一機も残っていない。スペースの半分は巨大な円筒形の機械で占められている。MSを収納する余裕は始めからなかった。
 ザクのパイロット達はコムサイへ戻ることを許されていない。少年たちは、コムサイに搭乗した十数人の子供たちを守るため戦うのだ。兵隊ですらなかった幼い少年達は、同じ境遇にある更に幼い者達を兄のように守っていた。連邦から、ジオン残党から、クェイカー大尉から。

 地球へ行けば幸せになれる、そう聞かされて過ごしてきた。MSで戦闘を強制する男の言葉が信頼に値しないことなどとっくに気付いていた。それでも弟妹達が安全な暮らしを手に入れるため、過酷な月より遥かに安全な地球へ降ろすために、戦う覚悟を決め出て行った。自分はそれが叶わないと知りながら。

 そんな心を受け止め続けたモデレーターの少年は、虚ろな目でシートに縛り付けられている。彼の心は少年たちの悲しみと諦め、襲い来る敵意に晒され、自分と他人の思考が混濁してしまった。

 彼がモデレーターの役目を担えなくなったと知るやクェイカー大尉は筒状の機械から彼を降ろし、さっきまで操艦・索敵を担当していた少女を機械の前へ連れてきた。彼女は彼の次に年長者だった。
 自分も彼のように物言わぬ廃人になるかもしれないと恐れながら、彼女は筒へ入ることを拒めない。幼い弟妹達の前では。

「安心してください。情報の伝達先は私一人ですから負担は軽いはずですよ。
「もっとも今回は狙撃がメインですから、モデレートは切れ切れで構いません。無理しないでくださいね。
「あと一踏ん張りです。  みんなで地球へ行きましょうね」

「…………」

 少女は俯いたまま無言で頷いた。

「あなたは良いお姉さんだ。 弟たちを守ってあげましょう」

「はい……」

 少女は弱々しく答えて上目遣いにクエィカー大尉を伺う。視線の先のクエィカー大尉から表情は消え去っていた。足早にモビルスーツデッキへ向かっている。そうすることが当然であるように、躊躇いなく歩き出した。少女への配慮は終わったのだ。後は結果で評価される、冷たい時間の始まりだ。

 戦場に送り出された兄弟達も帰還した者は褒められた。死んだ者へかける言葉がなかっただけだ。生きている間は殺されない。死ぬほど辛い目にあわされはしても、殺されることはなかった。モデレーターの務めを果たせなくなった彼とて、他の大人達のように殺処分されていない。地球で治療できれば以前のように笑って話ができるかもしれない。

 少女は大尉を信じていない。だがあの男が子供たちを手にかけたことがないのも事実だ。

 地球へいく。そして幸せになる。脱走でも反乱でもなんでもいい、地球へ降りられればその先はきっと明るい。
 後一度だけ、あの円筒の中で敵意の奔流を耐え忍べばいいのだ。少女は覚悟を決めて筒へと入っていった。


ムサイ艦 モビルスーツデッキ パイロット待機室

 パイロットスーツに着替えたクェイカー大尉がサブブリッジへ通信を入れたとき、艦長席に座る男は自分が生き残るものと信じていた。艦橋では操艦を被検体の少年少女に任せていた関係で、特殊なインタフェースを通さなければ操艦が出来ない。通常通りのコントロールはサブブリッジからしか出来ないようになっていたが、これはセキュリティ上の都合と説明していた。
 ニュータイプ部隊の特殊性からムサイ艦はクルーの数が少なくて済むように様々な改修が施されている。しかしサブブリッジは手付かずだった。

「艦長、私が出撃するまではコムサイからの操艦を続けます。その後は――――――手筈通りに」

 クェイカー大尉はわざと大袈裟にためを作って艦長と視線を通わせた。彼に真意が伝ることなどないと確信していたが、何かを期待せずにはいられなかった。いつもの悪癖だ。艦長と顔を合わせるのもこれが最後と思えば、ヒントの一つもくれてやろうと思えたのだが……期待に応えてくれるような男なら切り捨てたりはしない。

 見飽きた無思慮な面が笑んだところで、良心の呵責は消え去った。この男は面白くならない。ならば派手に散らせてやろう。武人ならば戦いの中で死にたかろうて。


 キシリア閣下統治下のグラナダ工廠で製造されたジオン公国軍主力量産機 “MS-14A ゲルググ”。幾度も改修を施した機体は、受領した当時の原形を留めていない。しかし連邦軍が接収したジオン軍MSのための純正規格品相当パーツによりチューンナップされている。

 元々ゲルググは完成度と拡張性の高さから新兵でさえ扱える「バランスの良い高性能機」としてロールアウトされたMSだ。しかしながら敗戦の折グラナダ基地から持ち出した様々なMS部品を使いまわしつつ運用してきたため、今やクェイカー大尉しか乗りこなせないピーキーな機体に成り果ててしまった。

 だがデラーズフリートがジャンク品からかき集めた再生モビルスーツなどより余程信頼できる代物だ。特にジェネレーターとスラスターは統合整備計画規格品に統一されている。ニューアントワープ地下秘密工場でアセンブリしたMSと比較にならない出来だ。これ一機で巡洋艦を撤退させたこともある。


 愛機を見下ろしながら別れを惜しむクェイカー大尉。作戦が成功の暁には捨て去る運命の機体に哀愁の念を抱いていた。ゲルググとの別れに寂しさを覚える自分が少し可笑しく、これこそがオールドタイプの執着心であると気付き、今更ながら哀愁の念を溜息と共に吐き出してみる。
 閉じた瞼を開いてみれば、そこにあるのは一機のMSでしかない。

 太古の昔より人類は物に心を寄せてきた。愛車、愛馬、愛犬。どれも替えのきく物品に心を通わせようと夢想してきた。家族や隣人とさえ通じ合えない者達がだ。実に滑稽な話ではないか。
 今の自分もそうなのだと、すなわち、これこそオールドタイプなのだと理解したところでクェイカー大尉はゲルググへ乗り込む。

「MSを活かして見せるのがパイロットなのですがね……」

 MSに“生かされて”きたとの思いが未だ拭えない。試練なのかもしれない。こうして一つずつ捨ててゆくのだろう。オールドタイプの此岸から、ニュータイプの彼岸へ漕ぎだしたばかり。この先の試練に思いを馳せると心が沸き立つ。人類が歩むべき試練の道を先往くのだ。誇り高き道行きだ。ならば歩んで見せよう。捨て去ってみせねば。

「クェイカー・モウィン、ゲルググ発艦いたします」

 クェイカー大尉の駆るゲルググがムサイ艦から発進した。無思慮なるオールドタイプを葬る策を、両の腕に携えて。


ムサイ艦 モビルスーツデッキ パイロット待機室

 クェイカー大尉の出撃を見届けた後、三人の少年たちはコムサイの連結ハッチへ飛び込んだ。中には幼い少年少女が集まっている。クェイカー大尉がいない今を置いて、子供たちと自由に話せる機会はない。最後の機会かもしれなかった。疲労や錯乱で隔離されていた数人の子供も、いまや枷を解かれ自由にしている。
 乗り込んできた少年たちの顔を見て皆一様に明るさを取り戻した。

「ルイーズは?」

 パイロットスーツの年長の少年が、少女の所在を気に掛ける。

「お姉ちゃんは筒だよ。まだお仕事なの」
「あと一回って大尉が言ってた。みんなで地球へ行くときはキャビンに来るって」
「お兄ちゃんお仕事終わった?戦争もうおしまい?」

 人懐っこい笑顔を取り戻した子供たちは兄と慕う三人の少年に飛びついてはしゃいでいる。何人かは壁にもたれかかったまま指一本動かさない。視線が交わると、瞬きの回数が増えた様子を見て取れた。言葉を紡げなくなっても心は死んでいない。感情を向けてくれたことが分かって、少年達は優し気に大きく頷いた。

「もう一度お仕事に行ってくるからね。そうしたら地球まで一緒だ」

 すぐさま幼い少女が不機嫌を露わにする。

「地球までじゃないでしょ! ずっと一緒でしょ!」

 彼女の発した一言が三人の少年の胸を抉る。少年達は笑顔を崩すまいと必死だった。平静を装うが今にも涙が零れそうだ。失いかけた人間性、零れ落ちていくだけの心をいとも容易く繋ぎとめてしまう。少女にとっては当たり前の愛情。だからこそ、気丈にふるまって見せねば。これが今生の別れになるとしても。

「そうだね…… ずっと一緒だ」
「地球へ行ってみんなで一緒に暮らすんだものな」
「だから、お仕事……がんばってくるね」

 少年たちは流れ落ちそうな涙を必死にこらえ、瞼に貯めこんで、行ってきますの挨拶をした。
 壁にもたれかかったままの男の子が首を必死に伸ばして彼らを見つめている。泣いているのだ。もう会えないと分かってしまったのだろう。顔面は少しも動かない。しかし心が泣いていることを、その目が訴えていた。

 少年の一人が堪らずふり返り駆け寄った。思わず抱きしめてしまった。彼をここまで追い込んだのはここにいるの誰の責任でもない。頼れる大人のいない境遇で生き延びなければならなかったのは、決して自分のせいではない。それでも、謝らずにはいられなかった。守ってあげられなくてごめんと。

「あーずるい! 僕も抱っこして!」

 子供たちが群がってくる。堪えたはずの涙があふれ出て、無重力の室内に丸い雫が飛び散った。結局三人の少年たちは子供たち全員と抱き合った。そうして覚悟が固まった。

 行ってきますと手を振って、三人の少年はモビルスーツデッキへ戻る。振り返ったら決意が揺らいでしまうかもしれない。だから前だけを向いて、顔を上げ、各々が互いの視線を感じながらザクの前まで戻ってきた。


「行こうか」
「うん」
「がんばろう」

 少年たちは最後に顔を見合わせる。三人とも目を真っ赤にしていた。それを笑う者などいなかった。

 クェイカー大尉が出撃した後、ジャスルイズからの合図を待って敵艦を挟撃する。母艦が沈めば敵は行き場を失う。航行不能にするだけでもいい。MSの推進剤で追撃は不可能だ。今回はクェイカー大尉も戦闘に参加する。きっと勝てる。

 間もなく作戦予定時刻。三人のパイロットはコクピットで出撃合図を待っていた。


岩礁回廊 対岸 ムサイ級巡洋艦ジャスルイズ

 艦長席に座るローズウッド少佐は、モニターが映すジムの動きを追っていた。ジャスルイズMS部隊の元ひよっこパイロット達はザクⅡF2型を駆り敵を回廊まで追い込んだのだ。
 宙域に仕掛けた無数の監視プローブが情報を経由して、オッゴの撃墜を知ったのが数分前。せめてMSを与えてやれていたら……「貴様の死は無駄にせぬぞ」と部下に聞こえるよう呟いて、ローズウッド艦長は号令をかける。

「これより作戦を第三段階へ移行する。主砲が頼りだ、頼んだぞ砲雷長。
「ザクⅠは観測プローブとの最終確認を。
「聞こえているな軍曹!クェイカーが艦を動かした後でいい。 景気よくな!」

 ローズウッド少佐は上機嫌だ。作戦は順調である。オッゴと二機のザクⅡが敵機を回廊へ追い込む。回廊を挟んで対岸の岩礁帯からジャスルイズが主砲を放つ。クェイカーの艦がこれに続いて、回廊の先から援護射撃を行う。回廊内のモビルスーツはこれで仕留められるはずだ。
 敵艦が引くならそれでよし。進んでくればその時は、伏兵の狙撃で血祭りにあげるのだ。

 あとはクェイカーの処分だが、これは慎重を期さねばなるまい。奴の艦が回頭してからが仕掛け時だ。本命の射線を明かしてはならない。連邦もろともクェイカーを葬る。目障りな不忠者の断末魔を想像して踊りだしたいくらいだった。


岩礁回廊 地球側 ムサイ艦近傍

 ゲルググは右腕に大型のウェポンコンテナを携えて対岸へ向かう。ローズウッド少佐の企てには概ね見当がついていた。大方もう一隻潜んでおり奇襲してくる。そんなところだろう。サイコミュ・モデレートシステムの控えが一人となってしまったため、モデレーターを索敵で疲労させるのは愚策だった。

 岩礁回廊はデラーズフリートの縄張りに違いない。だが奴らは知らない。ここはアナハイム・エレクトロニクス社も注目しており、連邦軍に情報を流し、時に自ら餌となって意図的に戦闘を誘発したのが、アナハイムの意を汲んだクェイカー大尉その人だったことを。

 奴らがいつ誰と戦っていたかはアナハイム社がモニターしていた。無論クェイカー大尉の知るところでもある。ローズウッドの大言壮語が虚偽であることなど承知していたのだ。
 たしかに奴らは岩礁回廊最外縁部の警戒にあたっていたが、戦闘は他の艦が主導していた。ジャスルイズは後ろに控えていたにすぎない。実戦経験豊富などとよく言えたものだ。


 それゆえ奴等が取る手段は絞れた。ローズウッド少佐が示した挟撃ポイントは、過去連邦軍が被害にあった空域から遠くない。ご同輩の手を真似てこちらをはめる腹積もりらしい。無能らしい捻りのない策だ。
 そんなことを考えていたら案の定、通信プローブに噛ませた中継器から伏兵の居場所が割れた。

 クェイカー大尉は自らの考えを改めた。あの無能も心底馬鹿ではなかったようだ。そこにいたのは戦艦でも巡洋艦でも、ましてやMS隊でもなかったのだ。

「考えることは同じでしたか。 私もまだまだ甘いですねえ。
「見直しましたよ、ローズウッド少佐。 その手に乗らせていただきましょう」


 邪まな笑みを湛えたクェイカー大尉は、ゲルググの右手の可搬式ウェポンコンテナから長距離ビーム砲を取り出すと、漂っている大き目のコロニー外壁デブリに固定する。
 コンテナに入りきらない為、左腕で牽引してきた外付けジェネレーターをビーム砲に接続しながら、回廊内の戦闘光が激しさを増している様子を眺めていた。

 もう少し粘ってくれと願いながら、ゲルググと長距離ビーム砲のジェネレーターを接続する。ゲルググ側で初動をかけてやると、ほどなくビーム砲の外付けジェネレーターが作動し安定稼働を始めた。状態はすこぶる良好だ。撃ち損じることはないだろう。

 ビーム砲に取り付けたサイコミュアンテナを目いっぱい広げその場を後にする。


 クェイカー大尉は自信満々に、獲物たちの待つ回廊へと躍り出た。




――第十話へ続く

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