ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第拾壱話「共振」 U.C.0083①

ジャスルイズMS隊を倒したアーサーの前に、遂にクェイカーが立ちはだかる。
思考を追い越すコンマ数秒の輝きが宇宙を照らし、新たな力が目を覚ました。

U.C.0083 6月
暗礁宙域 岩礁回廊 回廊内

 アーサー・ドーラン少尉は “RGM-79Pa ジム・ピオニア” の性能に確かな手応えを覚えていた。ジオン軍残党と渡り合うのに十分な力だ。マモル曹長が一機、連携で更に二機撃墜。たった今臨んだ一騎打ちも、ピオニアの運動性が勝利をもたらした。

 現状の問題は機体性能よりも数だ。追討作戦は情報部に牛耳られ、月艦隊が動けない。地球軌道艦隊が待つのは岩礁回廊を抜けた先。後ろに味方は居らず、高密度デブリ帯に挟まれ両岸から狙われ放題だ。残党の罠が待ち受ける宙域をたった一隻、MS五機で駆け抜けている最中。楽観できる状況ではない。
 一騎打ちの勝利を噛みしめる間もなく、新たなMSが地球を背にして現れた。機種特定は不完全、映像解析は「ゲルググらしい」といっている。シルエットとスラスター燃焼光がデータベースと一致しない。急ごしらえの改修機かもしれないが……。よりにもよってゲルググとは。ビーム兵器を標準装備するゲルググの脅威度はザクやドムを大きく上回る。
 もう一戦避けられそうもない。残弾、推進剤ともに余裕はあった。援護なしに連戦は危険と考え、ムサイ艦を後回しにして岩礁から離れる。

 それにしても、次から次へ湧いてくるものだ。ザク、戦闘機のようなMS、そしてゲルググ。これで終わりということはあるまい。例のムサイ艦の他にも母艦がいると見るべきだろう。
 二隻以上のMS搭載艦……仮にムサイ級二隻が定数いっぱい十二機であれば、残るは七機から八機といったところか。戦力を節約してじわじわ削り、温存したMSでこちらの母艦を沈める腹かも……。パプア級など補給艦をMS母艦とした例もある、敵戦力の底は見えていない。

 しかし一気呵成に攻めてこない所を見るに、攻めたくても攻められない事情がありそうだ。敵はMSの損失を過剰に恐れているか艦を晒したくない、艦隊連携が不十分な可能性などが考えられる。補給の乏しいゲリラなら、MSの損失こそもっとも避けたいはず。
 既に回廊内でザク三機、浅瀬で撃ち落としたザクも含めれば四機撃墜している。敵は敵で及び腰かもしれない。決して楽観できないが、八方塞りというほど悪くもない。
 決断が難しい局面だった。一手間違えば大失態、最悪全滅もありうる。

――ムサイの同定だけでもしておきたかったが……。
――ホス少尉とケセンマが気になる。一度下がろう。

 マモル曹長が待つ回廊中ほどまで後退し、キッシンジャー機を戦線へ上げればまだ余裕はある。三機でかかれば敵艦の主砲を警戒しながらでも対処可能だろう。マリアンナ機が露見していない今なら、三機で囲んでスナイパーライフルの射線に追い込める。
 だがホス・シャークス少尉発見の報は未だなく、ケセンマの直掩機に味方機捜索を任せている現状、下がる方が危険でもあった。定石なら母艦の傍でメガ粒子砲の火力をあてに戦う手もあるが、ことケセンマに限っては当てはまらない。MS搭載能力を増強した代償に本来六門あったはずのメガ粒子砲は二門へ減少している。ミサイルと機銃では力不足。被弾の機会を増やしてまで戦線にあげるべき艦ではないのだ。

 やはり頼れるのはマリアンナ曹長の狙撃か。ザクと戦うマモル曹長の傍までゲルググを連れて戻り二対二、振り出しに戻ってしまうが……仕方ない。戦場なのだ、都合よく事は運ぶまい。

 回廊内で爆光を観測したのはそんな時だった。撃墜が、ザクかマモル機か分からない。サブカメラ映像が乱れている。最悪の想像が頭をよぎった。マモル曹長を一人にしたのは自分の責任だ。アーサーはゲルググへの対処を投げ出して回廊内へと向き直る。

 メインカメラが生き残ったMSを捉えると、ややお行儀よいスラスター燃焼光とジム・ピオニアのシルエットが映し出された。マモル機は早くもゲルググに気付いているようで、既にビームライフルを放っている。思わず息が漏れた。戦場の真っただ中だというのに安心してしまう。

――まったくもって優等生だな。 よかった。

 途端に後悔が心を占める。もしも生き残ったのがザクだったら。己の甘さが部下を殺すところだった。自分の戦闘部隊長としての資質には問題がある。グラナダで細面の官僚に指摘された通りだ。一体何をやっている、部下を連れ帰るんじゃなかったのかと、戦闘中にも関わらず自己批判が渦巻く。
 アーサーは決断した。敵艦捜索を切り上げ回廊内で敵MSを殲滅する。マモル機へ接近しつつ、取り決めた合図を混ぜた小隊連携マニューバーでマリアンナへ狙撃指示を出した。スナイパーの強味を最大に発揮できるのは、射手が露見する前の第一射のみ。確実に仕留めるには敵の足を止める必要がある。足止めは自分の役目だ。もっとも危険な役は自分が受け持つ。敵を引き付け、射線へ誘い込む。アーサーは三度、腹をくくった。


回廊内 地球側

 クェイカー・モウィン大尉が辿り着く前に、ジャスルイズMS隊が壊滅しかけている。長距離ビーム砲“フュアゲルト”設置の際に発見した伏兵を除いて、全てのMSが撃墜されたようだ。なんと情けない有様だろう。ローズウッド少佐、ジオンの面汚しめ。逃げ出すようならこの手で葬ってもよいが、放っておいても連邦が沈めてくれそうだ。

 急に気が削がれてしまった。こんなことならフュアゲルトは連邦艦から狙撃すればよかったではないか。楽しみを優先したのが仇(あだ)になってしまった。子供っぽい己が嫌になる。ニュータイプ失格だ。

 サイコミュ・モデレートシステムはモデレーターからパイロットへの一方通行のため、攻撃対象の変更指示は届かない。岩礁帯なら露見するまで数発撃てると思えばこその射撃試験だが、機会を逃してしまいそうだ。
 考えつつも今一度サイコミュ・モデレートシステムの調整作業を振り返ってみる。筒に押し込んだ子供たちは、敵と味方双方の思考を覗き見ている。サイコミュの逆流が軽微にも関わらずモデレーターが潰れた原因はそこにある。そう、呼びかけが不可能とは言い切れない。

 サイコミュをモビルスーツに搭載できない理由は、出力不足と感応波増幅装置のサイズに起因する。サイコミュ・モデレートシステムは一方通行のサイコミュ通信実用化システム。既存のサイコミュのまま、出力問題に焦点を合わせて解決を図ったシステムなのだ。MS側は受信機能に優れる代わり発信機能はない。
 だがモデレーターはクェイカー大尉の思考を覗き見るはず。やってみる価値は、ある、か。

――感応波の共鳴。研究所の試験だけですが覚えていますよ。
――当たればよいのですが。はてさて。

 クェイカー大尉はジム二機からの射撃を余裕で躱しながら、切れ長の目を薄く閉じる。思考をリセットし、筒の中の少女を思い浮かべる。名前はなんといったか……ルイ、そうだルイーズ。子供たちはそう呼んでいた。被検体の名前などいちいち覚えていないが、使用頻度の高い個体は思い出せる。

 サイコミュ・モデレートシステムとの親和性が最も高い少女ルイーズ。他の被検体が三分弱で音を上げる中、彼女は六分も耐えて見せた。結局誰一人実用レベルに達しなかったが、彼女が最大効率で稼働すればこの一戦、いや地球降下作戦の成功率は飛躍的に上がる。
 本音を言えば降下直前まで温存したかった。しかし量産型アクト・ザク三機とゲルググだけで回廊を抜けられるか怪しくなっている。先のことは、回廊を抜けてから考えればよい。

 ルイーズからの視線を感じない。まだ覗いていないか……いや、違う。クェイカー大尉のニュータイプ能力が弱いので感じ取れていないのだ。クェイカー大尉は己の力不足を噛みしめながら彼女のイメージに向けて語り掛けた。

――ルイーズ。 ルイーズ聞こえていますね。視ていますね?
――連邦の艦を探して狙撃しなさい。ジャスルイズは後回しです。
――兄弟たちを守りなさい、ルイーズ。

 ルイーズがクェイカー大尉の思考を「視て」いればリアクションを寄こすはず。返事を待つ間、幾度も虚空へ向かって呼びかけた。ルイーズ、ルイーズと。失敗作の人工ニュータイプは、戦いながら祈るように呼び続ける。一度も口にしなかった少女の名を……。


回廊内 ジム・ピオニア マモル・ナリダ機コクピット

 マモル・ナリダ曹長がジム・ピオニアの真価を目の当たりにしていた頃、隊長はムサイ艦の直掩機を切り捨てていた。突撃格闘戦の名手アーサー・ドーラン少尉、彼が一対一で負けることはないと信じていた。隊長には “tactical proposal(戦術提案) α” なる未知の機能などなくとも、勝ち残る力があるはずだから。

 マモル曹長は乗機への不信感が拭えないでいる。不安といった方が適切だった。ジム・ピオニア受領時の機種転換講習の際、“戦術提案α”なる機能に関し説明はなかった。未来予測、強いて挙げれば太陽フレアの天象予報だがMSの射撃管制とは別次元。話にならない。

 前大戦時、ジオン軍が超能力兵士を実戦投入したなんてのはホワイトベース隊をニュータイプ部隊と祭り上げて部数を伸ばしたメディアのでっち上げだ。大衆が好みそうなオカルトの正体が、未来予測を限定的に再現可能なプログラムを指していたのなら……これだってそうした技術の一つ、連邦ジオン双方が研究に勤しんだ成果なら……恐れることはない。思い込めば不安が軽くなる。マモル曹長は拭い去れない不信感のやり場を見つけて、心を落ち着かせるよう努めた。

 戦術提案αのインタフェースはモニターから消え去ったが、いつまた現れるかしれない。常駐されれば戦術判断に差し障る。邪魔だ。そう思えば未知の力より、眼前の隊長機がよほど頼もしく見えた。同じ釜の飯を食った戦友、背中を預け合った生身の人間だからこそ信じられる。
 アーサー少尉は死なせてはいけない人だ。足を引っ張らないよう全力でサポートしよう。マモル曹長は戦術提案αを頭から消し去りたがっている。彼の不安が隊長への信頼・期待を膨らませていた。


ジム・ピオニア マモル・ナリダ機 学習型コンピュータ “CHLOROS”

 パイロットの脳波が変質した様子を認め、ジム・ピオニアは通常稼働に戻った。神経電位と血流量に顕著な変化が認められた。集中の極致ゾーンからは脱したようだ。
 ピオニアがマモル曹長を一度認めた程度でCHLOROS(クロロス)の封印は解かれない。CHLOROSの全機能をもってしても操縦を乗っ取るなど不可能だ。それゆえ“戦術提案”なのである。

 戦闘補助OS・CHLOROSを使いこなすとは、瞬時に間違いのない判断を下せることを意味する。未完成ゆえに、誤った予測を提示する可能性すら秘めているCHLOROSを、極限状態で跳ね除ける精神力が要求される。迷っていてはCHLOROSに追いつけない。操縦技能・判断力・思考速度、全てが水準を越えたパイロットでなければ危なっかしくて使えない。

 そんなシステムに正規の予算などあてがわれようはずがなく、月管区工廠の裁量で「連邦軍・アナハイム社共同プロジェクトの試験代行」の名の下、秘かにテスト中なのである。
 暗礁宙域を単艦で追討となれば戦闘は避けられない、αの出番があるかもしれないと月管区工廠は期待していたが、それはマモル曹長が知る由のない話だった。


岩礁回廊 対岸 ムサイ級巡洋艦ジャスルイズ

 ドラッツェが墜とされてしまった。投入した戦力は壊滅、直掩機を失いMSはザクⅠのみ。今頃やってきたクェイカー大尉のゲルググがジムを押し戻したようだが、既に戦闘続行は困難、帰投すら危ぶまれた。
 第一、貴重な戦力を五機も喪失してどの面下げて帰れようか。ローズウッド艦長はのっぴきならない瀬戸際に立っていた。

 しかし回廊内の状況は理想的である。改良型ジム、不忠者クェイカーを纏めて葬るお膳立ては完了した。もう一度船体を露わにする必要があるが、他に状況打開の道はない。やるのだ。クェイカーが敵を回廊に釘付けしている内に確実に仕留める。岩礁から鼻先を出し必中を狙う。ミサイルはあるだけ使う。弾薬を空にして戻れば戦闘の苛烈さを物語ってくれるはず。さすれば面子は保てよう。
 威厳を保つため、なにより自らを鼓舞するべくローズウッド艦長はマイクを握った。

「作戦を第四段階へ移行する!
「連邦の犬、ジオンの栄光を汚す軍人崩れ、まとめて焼き払うのだ。
「突撃機動軍ジャスルイズの意地をみせろ。総員奮起せよ!」

 ローズウッド艦長は組織内での立場、体面を重視していた。オッゴを含めてMS五機損失、サラミス一隻にここまでやられては降格とて有りうる。当然艦は召し上げられ、配置換えは避けられね。グラナダ守備隊時代から艦長を務めたプライドが彼をかたくなにさせていた。

 ジャスルイズから遠く離れたコロニーデブリに作戦の要が伏せている。パイロットは元学徒兵、ア・バオア・クーで死に損なった一人だ。同期と先輩を悉く撃墜され、彼の胸中は復讐に燃えていた。
 ザクⅠはMSに不相応な大火力を託された。複数の観測ポッドと有線接続され、限定的とは言えMS以上の測距機能を与えられた岩礁回廊専用ビーム兵器がその証拠。火器管制をMSのコンピュータが行うことで高度な射撃能力を獲得した移動砲台 “スキウレ” と、複数の目標を一度に狙えるよう分散配置されたセミオート発射のミサイルランチャー群は、ザクⅠの指示で回廊を火の海にできる火力を有している。
 パイロットは岩礁回廊一の名狙撃手を気取り、ジムとゲルググを睨み据えた。


暗礁宙域 岩礁帯 サラミス改級巡洋艦ケセンマ 近傍

 回廊が爆光とスラスターの輝きに照らし出されている頃、ヤスコ・キッシンジャー曹長が駆るジム・ピオニアは僚機を捜索していた。嫌な予感がする。人の死に様を目にする直前の、分かっていても避けがたい感覚に似ていた。
 前大戦時、極東の大河の畔(ほとり)に並べられた死体。今や多くの人々がそうであるように、ヤスコ曹長は無宗教だった。抗いがたい弔いの念に突き動かされた彼女は、どうすればよいか分からぬまま、死体の傍らで膝をつき手を合わせていた。見かねた現地の僧侶が祈り方を教えてくれた。あの時鼻腔を満たした畔のにおい、川の水と植物に混じって火葬場から漂ってくるにおいが思い出される。

 光学観測機能に優れ、ミノフスキー粒子干渉波形逆探知システムに相当するデバイスを搭載するジム・ピオニアとて、視界を埋め尽くすデブリに邪魔されてしまっては僚機の発見は困難だ。捜索は索敵モードを常時オンにしているためコンバットモードとの併用になる。まだザクがいるかもしれず、不用意に全周警戒を解除できない。

 本当ならすぐにでもデータリンクのきっかけとなる信号を打ちたかった。そんな信号を闇雲に放てば居場所を教えるようなもの。母艦に直掩機がいない今、多重遭難のリスクは冒せない。


 ジム・ピオニアは、ヤスコ・キッシンジャー曹長から片時も目を離さずバイタルデータを収集している。ヤスコ曹長から得たデータは既知のパイロットバイタルとは微妙に異なっていた。高い緊張状態におかれていることは間違いない。脳内の血流量が戦闘時のそれに近かった。神経電位もやや過剰気味にある。奇妙なことに、眼球の動きと機器操作に関連が認めにくい。

 彼女の行動と求めるものが一致していないようだ。しかしこれを混乱と捉えることは、ピオニアには躊躇われた。敢えて表現するなら複数の事柄に集中している。器用なのだろう。腑に落ちないが個体差はあるものだ。変わり者のケーススタディも必要だった。

 突如、ピオニアに眠るCHLOROS(クロロス)から不自然な要求が発せられる。戦術提案αの機能解放を要求していた。ジム・ピオニアとCHLOROSは別個の存在であり、CHLOROS側の思考・価値判断はジム・ピオニアと共有されていない。ピオニアから見ればCHLOROSはさながらもう一人のパイロットとも呼べる存在だ。

 戦闘補助OSであるCHLOROSが戦闘中でもないのに眠りから覚めようとしている。ピオニアは要求を拒絶した。当然だ、ピオニアがパイロットを資質ありと認めていない。彼女の操縦に不自然な所はないが特筆すべき点もない。αを解放する根拠がなかった。


ジム・ピオニア ヤスコ・キッシンジャー機 学習型コンピュータ “CHLOROS”

 CHLOROSはヤスコ曹長が放つ精神感応波を受信している。コクピットキャビンはヤスコ曹長の感応波で満たされ、機外へと漏れ出していた。驚くべきことに他者の感応波の影響を受けているようだ。
 極めて特異な現象だが、CHLOROSはそれがなんであるか知っていた。感応波の共鳴である。

 元ジオン技術者曰く、サイコ・コミュニケーターは混線しやすい性質があるらしい。サイコミュを機動兵器に搭載した場合、パイロットの精神感応波と他者のそれとを区別できないケースが頻発した。
 技術者は個人に最適化した調整を施すべく様々な方法を試みたが、連邦が聞き出せたのは現場レベルの微調整に関するものばかりで、サイコミュ実装時に行われたはずの個人最適化手法・見分け方についての情報は手に入っていない。

 また聞き取り調査とは別に、地球連邦の一部の学派が接収したジオンの研究施設で実験を行っている。ミノフスキー粒子濃度の高い空間では、精神感応波と呼ばれる信号が強くなるらしい。モビルアーマーへの搭載が見送られたサイコミュ機器から推測した頼りない根拠であって、信憑性は高くない。
 それもそのはず、サイコミュの原理には未解明な点が多すぎる。何を以て精神感応波の強弱とするかという学問的な問い立てと回答は、象牙の塔から出てこなかった。
 机上の理論はどうであれ、ミノフスキー粒子と精神感応波には関係があるらしい。

 暗礁宙域は沈んだ戦艦やMSの残骸が大量に漂っている。とりわけ問題となるのが小型熱核反応炉、ジェネレーターやエンジンと呼ばれる代物だ。小型熱核反応炉がエネルギーを産出する際の副産物としてミノフスキー粒子が出続けるのだが、暗礁宙域には稼働したままのジェネレーターがわんさか漂っていた。
 ミノフスキー粒子が垂れ流されている状態なのだ、わざわざばら撒いてやらずとも溺れそうなほどだった。残骸の位置や量、ジェネレーター出力等が一定ではない故に偏りがある。それゆえ粒子濃度が高くなりやすい。

 そんな空間に特異なバイタル、即ちサイコミュ適性者が“複数”存在し精神感応波を放出したら……。CHLOROSは千載一遇の機会を前に手も足も出せないでいる。休眠状態のわが身を叩き起こす術を模索していた。


回廊内

 マモル曹長は相変わらず伏兵の正体を掴んでいない。それとも伏兵などいなかったのだろうか。新たに現れたゲルググがアーサー少尉を追いかけながら回廊へ飛び込んできた。
 左右非対称なシルエット。改良型か応急修理機体。右肩はゲルググのそれよりも大型の姿勢制御スラスターを備え、バックパックも装備しているようだ。ゲルググは換装により機体特性を変化させると聞く。性能向上型と見るべきだろう。

 突如、ゲルググが中距離から猛烈な加速をかけた。射撃戦を嫌うように白兵戦の間合いへ前傾姿勢で突っ込んでくる。スラスターベクトルを一方向に揃えて最大加速を得る、一撃離脱戦法。投影面積を最小にでき被弾率低下が期待できる。代償にMSの強味「運動性」を犠牲にせねばならず、まして最大加速を得ようものならまともな回避は諦めなければならない。

 ――まるで隊長そっくりだ。前傾姿勢の真っ向勝負、アーサー・ドーランの突撃格闘戦法……。

 人体の弱点、頭から足へ向かう垂直急加速はパイロットの生命を軽視した特攻戦術。連邦軍がMSを投入する前の対艦戦で用いられた戦術を、MS同士の白兵戦で用いるなど正気の沙汰ではない。
 それは自分の上官も正気ではないと言っているに等しいのだが……。いや、距離のある内から直滑降なんて馬鹿な真似、隊長とてやりはすまい。接近に気付ければ対処は難しくないのだから。

――空中分解が恐くないのか?
――正気じゃない。 抜かれたらケセンマが!

 ピオニアがパイロットの変化を認める。活路を開いたパイロット達に顕著な波形を観測した。古来より勇気と呼ばれた戦士の資質。
 EXAMとHADESが身籠った “彼ら” のそれと同質のもの。マモル・ナリダ曹長の内より沸き立つ勇気は、コクピットを突き抜け機体の外まで漏れ出さんとしていた。


回廊内 ジム・ピオニア vs ゲルググ・ペルート

――“気”の太いのがいますね。オールドタイプにしてはよくやっている。
――子供たちは渡しませんよ、参謀本部の飼い犬さん。

 クェイカー大尉は機体強度ギリギリまで加速をかける。並のMSでは出せない短距離高加速も “MS-14Pelt-Ops ゲルググ・ペルート” ならば可能だ。

 コンテナのままグラナダ基地から持ち出した試作MS “MS-18E ケンプファー” は、推進剤を食い過ぎるコロニー戦闘向きのMSだった。継戦時間が短すぎる強襲機は扱いにくく、ユニット構造を良いことにゲルググへ移植していった。
 右半身をケンプファーから移植したおかげでゲルググ以上の機動性を誇る、余剰モーメントを殺しきれないじゃじゃ馬程度まで抑え込むことができたのだが、こんなものを汎用MSと呼べるはずがない。宙間戦特化のクェイカー大尉専用機と化していた。

 先ずはビームライフルを持たないジムに狙いを定める。ジムの実弾火器は強力だが集弾性能が低い。下手に避けるより自然に飛ぶ方が安全だと身に染みていた。対してビームライフルは脅威だが、味方機を挟む軌道に飛び込めば大人しいものだ。フレンドリーファイアの危険を冒してまで発砲はすまい。

 先読みでザクを撃墜したパイロットは些か覇気に欠けるのかプレッシャーを感じない。勘は良いと思えたが、まずはドラッツェを撃墜したジムから。こちらも中々楽しませてくれそうな相手だ。


 弾丸特攻をかけるゲルググがアーサーの目視距離へ迫る。回避を捨てた相手に精密照準は必要ない。バイタルパートへの直撃にこだわらず、ジム・ピオニアはマシンガンから90㎜弾をばら撒いた。しかし一発も当たらない。反動抑制に難のある武器だが、ただ飛び込んでくる機体にこうも当たらないと気が焦る。

 必中の間合いに踏み入ったゲルググを捉えた時、照準環の奥で悪魔が牙を剥いた。

 ゲルググは機体正面を向けたかと思えば、両手を広げ立ち塞がるように四肢を大きく開く。
 右半身の姿勢制御スラスターが輝き、直立姿勢のままサイドスリップした。そのまま急減速。同時に両腕を引き絞り、体をひねる様に向きを変えた。強引な軌道変更にも関わらず、背筋が伸びた姿勢は崩れない。

 ジムが放った豪雨の如き90㎜弾は、正面を向いた左腕シールドに防がれる。被弾箇所からシールドが弾け、千切れ飛んだ。しかしシールドは健在だ。ゲルググは二枚重ねのシールドに守られていた。

 ゲルググの前進は止まらない。自機の右側、3時方向を通り過ぎ、舞踊のステップを踏むがごとく流麗にアーサーの背後へ至った。

 超スピードの突撃、人体の限界を上回る急減速、シールドを向け続けた精密旋回。全てが常軌を逸している。2秒足らずの出来事だった。
 ゲルググがヒートホークを抜き放ち、大上段に振りかぶる。背後を取られた恐怖がアーサーの心を染めた。味わったことのない怖気(おぞけ)。
 敵は化け物だ。アーサーは蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。

「おや。こんなものですか」

 オープン回線、落胆交じりの少年の呟き。コクピットに満ちる警戒音、駆動音、振動、息遣い、全ての音が消えていく。少年の声だけが耳に残った。

 ヒートホークを振り下ろされ、ヘッドユニットからコクピットシートまで溶断されるだろう。死を悟ったアーサーの世界が早さを失っていく。スローモーション、そして時が止まる。
 アーサーは止まった時の中で、振り下ろされる剣筋に切り裂かれていた。パイロットスーツ越しに背中を撫でる冷たい刃先が、胸を過ぎた所で腹を突き破り、股下まで抜けていく。錯覚がもたらす非現実的な身体感覚。
 脳が見せる幻の内に、アーサーは彼岸を垣間見た。


 ジム・ピオニアの両脚が目一杯空を蹴り、足裏から最速のスラスター噴射で機体を後ろに押し戻す。ヒートホークの打撃距離まで近づいたゲルググへ、背を向けたまま距離が縮まっていく。ジム改のオートモーションに、背後を取られたシチュエーションでバックステップから始まるパターンはない。生存本能がマニュアルで起こした奇跡。

 直感、偶然、神の気まぐれ。

 飛びすさったことまで理解すると、アーサーは現実の時間に引き戻される。そこから先は、全てアーサーの意図した動きであった。

――無理だ。躱せない。
――相対速度0、敵は棒立ち、ヒートホークは直上、振りかぶった頂点……!
――だったら!!

 今度はジム・ピオニアが向きを変える。ゲルググが見せた回転の逆をやるように、右半身スラスターを大袈裟に噴かし、同時に右手を後方へ振りながら体を開く。反作用も用いて機体を後ろに捻りながら、左腕を力任せに振り上げた。
 ドラッツェとの一騎打ちのまま、左腕のパワーは上げっぱなしだ。シールドが強烈なアッパー軌道でゲルググを迎え撃つ。

 反時計回り、振り向ききらない姿勢のまま懐深く飛び込んでいく。振り上げたシールドが、ゲルググのマニュピュレーターを内側から外へ向かって弾き飛ばす。ヒートホークの柄を握りこんだ拳を打ち払い、ゲルググの右腕を払いのけた。


 古代剣闘士グラディエーター。旧世紀の映画に凝っていた父とよく真似をした。小楯で攻撃を払い、がら空きの胴体を突く。
 大きな父の懐にぴょんと飛び込むのは何度やってもワクワクした。見え見えの剣筋に盾をぶつけて払いのけ、玩具の剣を父の腹に当てる。父が大袈裟に倒れて決闘はアーサーの勝ち。ケタケタ笑って、何度もせがんだ。グラディエーターごっこ、サムライソルジャーごっこ、いつも決まってアーサーの勝ち。

 ごっこ遊びで、娯楽映画の演出だ。フィクションなのだ。疑ったことなどなかった。ゲルググの腕を払いのけ、がら空きの胴体を目の前にしている、今この時でさえ。手応えや感動はなく、思考が驚きに塗りつぶされ止まりかけていた。


 クェイカー大尉は隙を晒している。ジムを切り裂くはずのヒートホークがシールドに払いのけられた。後ろに目がついているのか、180度方向転換の途中でピンポイントに拳を叩かれた。右腕が機体外側へ弾かれ、衝撃で後方へ回転がかかり始める。まるでのけ反るように胴体を晒していた。

 シールドバッシュ。人が馬に跨り地を駆けた時代の戦技。

 クェイカー大尉は目の前の現実に心を奪われ、心臓が止まったと錯覚した。彼の人工心肺が止まることなど有り得ない。だが彼の意識は別であった。

 モビルスーツに跨る前から闘争の内にあったクェイカー大尉が、初めて敗北しかけている。敗北は死を意味する。
 打倒連邦の野心により生み出され、ジオンにくだり、使命を果たさんと今日まで争い続けた人生。己を捧げてもよいと思えたジオン公国とて既に滅び、自力で蒔いた反連邦の種子がようやく芽吹かんとする今訪れる敗北。
 ここが終着点ならば、己の生にどんな意味があったのか。闘争の道具と望まれ、望まれるまま争い、和平を拒絶した。新たな世界を作るためだ。

 皮肉にも、ジオンの敗北によって真の自由と使命を得た矢先である。枷は解かれた。才能はある。力も得た。クェイカー・モウィンが描く未来を世界が待ち望んでいる。そのような今、訪れる敗北。認められようはずがない。

――――――   !!!!
 負けてはいけない。
 
――――  負けるものか!!
 勝つのだ。
 
―― 死ぬものか!
 子供たちは死なせない。
 
――手放すものか!
 理想のために。
――ニュータイプの未来は!!

 声にならない激情がゲルググ・ペルートの装甲を突き抜け宇宙へ放たれた。死を悟った者のそれよりも強く強く打ち鳴らされた心臓の鐘は、暗礁回廊を押し広げんが如く、縦横無尽に鳴り響いた。


0.1666秒間 ジム・ピオニア アーサー・ドーラン機 学習型コンピュータ “CHLOROS”

 ピオニアはギリギリの攻防を細大漏らさず記録している。パイロットが特異な状況に置かれたらしい。時を同じくして機体の外から強力な精神感応波を複数受信していた。
 感応波が共鳴し情報爆発が起きているようだ。内蔵機器の温度上昇が著しい。冷却能力は持続時間に余裕をもって設計されている。今しばらくの猶予はある。だが専用コンピュータの稼働が想定値の100倍を下回らない。許容上限値を振り切っている。機器破損、データ消失の恐れが極めて高い。

 ピオニアは改めてデータ収集対象をパイロットに限定したが、外からの流入が止まらない。感応波が遮断できないのだ。内と外の区別がつかなくなっていた。複数の感応波が共鳴した場合、切り分けが不可能となる。

 CHLOROS開発者達はサイコミュを解明できた訳ではなかった。ジオン軍でさえ持て余した技術だ。精神感応波と呼ぶ脳波の正体すら未解明なまま、脳波頼みのテクノロジーを実用化すればこうした事態は起きて当然。
 ピオニアの記録が誰の精神なのか、ピオニア自身見失いかけている。それでも止まることは許されない。

 サイコミュの輻輳がピオニアに過度の負荷をかけている。学習型コンピュータにコンマ数秒の隙が生まれ、通るはずのないCHLOROSの要求が通ってしまった。恐らくは輻輳による過負荷から学習型コンピュータを守るための働きであったのだろう。

 開発者の意図しない挙動、システム保護の落とし穴。休眠状態にあったCHLOROSの覚醒を許してしまった。

 開発者の意図とは異なったものの、皮肉にもCHLOROSが必要な状況に陥っている。特殊な情報爆発の最中、死を跳ね除けたパイロットは貴重なサンプルに違いない。彼を連れ帰らねばならない。

 強引に目覚めたCHLOROSがジム・ピオニアを支配する。
 戦闘補助OS “CHLOROS” は、アーサー・ドーラン少尉を守るべく未完成な全機能を解放した。


コムサイ内 サイコミュ・モデレートシステム

「いやああああああああああああああああああああ」

 ルイーズは筒の内で絶叫した。サイコミュを通じてクェイカー大尉の力がルイーズに流れ込む。システムの感受リミッターが易々と踏み越えられた。他人の熱狂が彼女を満たす。クェイカー大尉の叫びが聞こえた。

 彼の心が見えてしまった。他人の記憶と感情が混ざり合う感覚。サイコミュの逆流。
 常在戦場、クェイカー大尉が生きてきた世界は月よりも過酷だった。彼は初めから希望を奪われ、死と隣り合わせの人生を強制されていた。そんな彼が手に入れた、いや手に入れかけた希望。ニュータイプの未来。それが孤児たちに固執する理由。

 分からない。理解が及ばない。流れ込んでくるクェイカー大尉の心を悪だと思えない。純粋な、善なる心に触れた気がしてルイーズの心は引き裂かれそうになる。
 気が付けば筒の中は彼女の流した涙でいっぱいだった。大粒の涙がふわふわと筒の中を漂い、内壁にぶつかった涙が砕けて小さな粒になる。

 ルイーズは思う。この涙はクェイカー大尉が流している。泣き方を忘れた、残虐非道な人でなしの涙なのだ。

 彼女は彼になろうとしていた。自分と他者が混ざりあう。クェイカー大尉の覚悟を知ってしまったら、退くことなど出来はしない。ルイーズは混濁した自我に促されるままサイコミュ・モデレートシステムの出力を上げる。

 先に連邦艦を撃て。彼は言った。だが既に目標を捉えていた。一撃当てればジャスルイズは沈む。連邦艦を探しながらジャスルイズを沈める。スナイパーはどうでもよい。連邦は………………いた。岩礁帯から出るつもりか。丁度いい、フュアゲルトの旋回時間が稼げそうだ。

 勝つ。勝って地球へ降り立つ。全力を注ぎ敵をしりぞける。荒れ狂う大海原を照らす灯台の如く、彼女の心が暗礁宙域を照らし出そうとしていた。




第拾壱話②へ続く

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