恋しい味、台所の風景
誰ひとりつくれない、祖母の味がある。具材はじゃがいもだけ、至ってシンプルな煮っ転がし。普段は、胸に詰まるからさほど量は欲しくないいもなのに、不思議と家族が争うように箸をのばす味だった。
育った古い家の裏手で、祖母が小さな畑をつくっていた。春先になると、市場で様々な苗を買い求めて植え、夏にはきゅうり、トマト、なす、ピーマンなど、夏野菜がふんだんに採れた。夏休みは、早起きして畑に如雨露で水を撒くのが私のお手伝いだった。
秋口にはじゃがいもを収穫する。売っているような、きれいで大きないもばかりではなく、ピンポン玉よりも小さないもがたくさんあった。その小ぶりすぎるいもを使って、祖母は毎年、煮っ転がしを山ほどつくってくれた。
大きな鉄鍋で、揚げ焼きしながら加熱し、火が通ったら醤油やみりんで味付けするだけ。いもは、いくら転がし続けていても焦げてしまうのだが、その香ばしさがたまらなくいいのだった。
祖母がいなくなって随分経つのに、家族のあいだでは事あるごとに、煮っ転がしの話題が出る。あれはばぁちゃんしか作れない、どうやっても同じには出来ないと繰り返される。私は揚げ物が苦手だし、母は手首を痛めているので重たい鉄鍋を振る事が出来ず、伯母は油を多く使うことに抵抗があるので揚げ焼きが出来ない。
素材も重要で、小さくて新鮮なじゃがいもを大量に買うことはなかなか難しい。かといって、大きいじゃがいもを小さく切って調理するのでは、食感がまるで別物になる。
祖母のいない食卓で、祖母の味に思いを馳せる。
畑に熱中しすぎて、保育園のお迎えを忘れられたこと、火の扱いに人一倍気をつけていたのに、ある時ガスの火が祖母のエプロンに引火し、ボヤにはならなかったけれど、焦げたエプロンのままいつまでも落ち込んでいたこと。
祖母のいた台所の風景。
忘れられない味があるというのは、哀しく、ありがたく、あたたかい。
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