新しい「機屋」を作る。
こんにちは、小島日和です。
noteはじめてみます!
私はterihaeruというテキスタイルブランドを愛知県一宮市を拠点に運営しています。詳しく仕事を分けるとテキスタイルデザイン、織布作業(まだまだですが!)、営業、その他諸々を行っています。
最近は「NINOW」という全国の繊維会社に所属しているテキスタイルデザイナー/企画担当の方を集めた展示会を企画運営したり、私の拠点である愛知県一宮市で織機(しょっき)の動かし方を研究するションヘル織機研究部というものも発足しました。
さすがに生地の生産やNINOWを1人で動かすことが困難になってきたのでインターンシップを開いて、良い方がいらっしゃったらterihaeruのスタッフとして採用したいと考えています。
そう考えたときに、今の自分の仕事って他人から見たら何がなんだかわかんないな...と思ったので、自分でも整理したいということと、最近どんなことをやっていて、将来どのようにterihaeruが向かっていきたいのか、書いていこうと思います。
まずはterihaeruについてちょっとご説明を...
terihaeruでは何よりも布を楽しんでいただくために、「キャッチーであること」を大事にしています。下の画像は「いちごのショートケーキ」というテキスタイルです。(しかしエビ、金魚と言われることが多い...それもそれで良いのですが)
生地の販売とその生地を使ったプロダクトをエンドユーザー向けて販売しています。少ないですがB to Bもオーダーがあれば納めたりしてます。
私の目標は
尾州のションヘル織機を活用し次世代に繋ぐ、そして良い日本の繊維産地を残す
というこのことだけです。
まず謎1は「尾州って何?」だと思います。
尾州とは愛知県と岐阜県にまたがる木曽川沿いを中心とした織物産地で、日本の中でも大きい産地です。主に生産しているものはウールを使った生地。男性物だとスーツ生地、女性物だとファンシーツイードになります。とっても高価な生地です。
謎2。ションヘル織機はドイツの織機メーカー、ションヘル社のものを真似て制作されたといわれる古いシャトル織機です。昭和初期から使われていたものが今でも現役で稼動していて、織り上がる布は風合いが良く尾州にとってはなくてならない物です。職人さんの高齢化により織機が減少中。
私は大学生の時にションヘル織機に出会って、この機械が生み出す生地に心底惚れました。手織りのような、ふんわりとした風合いで、対応できる範囲が広いのでデザイン性の高い生地が作れる機械です。でもションヘルを扱う職人さんの高齢化でションヘルはもうなくなってしまう、という状況でした。
こんな可愛い生地ができるのになくなるの?全然わけがわからない!と思いました。布は生活になくてはならないものなのに、布を作ることができなくなるのです。
それはなぜかというと、これは全国の、いや全世界の繊維産業が抱えている問題だと思いますが、結局職人がいなくなってしまう原因は単純に「職人が儲からないから」なのです。
その元凶は戦後から変わらない繊維業界の仕組みにあります。なぜ変わらないかというと戦後とっても儲かった実例があるからです。何もかもなかった戦後に布は必要だったのでデザインしなくても営業をしなくても織っていればたくさんお金が入りました。
しかし、その1mの工賃は変わらず、今は仕事自体が減っています。さらにションヘルはゆっくりなので効率が悪く、1日織ったところで1万円もいきません。それは誰も継がないし、やめて普通のサラリーマンをした方がマシです。
良い生地ができるのに、それに比例しない工賃。これが一番の原因そしてとても根深い問題です。
ではなぜ良い生地が作れるのに職人さんの立場がこんなに弱くなってしまったのか?
それは企画・営業という概念がなかったからです。全てはお客さん頼み、というところにあります。
極端な話をすると、お客さんが値段を安く、安くと言われれば、その通りにしないと、次の仕事を持ってきてくれるかどうかわからない。自分が生地を織っているのに自分で値段をコントロールできない、という状況になってしまいました。
要は「下請け」なのです。
ションヘルという良い織機を持ちながらも、業界の仕組みに押しつぶされている状況でした。
自分で値段をコントロールしたければ、「デザイン」「営業=PR」そして「ブランディング」が必要です。業界の仕組みから離れ、無理なB to Bはせず、主力はB to Cにすること。そして「テキスタイルデザイナー」がとても重要であること。誰もが「デザイン」「企画」「織布作業」「営業」ができるマルチプレイヤーであること。
そんな機屋(はたや)ができたら、ションヘルを使って、テキスタイルデザイナーを生かした生地をみんなで作りみんなで売り、ションヘルと良い布を未来につないでいける、と思いました。
この考えを大学3年生の時に考案し、そして実践すべく卒業後2015年に在学中からやっていたterihaeruというブランドをリスタートさせたのです。
本当は尾州の繊維系の会社に入って、修行すべきだと思います。ですが師匠もいたことと、ションヘルがなくなるタイムリミットが近いと考えていたので、フリーという立場を選びました。
それから3年が経ち、事務所を持つことができました。
そして、大学3年生の時に描いた新しい「機屋」を作るのは今だと考えています。
まだまだブランドとしても弱いですし、私自身まだまだ未熟です。これから!という段階なのですが、新しい「機屋」として機能するためには仲間が必要です。
ションヘルはこれからもっと面白い生地が作れます。そしてその生地をより多くの人に楽しんでいただけるように売るシステムを変えます。何よりも布が好きで織ることが好きな方が楽しんで仕事ができる、そんな環境ができたらションヘルも産地も残ります。
私が考える「機屋」にご興味がある方、ぜひご連絡ください。できれば経験者の方がいらっしゃったらとても嬉しいです。まずはインターンからと考えていますが、お会いしてご相談させてください。締め切りは7月15日までとします。
私のメールアドレス、 hiyori@terihaeru.com にお送りください。
よろしくお願いします!