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好きになってよかった。


クリスマスイブの日、今シーズン初めて銀世界を見た。昨年に引き続き今年も積雪が多いらしい。起床時間を1時間早めて、起きてすぐにカーテンの隙間から積雪の有無を確認する生活がまた始まってしまった、と絶望に似た感情が胸に広がる。


雪が積もると出勤前のTODOリストが格段に増える。まず雪見だいふくのような姿の車から雪を降ろし、周りの雪を掻き、暖機運転をしつつフロントガラスの雪を溶かす。普段の比でない渋滞の列に車を並ばせながら、雪の上を歩くような運転をする。そんな時期なのだ。北国の人からしたらそんなことで、と怒られるかもしれないが、早くも気が滅入っている私なのだ。


反面、この季節に浮かんでくる温かい思い出。
過去の自分の恋愛を振り返ると片想いばかりだけれど、そのうちの一人のことを書いてみたくなった。


22歳。彼に出会った。
新入職員研修の一環で他職場を訪問するプログラムがあり、彼はそこに配属されていた同期だった。


研修中の関わりはゼロ。研修後に研修班の同期たちで飲みに行くことになったのだけれど、なぜかそこに彼もいた。きっと班の誰かが声を掛けたとかそんなキッカケだったと思う。まるで同じ研修をこなしてきたかのように、いとも自然にそこに馴染めてしまうような、良い意味で背景になれる人だった。いるだけで場の空気が丸くなるのは彼の才能だと思う。案の定、彼の存在のみでどうにか楽しく酔えるだろうという漠然とした安心感に皆が甘えていたため、その後も彼はグループに一番欠かせない人になっていた。


シャイで、優しくて、にこにこしていて、誰にでも好かれていて、ウェーイとか言わなくて、変な酔い方もしなくて、ザ草食系男子な見た目で、理系で、悪い意味での女の子慣れはしていなかった。ギャップがあるとしたら、学生時代からギターをやっているということ。少女漫画の男の子のように細長くシュッとしていながらもしっかり骨張っている手。手フェチでない私でさえも、これでギターをかき鳴らしているのだと想像すると、危うく手フェチになりそうだった。


知らず知らずのうちに彼のことをもっと知りたいと思うようになっていた。それは稲妻のような光ではないけれど、キャンドルの灯りのように静かにそっと心に灯るような想いだった。



「今度ランチしない?」
できるだけフランクな誘いをすることで、断られたときに傷つかないための予防線を無意識に張っていた。

「いいよー!ランチしようか!」
その言葉に安心して、眉と肩がハの字になる。
好意はバレてしまっていないだろうか。いや、少しは伝わってしまっているだろうな。どこに行って何を話そう。

付き合う直前の男女の1000歩くらい手前だけれど、私には十分過ぎるトキメキだった。はずだった。



「ごめん!前日に友達とオールすることになって、ランチやっぱり難しいかも!」


ランチを承諾してくれたときと、全く同じテンションで送られてきたメッセージ。悪気のなさに心が痛む。まるで大学生のような内容だ、と思ったけれど、社会人1年目はほぼ大学生だから仕方ないかもしれない。


何よりも私たちの関係性と、彼の私に対する想いが簡潔にまとめられたメッセージだった。
あらかじめ張っておいた予防線が、待ってましたと言わんばかりに仕事を果たしていた。


「そっかー!了解!また仕事とか落ち着いたら連絡してよ!」

同じ調子で返事するのが吉、と何処で覚えたか分からない教えに沿って返信していた。


こんなに分かりやすい脈なしサインなんてあるだろうか。恋愛経験の乏しい私とはいえ、さすがにこの“KEEP OUT”の黄黒の規制線の中には入れなかった。

ランチに行くはずだった日を過ぎ程なくして、本当に「仕事落ち着いてきたよ」とLINEがきた。いやいや律儀か。それともまた誘っても良いものなのか。でも「落ち着いてきたよ」に続く言葉はなくて、リスケではないことが読み取れる。恋愛マスターならここからどう立て直すのだろう。



私は無難中の無難、「グループの一員として付き合っていく」を選択し、想いをそっと心のポケットに詰めた。同じグループだったし気まずくなりたくなかったし、傷つきたくもなかった。


「そっかー!またみんなの飲み会計画するから来てよ!」と絶妙にはぐらかして、彼からも、自分の気持ちからも逃げた。



それからもグループで定期的に飲み会があったり、夏には花火大会に行ったり、顔を合わせる機会が度々あった。彼の顔を見ると若干の気まずさを覚えた。けれども何事もなかったかのように、まだ始まっていなかった恋だと思い込んで振る舞えた。彼も私も大人の対応だった。


とある冬、グループの一部でスノーボードに行くことになった。男子3人、女子2人。その中に彼も含まれていた。私が最後に板を履いたのは大学生の頃だけど、2泊3日の合宿だったから木の葉で滑るのはなんとか形になっていたような気がする。まぁどうにかなるかで参加した。


午前中は男女分かれてレベル別コースを滑っていた。女子は初級〜中級コース。もう一人の子は私より断然上手だったので、物足りないかな?と心配ではあったものの、マイペースに滑るのに付き合ってくれて本当に有り難かった。


お昼に食堂で合流した男子たちは、険しいコースを滑ってきた達成感と有り余った体力により、ゲレンデの雪に負けないくらい目がキラキラしていた。そしてやはり「せっかくだから一緒に滑ろうぜ!」の流れになった。いや間違いなく有難い申し出なのだけど、いかんせん私の技術が。


やつらは皆スパルタだった。
「大丈夫っしょ!」とそそのかされて上級コースへ。やられた。だけど私以外が物足りなくなるのは嫌だから、この選択肢しかないのだった。


急勾配に、へっぴり腰一人。シュール過ぎて笑えてくるけれど、こちとら命を落とすまいと必死だった。

なだらかな坂ではあまり転ばずに滑れたけれど、流石にここではそうはいかない。
一応皆に追いつこうと頑張っていたけれど、勾配のきつい坂で転ぶのは余計に怖くて身体はガチガチ、颯爽と風を切る姿には程遠かった。ここはもう割り切って皆を先に見送り、私にできる滑り方で降りて行こうと腹を括った。


そんな状況に徐々に慣れてくると、不思議と自分なりに楽しめるようになってくるものだ。リフトから降りると同期たちは瞬く間に見えなくなる。でもそのくらいがちょうど良かった。


そんな中、身体が勾配に馴染めず割と派手に転んだ。皆は遥か先を滑り降りている。それは全く構わないのだけど、疲労が溜まってきて身体をすぐに起こせないし、ちょこっと心が折れかけていた。私が一番雪の降る地域出身なのに一番下手だな、とプライドが申し訳程度に顔を出しながらも、しばらく雪の上から動けなかった。


ふと気付くと隣に彼がいた。まだ下っていなかったようだ。一緒に腰を下ろしてくれ、私が起き上がって滑れるようになるまで待っていてくれた。雪の上、二人だけの空間。多くは喋らず、いつものにこにこ笑顔で、彼は隣にいてくれた。


「あぁ、この人を好きになってよかった」


続きのない恋だけど、そう思えたのは幸せな瞬間だった。スノーマジックファンタジーだった。それと同時に、そんな人を好きになった自分も誇らしく思った。



それから数年。私は地元に戻るため年度末をもって退職を決めた。いつものメンバーで送別会を開いてくれ、そこには彼もいた。

退職を間近に控えた頃、最後にエゴがぽこぽこと湧いてきて、ふと、彼にあのときと同じ誘い文句を投げかけていた。


もう、前日にオールする彼も、約束をキャンセルする彼もいなかった。数年越しに実現した、最初で最後の二人きりのランチ。


初めてお誘いしたときのような胸の高鳴りはないけれど、忘れものを取りにいくような、物語の続きを知りたいような、そんな気分。


東京駅の近くのビルに入っているテナントでランチをした。何を食べたか、話したかほとんど覚えていない。けれど食べ終わった後、名残惜しくてカフェをハシゴしたこと、ランチではカウンターで横並びだったけれど、カフェでは向かい合わせに座ったこと、そのカフェで食べたティラミスがこれまで食べたティラミスの中で一番好みだったこと(ティラミスが大好物な私)、向かいでにこにこ見守ってくれていたこと、カフェを出てからもすぐにお別れするのが寂しくて、一緒に皇居まで散歩したことを覚えている。


きっと、名残惜しかったり、寂しかったのは私の主観で、彼はそれに付き合ってくれたに過ぎないと思う。それでも、嬉しかった。


彼に対して伝える言葉として「好きだよ」も「好きだったよ」も違うと思った。

口をついて出たのは
「  は私の憧れだよ」だった。


でも本当だった。彼の持つ優しさや、彼の醸し出す雰囲気を、私も纏えたらなと思っていたこと。そして、雪の上での出来事を時々思い返していたこと。


そして帰ってきた言葉は
「俺も(私の名字を文字ったあだ名)に憧れてるよ」だった。


あぁ、やっぱりこういうところ敵わない。私は君にはなれなくて、きっとこれからも憧れだろうなと思った。彼は名もない私たちの関係に綺麗に句点を打ってくれて、改札で別れた。



それ以降彼を含めたいつものメンバーで会えたのは1回だけだ。会えない理由の主なものはコロナ禍だけど、それだけでなく皆それぞれ転職して居住地が変わったり、子育て中だったりで、物理的に難しくなっている面がある。


それでもいつか、あのときのみんなには会える気がする。彼にもいつかまたみんなで会えたらな。実は彼はちょっとずつ太っていっていて、スリムだった頃の面影が薄れつつあり健康面ですごく心配なのだけど、きっと内面はあの頃のままだろうな。彼はどんな人を好きになるんだろう。幸せでいてねって密かに思っている。


この記事を書き終えてすぐに流れてきた、この曲を添えて。

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