「非術師皆殺し」の思想を理解しよう!〜コンビニバイトの夏油傑の場合〜
【追記:あくまで思考の一助としてお読みください、これが全部ではないので!!!!!!!!!!!!!!!!!!】
突然ですがみなさん、呪術廻戦を読んでいてこう思ったことはありませんか?
「夏油傑、どうしてまた非術師皆殺しなんていう極端なことを……」「憎かったかもしれないけど、そこまでする?」
夏油傑の思想が分かる気がするけど微妙に分からない。な〜んかモヤモヤするな〜!!そう思っていたとき。全てはこのツイートから始まった……
「全人類が呪力をコントロールできるようになれば……」側の思想じゃね〜〜〜か。
考えてみれば術師という仕事は、きわめて過酷で危険のともなうエッセンシャルワークとして見ることができる。術師も接客業ではたらく人も、日々「大衆から滲み出る悪意」に虐げられて生きているのは同じ。
お前はレジ打ちをしたことがあるか?この世の地獄を見たことがあるか?あるな、よし。ならば通れ。
しかし接客業を経験したことがなく、あまつさえ店員に不遜な態度を取ったことのある奴。お前は紛うことなき猿だ。
では、「コンビニ廻戦」の世界を考察して夏油傑の解像度を上げようではないか。
(※単行本で8・9・0巻あたりのネタバレが含まれます)
1.「非術師皆殺し」の論理
とあるクソ治安の悪い地域に、一件のコンビニがあった。そのコンビニはマジでクソ治安が悪く、普通にレジを打っているだけで暴言・舌打ち・クレームの被害が絶えなかった。
夏油を始めとする店員たちはそうした環境でもお客様満足度を高める接客を心がけている。しかし捌いても捌いても次々と現れるクレーマーの波に、とうとう心を病んで辞めていく店員も少なくない。
あるとき本部から九十九由基さんがやってきて、「クレーム対応術を磨く、なんてのは対症療法。私は原因療法がしたいの」と述べる。
方法①世界から接客業という仕事をなくす
→全人類を接客とクレームから解放するんだよ。
方法②全人類に接客業を経験させる
→自らが店員だった時の経験から、クレームを言いたくなっても思いとどまることができるね。
方法③じゃあ、接客業未経験を皆殺しにすればいいじゃないですか
→夏油君、それは"アリ"だ
自分たちは街の人々の暮らしを支えるため、少しでも気持ち良く買い物をしてもらえるようにと願って、いつも丁寧な接客を心がけている。
コンビニがなくなったらみんな困るだろう。だからたとえしんどかったり面倒であっても頑張ってきた……。
それなのに実際はどうだ。理不尽な理屈で、ただ人を傷つけたいというだけの理由で、醜くこちらを罵ってくるあの猿ども。
醜悪なクレーマーの存在……知った上で私は、コンビニ店員として快く接客をする選択をしてきたはずだ。
だが、誰のために? 何のために?
2.(レジ入るの)もうあの人一人で良くないですか?
新人の灰原くんが入社しました。
夏油「……このバイトやっていけそうか?辛くないか?」
灰原「大丈夫です!😆👍」
この会話をしてからたった一週間後、気付くと次のシフト表に彼の名前が見当たらない。
よく同じ遅番に入っていた七海に訊くと、ひどく悪質なクレーマーに絡まれて一時間近くも人格否定を受け、憔悴した顔で帰宅してそれきり……と聞かされる。
あれほど明るく善良な性格だったのに。この仕事をしているかぎり、愚かな客のせいで犠牲になるのはいつも仲間の方だ。
夏油の持っている世界観は「多数派の弱者に埋もれ、虐げられている少数派の強者」(=非術師/術師)というもの。これが「愚かなクソ客/善良な店員」に符号する。
お分かりだろうか。接客業ではたらく人たちは低賃金・長時間労働・劣悪な環境 etc...という、きわめて不当な地位に立たされている。
「お客様の幸せのため」「地域への貢献のため」ともっともらしい言葉で飾られて。「クレームは自分の至らなさを知って次に活かすためのありがたいお言葉です」と言い聞かされて。
それをすっかり信じて「もっと頑張らなきゃな」と思っている人ほど先に倒れていく。善人であるほど使い潰されるシステムが出来上がっているのだ。
なるが?
一部の隙もない丁寧な接客で一切のクレームを寄せ付けない五条悟という店員が居ることになるんだよな。
彼はちょうど灰原の心が折れきって手遅れになってしまった頃に出勤してきて、悪質クレーマーを撃退した。
一部始終を見届けていた七海は思う。
レジ入るの、もうあの人一人で良くないですか?
自分たちがどれだけ気を張って丁寧に接客しても、降り注ぐ悪意からは逃れられない。灰原のときだって初めから五条悟がレジに出ていれば何事もなく解決してたんじゃないか。
それはクレーム対応術を覚えて、完璧な接客に近づこうと努力してきたすべての店員を自分ごと否定する言葉だ。
接客業への従事というマラソンゲーム。その果てにあるのが仲間の屍の山だとしたら?
3.すべてからの解放を可能にする力
接客業従事者の怨嗟の声をご存じない方は、ぜひともコロナ禍初期の『#ドラッグストア店員の気持ち』等をご覧ください。決して誇張ではない地獄が広がっているので。
「こんなクソ客殺してしまいたい」と思ったことがある人も決して少なくないだろう。接客業未経験者皆殺しにすっか!!と思ったことはさすがに無いけど、もしも自分の隣にソレを可能にする人間が居たらと思うとおそろしい。
↑
この人です
夏油傑があの思想に至るまでの道筋が初めはなんとなくしか理解できなかったけど、コンビニ時空を通すことでめちゃくちゃ腑に落ちた気がする。「五条悟にできるのなら、不可能と決めつけるのはおかしい」ということなのだろうな。
そんで個人的にはどうしてその力があるのにやってくれないんだよと思う。五条悟、接客業未経験を皆殺しにしてくれ!!!!頼む!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そうだね……。
4.元気そうな夏油傑さんを見て落ち着こう
↑
コンビニでめちゃくちゃクレームを受けてる乙骨のところに、偶然居合わせた他店の店員が助けに入ったんだろうな
以上、コンビニ店員の夏油傑さんの場合でした。ご静聴ありがとうございました。
「術師を接客業なんかと一緒にするな……!!!!」と思われる方もいるかもしれませんが、お前はまだ接客業を知らない。こちとら人死にが出てるんだぞ。
一応きちんとした理屈もあるので、補足に興味のある方は以下もどうぞ。
5.エッセンシャルワーカーとしての術師
みなさんは「ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論」という本をご存知だろうか。
ブルシット・ジョブ(BSJ)の特徴はふたつ。まずはタイトルの通り、「あってもなくても社会の運営に問題がないクソどうでもいい仕事」。
そして、「にも関わらず地位と給与が高く、大きな利益を受け取ることができるもの」。
どこかで聞いたことがありますね。マーケットとエブリタイムにらめっこしているアスの話。
BSJの従事者は、自分たちの仕事が本質的に社会に良い影響を与えるものではないことを悟っている。資本主義を突き詰めた結果として生まれたこの種の仕事は、彼らに無力感や虚脱感を絶えず与え続けることになる。
これと対比させて語られているのが「パン屋」の仕事だ。エッセンシャルワークと呼ばれるこれらの職種には、キツくて骨が折れるうえに金払いも悪いものが多い。無論コンビニ店員を始めとする接客業はこちら側に属する。
これらは世の中には不可欠で、お金(資本)のためではなく人々の幸せのために役立っている。
術師の仕事も人々の暮らしを守るために必要不可欠。だけど、過度の危険をともなう苦しく報われない仕事を行うことは一種の献身なのだ。
「求められる善行」と「負担と犠牲」の天秤が後者に重く振れたとき、なんのために自分たちが傷付かなければならないのか、と感じるのは当然と言えよう。
与太話だけど一応こういう背景構造のことを考えたパロディではあるんだよ……という説明でした。
最後に、コンビニ店員への転換にあたってノブレス・オブリージュの概念を取りこぼしてしまったことは記しておく。術師には上記の事柄にさらに「強者、力ある者としての責務」という文脈が加わってくるためだ。夏油傑はことさらそれを強く実感していたはずです。
それでは、長文にお付き合いいただきありがとうございました。茶化しじゃなくてクソ真面目に話しているので怒らないでくださ~~~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
P.S.「夏油 接客業」でツイッターの画像検索するのがオススメ。
とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?