教員のジレンマ:教育への情熱と現実のはざまで
ぐるぐる、ぐるぐる
燃え尽きているわけでもありませんが、なんというか、虚無感みたいなものに襲われています。
音楽の楽しさ、部活の楽しさ、吹奏楽の楽しさを伝えたいと思い、今まで一生懸命にやってきました。
でも、それは私の「エゴ」以上の何物でもないのかな?と。
一生懸命にやることが好きで、負けず嫌いで、何度打ちのめされても立ち上がって頑張る。
それがいいと思っているし、そうしないと“いけない”と。
自分が教育に、指導に関わるからには適当にはやれないし、どうにかして“正しい”方向に進ませたいと思っていました。
でも、子どもたちや親は実際そんなこと望んでいるわけではないし、
『毎日をなんとなく、それとなく、ストレスなくすごせればいい』
と思っている人がほとんどなんだと思います。
そんな感覚の人たちを、私が無理やり捻じ曲げようとしたところで、または捻じ曲げられたところで、
その人が『しあわせ』を感じることはないんです。
自分がその人の人生に関われることで、どうにか“好転”できるといいなと、その一心で頑張ってきましたが、
どうもその需要はないのかなと思うようになってしまいました。
自分の非力さ、器の小ささからくることなんだとは思いますが、それを頑張りでカバーしたいと思えるほどのエネルギーが湧きません。
ほんとに、情けない。そして、なんて非力なんでしょう。
悔しさしかありません。
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