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営業をつづけている理由

おうち時間、してますか。
stay homeでおうち時間、の過ごし方とか、発信したり。
スローな時間を過ごして、
ほんとうに大事なモノが分かってきたりとか。

したいのですが、私はまだできていません。

noteの更新もずっとしたくて、
半年以上も更新ができていない大西さんの話の続きも書きたいのですが。
(半年後の更新って意味あるのか)
何しろ時間がない。

つぶれそうだったお店「ひよこのカフェハウス」は、まだあります。
つぶれそうだーと思ってたときから比べると徐々に売上は上がり、
(というか上げてきた)
イベントを絶えず入れて、
スタッフのやってくれる講座も満席が続いて、
初めて、、初めて利益っぽいもの(といっても返済金に回る)が出たかも…!
というのが先々月の2月でした。

そして、その後はいわゆるコロナ的な自粛的なあれであり、
イベントはキャンセルが少しずつ、営業も縮小、そして緊急事態宣言を経て、
通常営業はほぼほぼできなくなり、
世の飲食店と同じく、先週からはテイクアウト中心で、
何とかかんとかやってます。
「こんなときに営業してくれて助かります」
と言ってくれる方が多く救われてます。
が、払うモノ払えるか、うーんちょっとわかんない。
そして、テイクアウト販売の営業と、
学校休校からずっといる長女さんと、
先々週半ばの保育園休園からずっといる次女さんと、
その2人のお昼ご飯と、おやつと、相手と、
で、ちっともゆったりしていない。

こうなる前までは、
・先々のイベントを立てる
・リアルタイムのイベントの準備をする
・毎月の支払のあれこれ
・毎日の仕入れのあれこれ
・LINE配信やらメニュー作りやらシフト管理やら
で、これずっとはできねーな、という具合の業務量を毎日全力で爆走。
それが今はイベントが立てられないので、少し減ったかな。
でも収益の柱がイベントになりつつあったので、どうすっかな、という気持ち。


ただ、
私はコロナコローナで心神耗弱にはなっておらず、
心は自粛モードになっておらず、すごく平常運転で。
そのことと、今営業自粛せずテイクアウト販売と縮小ランチ営業も継続していることへの気持ちとをまとめておきたいな、と思って、
久しぶりにnoteを書いている。
親子カフェの経営について知りたいのでフォローしてくださった方、
すみません。
それについてはいつか必ず続きを書きますので今日はそっと閉じてください。


営業自粛を選ばなかった理由


一言で言ってしまえば「やりたい」気持ちである。

世の中が恐怖でうっすらからどっぷり支配され、
不安にかられて買い占めたり、並んだり、
その割りに買ってるものが免疫力下げちゃう食品だったり、
めっちゃ殺菌消毒して、自分の常在菌殺しまくって免疫力下げちゃったり。
そもそもその不安が心の負担になって、免疫だだ下がりだってば。

スタッフも私も、こんなときだからこそ何かやりたい、という気持ちが強い。
免疫力をあげる食、暮らし方、心の軸の持ち方、
そういうことを伝えたくて毎月講座を開催してきていて、
今だからこそそれをもっと伝えたい。

どうやら数ヶ月ではおさまらず、長期的に考えなくてはならない、
コロナ問題。
マスクして消毒して、ずっと逃げ回っているだけでは全く生産的ではないし、
これを機に食を見直して、親も子もスマートに免疫力あげる食と暮らしをして欲しい。
それを発信しつづけることをやめるわけにはいかないな。
それを発信したい、というスタッフもいて、
その場所であり続けたいな、と「やりたい」気持ちがあるのだから、やるしかない。

うちは、原価が高くて、
弁当のテイクアウトだけじゃ、人件費がでない。
(お飲み物をぜひテイクアウトしていただきたい!!)
売り切れて、なんとかとんとん、というところかなあ。

(今は、スタッフが毎日短時間で働いてくれていて、とても助かっている。
でも彼女たちに今まで通りお給料を支払えないのは心苦しい。)

利益がなくて、それでもやるのは、やはり「やりたい」から。

(休業の補償がないから、という理由はないです。
補償があっても、多分同じことやってます)


やりたいからという動機


ちなみに、テイクアウト販売を中心にしていますが、ランチ営業も続けています。
こちらの理由も「やりたい」から。
時間を短縮、人数制限した予約のみの営業です。
家で子どもとイライラしたり、ご飯作りに疲れたら、ゆっくりランチしに来て欲しい、その場所を残したい、だからやってます。

これに今、もやっとする方はいるのかもしれない。

老若男女とにかく不要不急の外出は自粛stayhome、必ずマスクして、みんなで一致団結してコロナに負けるな!

って思っている人は、個人のしたい、またはしたくない、という欲望でそのまま動くことを、よくないと感じるかもしれない。

感染拡大を防ぐため、営業を自粛しているお店も多く見られます。
「非常事態なのに、自粛なのに、店開けたら、
自粛しない××な客が来てしまって、感染を拡大してしまうのに!
従業員だって、感染の危機に晒すのに!
経済より人命が大事だから、ランチ営業なんて自粛すべきなのに!」
と感じる人もいるかも知れない。

(幸いなのか、あまり知名度のない店だからなのか、
そういったご批判は今のところ受けていません。)

でももし言われたとしたら。

「そうですか。あなたはそう思うんですね」

と答えるだろうなと思います。

そして、今みな

「そうですか。あなたはそう思うんですね」

というスタンスを、大事にするのはどうかな?という提案があります。


生存することと、どう生きるかの対立


私は、命があることが最優先だとは思っていません。

命は、勝手に与えられて消費して、いつかは意思に関わらず失うもの。

自分の命も、自分の娘たちの命も、
たったひとつのかけがえのない命、とは思っていません。
たまたま家族として生まれたから、
一緒にいてくれてありがたいなあ、かわいいなあ、なるべく長くいて欲しいなあとは思いますが。
命をどんだけ長らえられたか、ではなく
どんな風に楽しんだか、自分のやりたいことをしたか、が最優先だと思っています。

自粛ムードもきわまりつつあった、3月の末日、
所用があり長女を連れて久しぶりに電車に乗って、都心近くに行った。
いつも行くカフェでランチがしたいという娘。
少し迷いつつも、空いていたことと換気をしていたことで利用することにし、
ランチ+食後のデザートとお茶までおいしくいただいた。

娘は久々の満たされた様子で、ふときいてみた。
非日常になりつつある今、心地よくない非日常についてどう思うか聞いてみたくなった。

「震災とかがあって、自分の思ったように生活ができなくなったら、どうする?食べ物も住むところも選べなくて、好きなこともできないの」

「ええーやだ。生きていたくない。
知ってる?うちらの世代はねえ、楽しむために生まれてきたんだよ!」

へえーそうなんだ!やっぱり?そうだと思ってた!
と私はすごく腑に落ちた。
なんだかそういうメッセージを、ずっと受けていた気がしていたし、
自分もそうであるから。
(世代はだいぶ違うけれど、私は以前から自分より後に生まれてきた世代の人たちの価値観にシンパシーを感じてきたのであった)

「それじゃ、生きていない方がいい?」

「うーん。家族は一緒?一緒なら生きるよ。
ひとりがいちばんいやだ。ひとりになるのはいや」

…そうなんだ。
素直な娘の一言で、
ああそうか、これがほんとはみんなの願いのはずなのでは?
と、霧が晴れたような気持ちになった。


ここのところ、ずっと対立にもやもやとしてきた。
気になるとストレスで健康に害するので、俯瞰しようと努めてきた。

マスクをする人

(自分が不顕性感染かも、と思って人にうつさないようにマスクすべし!
しない人は自分勝手!)
VS
マスクをしない人
(マスクが苦手な人。
または感染は防げないのだから無意味と思っている人)

(ちなみに私は、店頭以外マスクはしません。。
呼吸が浅くなり、結果的に免疫力が下がると思うので。。
マスクをしているのは接客サービスの一環です)


感染拡大防止のため、とにかく自粛!と思っている人
経済より命最優先!

VS

自粛一辺倒では、経済が死んで、
後からどんどんコロナじゃない死人が出る!


子どもを危険な集団保育に預けているなんて!
子どもの命を大事にしていない!

VS

仕事がしたいから預けたい。
またはずっと子どもと一緒だとストレスで子どもによくないから預けたい。


買い占め

VS

買い占め批判

などなど。
分断がいっぱい。

(日本政府に対する批判、に関しては、
あまりに政策の質やタイミングがひどくて、
唯一概ねみな団結してるかも。
私は今のこの状況に、いろいろひっくり返らないかワクワクしている。)

上にあげた分断、

生存することが大事 VS どう生きるか

の分断なのではないか。

マスク派(生存派)vs マスクしない派(どう生きるか派)

自粛派(生存派) vs 自粛ばっかりじゃない派(どう生きるか派)

保育園自粛派(生存派) vs 保育園利用継続派(どう生きるか派)

買い占め批判派と買い占め派は入り混じっているかな。。

とにかくひとりでも生き延びなくてはならない、という生存派には、
そもそもじゃあ生き延びて「どう生きたいのか」の視点に欠けている気がするし、
やりたいようにやりたいんだよ私は、のどう生きるか派には、命の危機意識が足りないかもしれない。

で、多分、40〜50代より上の世代には「生存派」的考えが強く
(それは戦争体験だったり戦後世代だったり、病気と闘ってきた歴史があったりした世代で、命が失われる恐怖が根強く心に残っていたり、世代の色なんだと思う。そしてその価値観を「正」として教育されてきたその下の世代への波及もあると思う。頑張れば報われる時代であったし、シナリオ通りにやっていれば幸せかは別として安定した生活が送れる時代でもあった)、

30代〜若い世代は「どう生きるか派」的考えが強い。
(命はあることがベースであり、それをいかに生きるか、楽しむか。頑張っても報われない、賃金は上がらない、上の世代は頼りないしあてにならないし、年金ももらえなそう。なんとか安定して安心した暮らしをしたいけれど、教科書通りのことをやっていても稼げる仕事にはつけなそうで、面白いこと考えて自分でやるほうがかしこいのでは?)

私は41歳ですが、上の世代の価値観が息苦しく違和感がすごく、どちらかというと下の世代の気持ちにフィット。
もちろん、みながそうではないと思いますが、傾向的に感じた私見です。


あなたはそうなんだね


じゃあどちらが正しいのかというはなしにはならない。
どちらも、そう感じるひとにとっては、それが正しい。

それを反する価値観をもつ相手に
「あなたはそうなんだね」と思える社会であることは
いかがでしょうか?と思う。

「命」が失われたら元も子もないのだから、
ふらふらやりたいようにやって感染拡大している人のことを、
「あなたはそうなんだね」と看過できるか!!

という声が聞こえてきそうです。

私も、爆発的に感染者が増えないよう、医療者に負担をかけないよう、自粛することには同意しています。
でも、闇雲な、ただただ「恐れ」だけを原動力にした自粛は
静かに人を殺している、と思います。

死を「恐れ」て高齢者の、基礎疾患者の、「命」を守るといって、その人たちの「どう生きるか」は守られているのか?
ただただ生きながらえたいのではなく、リスクがあっても自分の「どう生きるか」を大事にして生きたいのでは?
その守ろうとしている「命」が「どう生きたい」のか、は考えなくていいのか?


私は、カフェ経営のかたわら、去年星読みをするようになり(これはカフェ経営の目的のためでもある)、
人はそれぞれ「目的」をもって生まれてきたということを、
星読みのワークショップに参加してくれたお客さんなどから教えてもらうことがあった。
そしてつくづく思ったのが、その目的はほんとうに人それぞれ。

人の役に立ちたい人もいれば、自分のことをただただ磨き上げたい人もいるし、地球を大事にしたい人もいれば、情報をたくさんシェアしたい人もいるし、ただただ生命を大事にしたい人もいる。
総じて言えるのは自分の目的に向かっていないで生きていると、何をしても満たされないし、情報過多で集団の無意識的な価値観の中で生きていると、その目的がつかみにくい、ということ。

今、多分
「どう生きるか派」の若い世代の方が、目的をつかんでいて、
「生存派」の上の世代の方が、「恐れ」で目的を見失っている
気がする。


なぜかというと…
「恐れ」を原動力に動く人たちというのは、まさに無意識的にその「恐れ」の価値観の中に生きてしまっていて、本来の自分の目的から遠く離れてしまっているので、満たされない。
満たされないその原因は「恐れ」であり、それを取り払おうと世に蔓延する「恐れ」はこれを買えば、これを契約すればなくなりますよ、というサービスにすがり、でもその後もまた新たな「恐れ」が登場し、同じことを繰り返し満たされない。。
(新型コロナさんのワクチンや特効薬ができれば収束するという考えがあるけれど、例えできたとしてインフルエンザワクチンのように不安定な要素が多いシロモノであるだろうし、薬害は多かれ少なかれ存在するだろうし、そもそもまた新たなウイルスが現れて、「恐れ」は消えない)

そして「どう生きるか派」は、自分の目的のために動きたいのにいわゆる同調圧力的なもので動けなくて苦しんだりもやもやしたり、もしくは動いてひんしゅくをかったりしている。

これはお互いどうしようもない。
大事なもの、見ているものが違うのだから。

でも本当は分断したくないはず。
ほんとうは一緒にいたいでしょ?

「恐れ」に支配されている人は怖くてしょうがなくて、今は冷静になれないのだから、「あなたはそうなんだね」とは思えない状況かもしれない。
でも、動きたい人は自分の頭で自粛の意味とリスクを考えて,その上で「やりたいこと」をする勇気を持って欲しい。批判をされたら、あなたはそうなんだね、私とはちがうんだね、と思えばいい。

「命を大事にしたい」ことと同じくらい
「やりたいことをやりたい」ことは、大事にされて当然なのだ。
だって、生きるってただ息をするんじゃなくて、
やりたいことをやって命を生ききるってことだ。


ということで、私は来週も自粛せずお店を開けます。
ひよこのカフェハウスのスタッフは、
やりたいことや生きる目的にはっきりと自覚的で、
その生き方も、その場所で伝えていきたい。

人はいつか死ぬし、新型コロナさんがくる前から、高齢者の死因ベストスリーにはいつも肺炎がランキングしている。
風邪(その中には前からあるコロナさんもあるし、インフルエンザもある)をこじらせて死んでしまうことは、大昔からあることだった。

だから風邪のときは無理して出社したりしないで、
大手を振って休んで養生するべきだし、
身体に負担をかける果糖ブドウ糖液糖たっぷりのスポーツドリンクなんてもってのほかだし、
感染しても発症せずに免疫を獲得して、感染率を下げるレベルの集団免疫の要素になっていけるよう、
心と身体を整えていったほうが前向きだし、
そもそもの「からだ」や「食」についてもっと、知っていかないと。

伝えてくれる人がいて、
それを発信できる場所が今あって、
つくづくよかったと思います。

私が平常運転な心でいられるのは、多分お店のメニューの「重ね煮」のおかげ。
これも伝えたいことだなあ。

みなさん、さんきゅー。

※写真は、テイクアウト専門メニューの豚の生姜焼き風弁当。
平田牧場の豚肉使用、野菜の重ね煮がどっさり入ったヘルシーかつボリューミーなお弁当です(^^)



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