子供を育てて自分も育ったと思う話
私は歯科医師をしている。年に数回、未就園児の集団歯科検診の仕事をする。そこで、必ず出会うのが過去の自分のような親御さんだ。
私は子供が1歳の時歯科医院を開業して、ひとり親で子供を育てた。
一日を過ごすのが精一杯で、体力も心も余裕がなかった。周りの人々のお陰で子供は成人したが、後悔することも多い。
過去の自分のような親御さんに出会うと、余計なお世話かもしれないが励ましたいような気持ちになってしまう。
例えば、受け口の未就園児の親子。
「受け口だって知った時はショックで」
「何が悪かったんですか?何とかならないんですか?」
「治りますか?今すぐ何とかできませんか?」
力の入った言葉。真剣に育児に取り組んでいるのが伝わってくる。
でも残念な事に、曖昧な言葉で対応することになる。
・受け口は遺伝的要素が強い(個性とも言える)
・歯の萌出は3歳でやっと乳歯が生えそろう、永久歯が生え始めるのは6歳ぐらい、永久歯が生えそろうのは11歳~14歳ぐらい
・下顎は身長の伸びと比例する傾向があるので長期間のフォローが必要
・そもそも成長発育を正確に予測するのは不可能
本人が受け口を治したいと思う年齢ではない事もあり、私個人としては、今すぐ何かをする事を勧めていない。でも親御さんに申し訳ない気持ちになってしまう。実際、不機嫌になってしまう親御さんは少なくない。
不機嫌な親御さんを見て、私は過去の自分を思い出す。育児に真剣なあまり、ポジティブでない事=ネガティブと捉え、子供のために何とかすることに集中してしまっていた過去の自分。それが愛情だと思っていた。
受け口の例えで言うと、子供の受け口の部分にフォーカスしすぎてしまうのだ。当たり前だけど、受け口であろうとなかろうとその子はすばらしい存在だし、それが変わる事はこの先もない。それなのに受け口問題が頭から離れないのだ。
身長が高い低い、視力の良し悪し、成績の良し悪し、運動神経の良し悪し、人によっては音楽性例えばピアノの上手い下手、音感の良し悪しかもしれない。冷静に考えれば子供の特徴のひとつなのに、特徴のひとつの領域を超えてフォーカスしてしまう。でもフォーカスしている時、私は辛かった。だって、ありのままの子供を丸ごと愛したいのにそれができていないから。
無条件で愛したいのに愛せないと、本当にネガティブな気持ちになると思う。私の場合はイライラする。
子供がいなかったらこの事に気付いていなかったと思う。
「育児は育児」とか、「子が1歳ならお母さんも母親1年生」という言葉を実感する事は多い。私は育児をしていなかったら、自分と向き合う事も自分の内的成長を望むこともなかったかもしれないし、自分の事が嫌いだったかもしれない。時々、子育てコーチングを希望するクライアントさんが来て下さるが、子育てコーチングをする時、私はアドバイスではなく親御さんを認めて、信じて、寄り添って、見守る存在でありたいと思っている。そして、子供と過ごす今を大切にして欲しい、自分の中にある愛を大切欲しいと心から思う。