雑な人の日記。20220409

台所で食器を洗っていると、娘が私の肩に顎を乗せてきた。そのままの姿勢でくつろぐように、暫くスマートフォンを操作していた。

日々はそのようにして、愛着とともに淡々と過ぎゆく。


この半年間は特に意識して、悲しいことを見つめすぎないように努めてきた。鉈を袈裟掛けに振り下ろされたみたいに、私はなんだか傷ついていた。淡々と過ぎゆく日々は時に柔らかな毛布のように心をくるむけれど、痛みは消えずにそこにあった。

人は誰しも傷を負っている。その痛みは、秤に掛けて重さの大小を計ったり、人と比べたり出来るものではない。
あなたにとって怖いものが、私にとって怖くないのと同じように、お互いにそれぞれの痛みを持っているというだけのことだった。

いま、大した問題もなく日々が過ぎているように感じる。以前は時折、夜に紛れて誰にも見えないように涙をこぼしていたけれど、その記憶を辿っても、果たして泣くほどのことだったんだろうかと、小首を傾げる。

昔から、誰といてもどこにいても、少し寂しかった。身の置き所がなくて、皆と笑っていても、楽しいことをしていても、どこにいてもどこかに帰りたかった。
昼間の喧噪が落ち着き、世界が寝静まった後の、黒く光るような夜の時間の中で、微睡むでもなく目を伏せる。しんとした時間がいつまでも続けばいいのにと、度々思った。
けれど今は、その寂しささえ、閃くように胸の内に浮かんでは、痛みも残さずに、ものの数分で消えてしまう。

「いなくなろうとしてしまうんです。だから、いかにしていなくならないようにするかがテーマなんです」

「そういう気持ちは毎日ですか?」

「そうですね」

薬に助けて貰う日々の中で、私は医師にそう説明した。話す間にも、気持ちが揺らぐのが分かる。これから先、を考えるためにも、現状報告と困り事の伝達は、必要な手順だった。けれど、自分の心の殻の内側にある話を人に伝わるようにするのは、結構難しい。

私は自分のヒーローになりたかった。自分で自分を救いたかった。自らを励まし、悲しみの感情をあるがままに汲み取る。そうして、ボロボロになって挫けても、また顔を上げて進む。そういう柔軟な強さが欲しかった。

かつては長い間、頭の中で自分を責めてばかりいた。自分は人間の出来損ないだから、自分ではないものに作り替えなければならないと、責め続けて、自己否定を繰り返しながら、私は少しずつ変わっていった。

ちょっとやり方を間違えてしまったな、と今になって思う。

もう少し易しくできた筈だった。

自分の失敗は責めるけれど、他人の失敗を責めないのなら、自分のこともそんなに責めなくて良かった筈だった。丁寧に状況を整理して、未熟さと折り合いをつけていくことだって、出来たように思う。

どうしたいのかといえば、客観視が出来ない以上は、書いていくのがいいのだろう。書いてみて知ってゆく。初めて気付くこともある。少しずつ記憶を遡り、歳月に晒され続けて鮮烈さの失われた古びた感情に触れて、今の自分までつながる痛みや願い事を訪ねにゆく。その足跡を文字に置き換えていく。

心を片隅に置き去るように季節が巡る。今日も桜の花びらが、散歩道で遊ぶように舞っている。その花の淡い色を、暫く覚えていられればいいと思う。

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