雑な人の日記。20210829

着る服のサイズと素材でよく悩む。


持ち物には無頓着なもので、服を毎年買い換えたりもしない。シャツや履き物のくたびれ具合と相談して、在庫を入れ替える感じで何年かに一度、まとめ買いをする。買う時は同じ型と素材の色違いを数枚、カートに放り込む。去年もユニクロの薄手のダウンベストを色違いで4枚買って着回している。使い勝手が良いものをなるべく長く使っていたい。

先日、シャツやスカートや靴や鞄やコートを買った。昨今の服はゆとりのある大きなサイズが流行りらしく、ネットショップで検索すると、長袖のコットン製のシャツも脇の下や背中のラインを包むような、緩いスタイルのものが多い。

Mサイズのライトグレーのシャツを注文したところ、肩先は合っているものの体格の薄さゆえに、元々ゆったりサイズ設定の服のシルエットが更にぶかぶかになってしまう。
試しに娘に「着てみる?」と手渡してみると、袖を通さずに両肩へ掛けて、
「仮面ライダーにこういう風に白衣を着ている人がいた」
と言って遊んでいた。


去年、通りすがりに入った服屋で、第一印象が良かったショート丈の9号のコートを、
「7号も入りそうですね」
と、言われながら試着した。
淡い色合いで雪の白さにも柔らかく映えそうなコートだった。気に入って買って帰ったのだけれど、今まで着慣れていたダウンコートよりも少し重くて、肩と腕とが重怠くなる。試しに娘に「着てみる?」と尋ねたところ、丁度良い塩梅だったようで、冬の間、度々羽織ってくれていた。

コート選びをしているうちに知ったのだけれど、Sサイズのコートというものは百貨店でもすぐに売り切れてしまうものらしい。ゆえに冬の真っ最中の市場には、薄い体格に合うサイズの冬コートが出払っている。数年前の冬に試しに買ったMサイズのダウンコートも、一回り程体つきが大きく見えるぶかぶか加減だ。


二十歳の頃に初めて買った黒のアンゴラのロングコートは、今も洋服ダンスに引っ掛けてある。年に一回くらい出番がある程度だけれど、生地の痛みも特にない。
サイズさえ合えば、値が張ってもいいので、長く着られる上着を手元に置いておきたい。どこかへおでかけするためだけの特別な服ではなくて、体に合う肌触りの良いものを気軽に普段から使いたい。そういうささやかな欲がある。

考えた末に、カシミヤのコートを仕立てて貰うことにした。店先で試着品を羽織らせて貰うと、軽くて動きやすくて、毎日着て暮らすのにも丁度良かった。少し大きな額の買い物だったけれど、気に入ったもののために、毎月お金を少しずつ掛けるのも、たまにはゆとりの一つになるのだろう。
豊かな気持ちで暮らしていくための出費は、宝くじを買うようなもので、夢があると思うのだ。


こうして書いてみて改めて感じるのだけれど、伝わるように言葉を並べるのは難しい。

先日も、ちょっと困ったことがあって、人に状況を説明して質問したところ、主題に置く単語を間違えて、しどろもどろになった挙げ句に、「そんなこと訊かれても分からない」と不機嫌になられたりした。

私の「聞きたいことがある」という気持ちが先走りすぎて、その質問を耳にした相手がどういう受け取り方をするのか、なにを考えるのか、というシュミレーションを全くせずに、明後日の方向の質問をしてしまった。

不用意な質問をしたときは、大抵、尋ねたい内容や気持ちが相手に届かなくて、眉根を寄せられて、お互いに得るものもなくむしろ不愉快だけが残る。

そうして私は内心、酷く動揺する。

昔から狼狽えがちな性分なので、事前に質問を考えるようにしていたし、質問を文章にできない場合は、今は時期ではないと判断して言葉少なに必要最小限にとどめて、沈黙することに決めていた。

でも、そういう判断が最近はうまく効くかない。頭が回らない理由も何となく分かっている。

考えながら用事こなしている時、同じ部屋や隣の部屋に人の気配が度々あって、声を掛けられることが増えた。そういうとき私は気もそぞろになる。
例えば、台所に立っているときに、娘が動画を見てと話し掛けてくる。それ自体は嬉しいのだけれど、横から話しかけられると、私は時間に追われながら、手順を同時に考えながら、肉を切るべきかキノコを切るべきかみたいな迷い事をし始めて、焦る。

自分の部屋はなくてもいいけれど、一人で黙々と何かをする時間が少し欲しい。
押し黙って絵を描いたり、考え事に集中しながら食器を洗ったりする時間がないと、なんだか回復ポイントがない感じで疲れてしまう。
夜は寝始めから二時間ばかりすると中途覚醒するので、こうして眠れないのを良いことに、暫く自分のために起きている。

集中といえば、漫画を読んでいると周りの音が聞こえなくなることがある。昔、日曜日の昼間から小説を読み始めて、ラストシーンを読み終えて顔を上げると日が暮れていた事があった。充実した時間だった。

その当時は、絵も夢中で描いていた。
紙にペン先を走らせる音だけがする、没頭の時間。集中が切れるまで描いて、インクで汚れた指を拭うだけの静寂の時間は、例えば自分の足音だけを聞いて長距離を走りつづけているような、自分と対話するように体が刻む呼吸のリズムを数えるだけの、無音の時間にも似ている。

そういう心地良さはしばらく前からあまり感じていない気がする。そういう時間が大事だろうか。


今はちょっと遠くへ行きたい。ワクチンを二回打ったら、世の中が少し落ち着いた頃合いに出掛けてみようかなとも思う。
そろそろ一度目の接種日がくる。それもそうおいそれとはいかない部分が妙にあって、思い掛けず色んなものに出くわしてしまう時期なのだなと苦笑するばかりなのだけれど、取りあえず、話はそこからだと思うのだ。

お読みくださり、ありがとうございます。 スキ、フォロー、励みになります。頂いたお気持ちを進む力に変えて、創作活動に取り組んで参ります。サポートも大切に遣わさせて頂きます。