Kに掻き乱されるもの
友人のIさんに、愚痴を聞いてもらった。
私は夜道を歩きながら、「悲しい」と伝えた。それは聞く側にとってはとても抽象的だ。何が、という具体的なことが抜けている私の言葉を、友人は「くるんでいるね」と優しく例えた。
何か特別新しい出来事があった訳ではなかった。いつものように昔にあったことを思い返して、いつもなら大してへこまないのに、なぜだかその日はぐったりする程悲しくなった。くるんでいるように話すのは、自分の言葉の重みがよくわからないからだ。不用意なことを言って、ボールをぶつけるように話してやしないかと気にかかる。
言葉は矢だ。放てばなかったことにはできない。ゆえに私は自分についてあまり人に話さないようにしてきた。
問われれば答えることもある。あの件はその後どうなったのとか 、最近どうしているのとか。
問われても、この話は聞いても楽しくないだろうと判断して当たり障りない受け答えをすることも多い。
そんな中、先日、友人のKとシャチを見てきた。
黒くて白くて人間の何倍もでっかくて可愛い、水族館に稀にいるあのシャチである。
「昔行った水族館にいたシャチはすごくやる気がなかった」
というのがKの言である。それならばやる気のあるシャチを見に行こうと、電車に揺られて水族館へ向かい、シャチの頑張りと可愛さを堪能した。
そんなKとはたまに、
「来週どう?」
「明後日空いてる?」
と連絡が入るので、スケジュールがタイトだなと毎度思いつつ、手帳で予定を確認して、
「その日は空いてる」
と返事をする。
Kと会った日の帰り道、私は無性に悲しくなる時がある。
Kは以前から、私の弱くて触れるだけで痛くなる部分を掻き乱すように問いかけてきた。家族の話になると特に尖った言葉が飛んでくる。それはかなり生身に近い言葉で、歯に衣着せぬというよりも、無意識に切れ味のいいナイフを投げてくるようだった。
Kと話していると、常に父に対する私の感情を掘り下げることになる。
子供の頃から家族の適切な形とはなんだろうかと考え続けてきた。私の頭の中にあるモデルケースは創作物に描かれる家族像だ。家族で食卓を囲み談笑をする。怒られたり笑い合ったりする。フィクションであり、実体験に基づかない、想像の産物だ。
振り返れば機能不全な家庭だった。
父は支配的に振る舞い、母は無言で付き従っていた。小間使いか奴隷のようにあつかわれてきたと母はよくこぼしていた。伴侶にそう感じさせる時点で、関係性がすでにいびつだったのだろう。子供の頃、父と母が談笑している姿を見たことがない。母が父に内心怯えている姿ばかり覚えている。父は気に入らないことがあると度々烈火のごとく怒り、離婚だと声を荒げた。
実際のところ恋人もいた。それを私たちが知っているという事実を父は知ってか知らずか、私が成人してお付き合いしている人を紹介したときに「彼氏に浮気されないように気をつけろよ」と彼の目の前で父は笑った。私は自分のことを綺麗に棚に上げる父に対してただただ感心した。
父に恋人がいようが隠し子がいようが私にはどちらでもよかったが、とにかく何よりも父には母を大事にしてほしかったし、どちらかが偉いのではなくて対等な会話をしてほしかった。
父親らしさはとっくの昔に求めていないつもりだった。いびつながらも家族は家族なのだろうと思っていた。父と話す時は会社の気難しい上司と接するような気持ちで話をしていた。いつかもう少しマシな形で話せるようになって、愛せればいいと願っていた。
私は多分、かすがいになろうとしていた。いつの頃からか、父と話す時の重苦しい空気を変えようとしていた。笑顔で話せるようにと極力明るく振る舞った。わずかでも潤滑油として機能して、父と母の間柄が良い方へ変わっていかないものだろうかと考え続けていた。
それでも、父はやはり親というにはどこか足りなかった。私たちが心底疲弊して立ち往生していたとき、父は「死ねばよかったのに」と言い放った。母は「困っていたら家族だもの、助けてくれるわよ」という、一般定義の家族論を持ち出したけれど、私たちの声は父には届かなかった。むしろ面白いくらい予想通りの反応で、やはり父は父だなぁと納得したものだった。そうして同時に深く落胆した。
とっくに期待していなかったつもりだったのに、私は心のどこかで、この先も声をかけ続けていたら、もう少し家族としてマシな関係を築けるきっかけが見えてくるかもしれないと淡く期待していたのだ。だから落胆した。
けれど、そんなことはなかった。きっとこの先もないだろうと確信に近く思った。
家族という名の同一のコミュニティで暮らす中で、伴侶や親であるべき存在に傷つけられていく人たちを見るのは悲しかった。父は父で、父の人生を生き抜いていく過程で幾つもの傷を負っていただろうし、自分を愛してほしかったのだとも思う。伴侶や親である前に一人の人間なのだ。暴言が生まれるにも理由があり、理不尽な振る舞いにもまた理由があったはずだった。
悲しみも苦しみもあっただろう。だからと言って、利己的に人を傷つけていい免罪符にはならない。憎んではいない。ただ、父を愛しているのかどうかと問われるとわからない。呆れているだけだ。
そうして、今のところ私はこれ以上、父との関係を変える気が起きない。
会えば話す。当面はそれだけだ。
共に過ごした時間は消えない。親子であるという事実も消えない。ゆえに、近い将来そこに生じる責任を私たちはどこまで果たすつもりなのか。どういう心づもりでいるのか。それをKは問いかけてくる。
「なんで父親と関わるっていう選択をしたの」
と、何度も問われた。
苦しむだけなのに、と。言葉を変えて何度も言われた。
私は何を望んでいたのか、いま一度、見つめ直す必要がある。けれど考えようとして振り返ると、涙がこぼれる時がある。
そういう日は、夜道を歩きながら黙々と泣く。いつもそうしてやり過ごしてきたけれど、なんだかその日は随分とへこたれていて、つい友人をつかまえて弱音を吐いた。悲しいとだけ言って、要領を得ない私の話を、友人はとりあえず一通り聞いてくれた。
私の悩みは些末だけれど、私は少し持て余す。何を願ってきたのか。そうしてこの先、何を願おう。
自分の望みは自分で見つけなくてはならない。でも、もしも背中にくっついていたら自分では見えないから、これ何?って、誰かに指さしてもらって気付いたりするだろうか。
そんな時もあるかもしれない。
悲しいという気持ちが、胸にじわりとシミのように滲む。できれば互いに仲良くしてほしい、とも思うし、これはどうしたって仲良くはならないんだな、とも思う。
人が人と関われば、時に笑い合い、時に摩擦も生まれる。それはそういうものだから、傷つけてしまう事も当然ある。
けれど傷つけるばかりなのなら、その関係性はもう多分、修復がかなり難しいのだろう。
もしかしたらこの先、何か別の、建設的な答えが見えてくるかもしれない。ないとも言えるしあるとも言える。未来は不確定だ。
ただ想定をする。おそらくこうなると。未来について淡々と考える。その時に何をすべきか、何を思うかを、淡々と考えたい。それでも、悲しいだけの夜がたまにある。