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きみと、心ゆくまで。

 予想外に蒸し暑くなかった梅雨が明けて、しばらく経ったある日の夕暮れに、きみからLINEが届いた。

「ちょいと出掛けてみませんか」

 じっと読んでいると、なんだかくすぐったい気分になる。去年の冬以来の、誘いのメッセージだった。

 私たちは、なんとなく春か夏に連絡を取り合って、年に一度か二度、出掛けている。
 例えば、ある初夏。
「川沿いが好きなんだ、水のそばを歩ければそれでいい」ときみが言って、私とふたりで川原を歩くためだけに、山岳へと続くロープウェイ乗り場の近くまで、県境を越えてやってきた。電車に乗った誰もがロープウェイ乗り場へ向かう中、私たちは人の流れに逆らって、川のせせらぎを求めて歩き出した。
 結局、その日は昼下がりから空が薄く暮れるまで、どこへ行くという目的をまったく持たずに、延々、大きな流木の流れ着いた砂利の川原を歩き倒した。

 春や夏にお互いの都合が付かない時は、紅葉の頃か冬が深まる前に、どちらともなくLINEを送った。
 例えば、ある初秋。
 石畳に木々の影が淡く落ちるなだらかな坂道をふたりで歩いた。そこからしばらく行くと、まだ青い紅葉の張り出すように茂った梢に抱かれた静かな寺院の前に出た。大きな石の階段を踏みしめて門をくぐると、ひとっこひとりいない曲がりくねった砂の坂道が、細長い蛇の背にように伸びていた。
「突き当りまで行ってみよう」
 どちらともなくそう言って、面白がりながら歩みを進めると、途中から不意に辺りの景色が変わった。乾いた土の地面には草木が茂り、土と緑のむせ返る匂いがふわりと漂った。道のすぐ右手側は土の山肌がむき出しで、左手側に立てられた低い柵の向こうの、そよ風に揺れる木の梢の隙間から、えぐれたような土の斜面が垣間見える。雨水に削られて自然に出来た細い川が流れていて、
「どこかへ連れてかれそうだねえ」
「帰れなくなったりして。どうする?」
なんてけらけら笑い合いながら、浮かれたように歩き続けたりもした。

 そんな風に私たちは、いつも行きあたりばったりだ。

「おはよう。明日どうしましょ」
 午前中の私が送ったLINEに、2時間後のきみが応える。
「いつも行く店が17時からだったから、それもいいなと思ったり」
 私たちは大抵、出掛ける前日に待ち合わせ場所と行き先を決める。普段ならどちらかが「じゃあ、それで」と返して、会うのが楽しみだねと言い合って会話が終わるのだけれど、
「感染症対策をしてるかどうかわからないし、迷うね。座席の間隔を空けてくれていたらいいんだけど」 
と、きみが続けた。

 いつもの駅で私たちは待ち合わせた。きみの家から自転車で来れるくらいの距離にある。私は少し早めの電車に乗って改札を抜けた。大きな階段を降りながら駅の壁側に視線を投げかけると、きみの姿はまだなくて、眺め遣った壁の辺りでスマートフォンの液晶画面をなんとなく見ていた。ほどなく帽子を被ったきみが「おまたせ」とやってくる。

 日差しの照りつける駅前の商店街に並ぶお店の看板に、おのぼりさんみたいにキョロキョロと目移りしながら歩いた。暑いねえ、飲みたいねえ、ビアガーデンなんていいねえ、行ったことないけど、なんて言いながら。
 昼の営業時間にランチを提供しているバルでパスタを食べた。バルなだけあって、メニューをめくるとワインやビールなどの飲み放題のメニューもあった。ゴクリと喉が鳴りそうだけれど、食前酒を一杯頼んで、グラスを軽く合わせた。

 そのあと、少しふらりと、行き交う人の殆ど見当たらない閑散とした通りを歩いた。硝子越しに人影の疎らな喫茶店を選んでドアを開けると、涼しげな空気とカランと鳴るベルの音が私たちを出迎えた。 
 通された席に着いて早々、メニューを手に取った。めくってもめくっても、ケーキやパフェの写真ばかり並んでいて、さあ存分に迷えとでも言うかのようだった。
 ふたりしてパフェを頼んだ。きみのパフェにはソフトクリームが、私の頼んだパフェには生クリームが乗っていた。甘いものをほおばりながら、話題はどうしても世の中に蔓延しているウイルスの話になりがちだったけれど、
「そういえば、去年、飲んだときに渡した漫画読んだ?」とか、「小説、書いてる?」なんて、いつもの当たり前の会話も、きみと交わせる。

 帰る間際に、
「まだSNSのアカウントを教えてくれないの?」と、またきみに言われた。少し前から時々、言われる。
 私は頭を掻きながら答えた。
「いやあ……。内緒」
「なんでえ」
「恥ずかしがり屋さんなのよ」
 はぐらかすように言ったので、きみは私にはぐらかされたと思ってるだろうけど、本当にそういう理由なのだ。

 あれから、蝉が大合唱する厳しい夏が過ぎ、日差しの眩しい残暑が続いている。私は、きみが大きな紙袋に入れて手渡してくれた漫画を、毎日少しずつ読んでいる。今度、会うときは、焼き鳥串とキャベツを喰みながら、紫蘇焼酎のグラスを合わせて、きみと心ゆくまでのんびりゆっくり、飲めるといい。

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もちだみわ
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