人(自分)が生まれつき持っている力に気づくために対話する
はじめに
親や学校や社会の仕組みに押しつぶされている人たちに出会うたびに、なんとかして「それ」を解決する方法を探してきました。子どもの時からずっと、自分の力でなんとかしてきていた私は、押しつぶされている(ように私にはみえる)人々が気になって気になって仕方ありませんでした。
幼稚園の保護者会、小学校のPTA、自治会、看護師時代・・・
「しかたない」「世の中はこういうものだ」「〇〇にはさからえない」「いうとおりにしなければ生きていけない」と自分の感情を見ないようにして周囲に合わせて生きている人が気になるのです。
ずるい交渉術を使うのか、諦めるのか
正直に生きていない人から出てくる言葉に敏感な私は、人をコントロールするために言葉を使う人が苦手です。悪口や批判的な言葉を投げつけてくる人のほうが好きで(頭にはくるけれど)、美辞麗句を言ってる人が苦手です。
人が正直な言葉を使うことができないのは、その人に「生存本能」が作動しているからなんだなぁ・・・と知ってからはどんな相手でも寄り添ってみようとするあり方に変わりつつあります。(瞬間的な反応は無理ですが、一呼吸おくと寄り添えるようになりました)
生存本能が脅かされた時の反応行動4パターン
『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子著のなかに、生存本能が脅かされた時の反応行動4パターンの図が掲載されています。4パターンはこちらです。
日常生活のなかでおこる「反応」が起きた時に、その瞬間気づくことができたら、思考の解釈に乗っ取られる前に、自分が「どこから見て、聞いたのか」ということを止まって観てみる間がとれるようになってくる。解釈が生まれたときにどんな信念がそれを生み出したのかを自分で内省することが、自分の内側にある無自覚な自分に気づく鍵となるテクノロジーのひとつだと紹介しています。
私は、これまでにいろんな自己内省や自己分析のツールを用いて自分自身を理解しようと模索してきましたが、由佐さんのテクノロジーを学び始めてからはいろんな現象が腑に落ちるようになりました。
自分のことが理解できるようになると他者との距離の取り方がわかるようになってきた
生存本能が脅かされた時におこる反応で、ズタボロになり、焦ったり無力感を感じることが多い人生でしたが、最近は自分自身が円の真ん中にちゃんと戻るような感覚があります。感情が渦の中に巻き込まても一晩あればなんとか穏やかな凪の状態に戻れています。
すると、他者を助けなきゃとかなんとかしなきゃとかいう焦りがなくて、適切に選択できている自分がいます。
ひとりで内省することよりも、オープンダイアローグのように多声性の中で対話したときの経験を思い出すことが多いです。心地いい対話実践を繰り返すと、自分自身の内側が整った状態になっていくのだと体験していて感じています。
対話実践の道場としての場を創り続けたい
誰かを助けるとか、世の中をよくするとかそういうことが結果的におこると嬉しいけれど、いまのわたしのモチベーションとしては「なにがおこるかを実験したい」気分のほうが大きいです。
起業しようと決めてから、noteに言葉での表現を続けていけているのも「たのしい」からです。抵抗勢力(反対意見)に出会うほどどうにか挑戦したい気持ちが強くなっていってる状況のいまです。
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