STONER /ジョン•ウィリアムズ➊
『ストーナー』を読んでいる。
原宿編集長のオススメということで、ほとんど内容も知らずに買ったのだが、毎日のように読み進めている。まだ序盤ではあるが、感想を少し書いてみたい。
⚠️しっかりとネタバレしています。
"ある男"の一生
主人公は、ストーナーというひとりの男。
主人公ではあるが、彼の人生にはドラマチックで劇的な出来事は(おそらく)起こらず、ほんとうに「普通の人の一生」が淡々と語られていく。不器用で、人よりすこし不幸が多い、でもそれも含め「平凡」な男の一生。そんな物語、果たして面白いのだろうか?
生きるってたいへん
実際の所、「平凡」とか「普通」って、やっぱり無いんだなと思う。要約して考えると、そこまで大きな不幸とか、際立って特殊な人生では無いけど、まったく同じ人生を生きている人はいない訳で、人には人の地獄があり、その地獄も、血の池だったり針山だったり様々なのだと思う。
⬇︎ 7〜8章くらいの話
人生の変革
生きていると、この瞬間に変わった!みたいなこともある。今まで点と点だったものが繋がったり、失敗したと思ったら思いがけず周りから認められたり...。
ストーナーとイーディスにも、そんな変革の瞬間が同時期に訪れるのだが、それが波乱の幕開けになってしまう。
イーディスが不在の期間に、夫婦が離れたことで、お互いに変革を遂げる。ストーナーの場合それは、大学の授業への取り組み方や日々の生活として現れ、イーディスの場合は、見た目や仕草、雰囲気に分かりやすく現れた。
2人に共通しているのは、「夫(妻)がいなくても、充分に生きられる」ということに気づいた点ではないだろうか。
特にイーディスは、自分への自信のなさから、あまり好きではないストーナーのことも敬い、尊重しなければならぬ(なぜなら"夫"という存在がいなければ、わたしもいないのと同じ)と考えていたように思う。だが、父親の死を経て、自分というものの存在を、以前より濃くはっきりと感じるようになったのではないか?
父親と母親があり、わたしがある。という当たり前かつ絶対的なものが崩れても、わたしがあるということに変わりはなく、相対的ではなく主体的にわたしは存在しているのだと気づいたのかもしれない。
ほんとはいいことだけど...
変革は、言い換えるなら「進化」「成長」であり、本来ならば良い方向へと進むことの方が多いように思う。
しかし、その進化がお互いを思いやる方向へ進まなかった(愛がなかった)ことにより、今までなんとかギリギリ保たれていたものも、あっけなく崩れ去ってしまった。
各々で生きるとなると、「子ども」と「家」が問題になってくる。なぜならこれらは2人の共有の財産であり、お互いにとってかけがえのないものなので、譲ることはできないし、もちろん分けることも不可能だ。
読者としては、家のローンを払っているのも、生まれた娘をより大事にしているのもストーナーなのだから、イーディスは横暴だと感じざるを得ないが、かといって絶対的な悪でもないし、法律的にもイーディスにも所有権がきっちりあるので、仕方がないとも思う。
イーディスと結婚し、初めてストーナーの両親と顔をあわせた時のシーンを思い出す。イーディスのことを「きれいな人!」と言ったお母さんも、よろしく頼むと頭を下げたお父さんも、そしてそれに緊張と決意の面持ちで頷いたイーディスも、もういないのだ。
娘をも半ば奪われてしまったような状況で、ストーナーのこれからの人生に、また美しい瞬間はやってくるのだろうか?
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