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5.”今の”私の考え方は、「指示は俯瞰と具体の両方」

私は誰かにお願いや指示、または注意をする際、必ず「○○をして欲しい」という具体的内容と「なぜするのか」という俯瞰的内容の両面で行います。理由は大きく2つあり、1つ目は「他の場面で応用を効かせてほしい」から、2つ目は「私の思考癖を伝えるため」です。

毎日誰かに指示やお願い、また相談に対して「自分ならこうする」というアウトプットをしています。その中で今日改めて、「指示を俯瞰と具体で行う」ことを無意識でできるようになっていたことに気づきました。

昔から、なぜこれをしなければならないのか、ということを求めすぎる癖がありました。これはいい面もあれば悪い面もあります。いい面としては、何事にも目的意識や得られるであろうスキル、経験などを想定して作業することで、アクシデントに当たった際も柔軟に対応できる点や、自分の作業は大きなフローの中のほんの1作業であっても、長期的な目線でモノを考えられることなど。逆に悪い面としては、理由のわからないものにはモチベーションがわかないこと。前職ではよく、上司に頼まれた仕事を「なぜやる必要があるのか」という話で長時間かけてしまったこともありました。当時の私は、私は扱いづらい部下かもしれないが、説明できない上司が悪いと思っていました。

ただ、人の解釈や判断は、あくまでその時の自分の視野や常識、価値観の中でしか行えません。どれだけ合理的に考えてもこれが最も正しく、これ以上の選択肢などないと思ったとしても、知識や経験が増えることで他の選択肢が見えることはよくある話です。新人の時は特に経験が少ないので、必然的に視野も狭くなります。なのに、その狭い視野の中での自分の正論をいくら振りかざしても大きな意味はないのです。上司は、説明できなかったこと自体はその人の能力かもしれませんが、当時の私より多くの経験をした中で私に仕事を回してきたはずです。だから、よく新人研修の時に言われる「疑問を持っても、まずやってみる」や「やっていればそのうちわかる」は、あながち的外れではないと今では思います。

話を戻しましょう。以前は”有意識的に”具体的作業内容となぜやるのか、目的は何かをセットにして伝えていました。しかし、今日同僚に仕事のお願いをしたときは全く意識せずこの話し方をし、伝えた後に自分で気づきました。有意識が無意識に変わった瞬間を感じたということです。

先ほどまずやってみることの良さについて語りましたが、やはり目的まで伝えた作業指示をするとイレギュラー対応やもっと言うとモチベーションが違うなと実感しています。何事も丁寧に、ですね。

ちなみにタイトルの画像は、湯布院で迎えた朝です。本編に全く関係ありませんが、最近全く旅行できてないのでまた行きたいなぁとしみじみ感じた写真でした。

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