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選挙カーと、恋の黒歴史

朝から仕事をしていると、開け放った窓から外の音が聞こえてきた。
最初は気にしていなかったが、だんだん気になるようになってきた。
あの選挙カーの爆音、選挙が終わるまで毎日続くのか…と諦めつつ、ふと思った。
あれだけ大きな音で叫んでも、実際に耳を傾けている人はどれくらいいるのだろう、と。

「伝える」という行為は、本当に難しい。
これまでに何冊、言葉や伝え方、コミュニケーションに関する本を読んできただろう。
おそらく100冊は読んだ気がする。
それでも、アラフォーになった今もまだ難しいと感じる。


たとえば、子育てだ。
「静かにしなさい」「宿題をやりなさい」「早く寝なさい」といくら口で言っても、子どもがそれを「自分ごと」として受け止めなければ行動には移らない。
こちらがいくら正論を並べても、それだけでは不十分なのだ。
「走らないで」ではなく「歩こうね」「忍者歩きだよ」「ぬき足さし足しのび足〜♪」と、うたのおねえさんのような伝え方のほうが子どもは動く。
毎日、伝える側の工夫がどれほど大切かを実感している。

恋愛も同様だ。
「話したい」「ある言動に不安を感じる」などと思い切って伝えても、言われた相手が困ることもあるし、相手が応じなければ、それ以上求めるべきではない。
どんなに「今までで出会った誰よりも一番大好き」と唯一無二の特別感を伝えたところで、それは相手には関係ない。

話したいなら相手が興味を持つ話、楽しいと思う話題を心がける。
不安を口にしても取り合わず、言動も変わらない相手なら、そういう人なのだと尊重し、諦める。
何より、のらりくらりと大切な話を避ける相手、対話のできない相手は、早めに身を引くことも必要だ。

大切なことは率直に伝える、気持ちは素直に伝えることが良い、と思い込んでいた。
それは受け取る相手次第、状況によっては、ただの主観や価値観の押し付けとなるのだ。
選挙カーの爆音が、そんな昔の恋愛の黒歴史まで思い出させてくる。


正直、歳を重ねたら、コミュニケーションが上手くなるものだと思っていた。
人間関係で悩むことは若さゆえで、経験を重ねれば悩むことも減るのだろうと。
しかし、全然そんなことはなかった。
相手や状況が変われば答えも変わるし、環境や時代が変われば正解も変わるのだ。

結局、子育ても、恋愛も、政治も、人とのやりとりはすべて同じだ。
どの言葉を選び、どう伝えるかを工夫しなければならない。
特に、ネット上でのやりとりが増えた今、それがさらに難しくなってしまった。
文字でのコミュニケーションは、さらに苦手だ。
伝え方に悩むのは、きっと私にとって答えの出ない永遠のテーマなのだろう。

選挙カーの音を聞きながら、私をメンヘラ呼ばわりしたあの彼は今頃どうしているだろう、などと思いつつ、目の前の仕事に戻った。

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