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価値観の違う人に無理に認めてもらおうとするから苦しいのだと気づいた

なんだか真理に気づいたような気分になり
するっと力が抜けるような気分だ。

ここ数ヶ月、価値観の違う人たちと話をして、
「お前の考え方はおかしい」「そんな考えを押し通すなら縁を切る」等と総スカンをくらっていた。

家族からである。

交際している人に対して、反対を受けていた。

わたしはアラサーで、相手はアラフォーだったので、
一般的にいうと結婚などを考えるわけであるが、
そんなわたしの思考に対して家族は全面的に反対、
いや、進めるなら縁を切ると言っていた。

(これについてはまたゆっくり書こうと思う。)

理由は相手の不安定な職業、
環境の違いや、
収入面などのお話で、
確かに、一般的には反対されるだろうという結婚話だった。

まだ、「娘さんをぼくにください!」の段階ではなかったが、
そうなる前に、反対をくらった。
(くらったという表現が正しいようにきこえるのである)

わたしはそれに悩み苦しみ、
その苦しみから
交際している人に怒りや悲しみをぶつけたり
時には抱き合って涙を流して悲劇の中を生きたりした。

そして、家族と縁を切るという選択は出来ず、
彼との別れを選んだ。

ぽっかり穴が空いたようだ、という言葉をつくった人はすごいなぁ、と心の底から思う。
そんな感じで、そんな表現がピッタリな今を生きて、
深夜まで仕事をしたりして、頑張っているフリをしている。(サボっているわけではないが)

そんな残業中、ふとこんな言葉が浮かんだ。

価値観の違う人に無理に認められようとするから苦しいと感じるのだ

と。

最近、寂しさもあるし、腹立たしさも感じることもあるけれど、

なんだか吹っ切れたような気分になっているのは、この所為なのかもと思った。


そっか、わたしは価値観の違う人に自分を認めてもらおう、認めてもらおう、として、
どうやったら認めてもらえるか、ばっかり考えて、
別れを選んでしまったんだなぁ、
と思った。

確かにそれも、自分の選択ではあるけれど、
なんだか違う気がした。

自分の選択とは、
自分が正しい、って、
今のわたしにとってはこれがベスト、って
心の底から思えて、
誰になんと言われようと、それでいく、って、
選択できた事なんだな、って思う。

そんな人生うまくはいかないのかもしれないけれど、

今後はそうしていきたいと思う。
生きたいと思った。


「いつからでもどこからでも変われる」


好きなアーティストさんから頂いた言葉だ。

すぐには無理かもしれないけれど、わたしは変わりたいのだ。

ひよこ

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