気遣うということ

だいぶ昔から、自分は「気ィ遣いィ」(=気を遣ってしまう人。大阪弁で読んでね)だと思っていたし、最近までそう思っていた(というかまだ思ってるかも)。でも、あれっ、ちょっと違うかもしれない?と思い始めている。

少し前に、上司と客先訪問をした時のこと。終わってお昼どこで食べるー?という話をしている中で、わたしは「相手が好きそうなもの」「この付近であまり歩かなくてよいもの」「自社に歩いていく途中のところ」などなど、自分なりに相手を慮った場所&効率の良い場所を考えて(いたつもり。)いた。

結果的に通りかかった客先付近のお店に入って、(そっかそっか、通りがかりの近いところの方が良いというのもあるよな〜)なんて思っていたところ、会話の中で上司が昼から在宅勤務をするという話が出てきた。

だから客先付近で探したのだ!と感じた時にふと、
昼から在宅勤務をするという話を朝方したことを思い出した。

その時わたしは
(アレッ?これが気遣いってことじゃない?)
と思った。

上司の、次行く場所を確認する。
その人が、どの線なのか、以前聞いた情報から引っ張り出してきて、
あぁここなら相手にとって(さらに自分にとっても問題がない)良い場所じゃないかな?と考えることが
気遣いがサラッとできるということなのだと思った。

なんだか慌てて、
相手のために汗をかいて(ときにはかいているふりをして)
ワタワタ、バタバタ、することが気を遣うということではないのだわ、
と当たり前のことにハッと気づいた瞬間でした。

20代前半はワタワタ、バタバタしていた。
相手のためになんだかワタワタ頑張ることが、相手にとって良いことなんだと思っていた。
でもそれは多分違う。それは自分がどう見られたいかの延長線上でしかないのだと。

とある日の、とある気づきのお話でした。

ひよこ



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