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石油資源と国際社会の関係


はじめに

 10月も終わり11月に差し掛かり、北極圏から北風が吹くようになると、人々は熱を欲しがるようになる。紀元前の人々は火を起こし、体を温めていたが、やがて産業革命を経て技術力が発達するようになると、人々は石油というものを欲しがるようになった。現在では、各々の先進国が中東を始めとする石油資源について、石油というものが国際的なものになりつつあるのである。では、なぜ石油がここまで世界に影響を与えたのか、そして国際社会に石油というものがなくなるとどのように変化するのかを物質の解説を含めて概観していこうと思う。

石油と原油の特性

 石油とは、炭化水素を主成分として、他に少量の硫黄や炭素・酸素など様々な物質を含む液状の油の一種であり、多くは地中の油田である原油から精錬したものである。また原油は油田の他にもオイルシェール(油質頁岩)オイルサンドなどからも採取が可能である。主な組成は炭素が83-87%、水素が11-14%、硫黄が5%以下、その他の元素は2%以下、比重は0.8-0.98である。しかし硫黄が0.5未満で軽比重のスイート原油や、硫黄が0.5以上または硫化水素が0.04mol%以上の含有量のサワー原油も存在する。前者は極めて種類が少なく、発見するケースは非常に稀だが、ガソリンや灯油、高品質ディーゼルなどにも使われ、主にカナダなどで発見される。一方で後者は、中東産やメキシコ産のものが多く、全輸出量の約5割を占めるOPEC加盟国だけでも、輸出によって2100億ドル以上を得ているが、スイート原油と比べるとサワー原油は液体燃料に精製する前に不純物を除去する必要があるため、そのための設備投資および処理コストが必要になるため、価値は低い。
これらが地中から採掘され、製油所で何百度にも加熱・蒸留され沸点の違いにより様々な石油製品となっていく。例えば一番低い20度の石油は、ライターやガスコンロに使われ、30度〜105度の間で蒸留された石油はガソリンに使い、105度から160度まで蒸留された石油はプラスチック、合成繊維、医薬品、化粧品などの石油化学製品の原料となる。160度から230度まで蒸留された石油は、灯油や飛行機のジェット燃料となり、230度から425度である石油は、軽油やヒーターの燃料となる。そして一番高い450度以上加熱した石油は重油となり船のエンジン源となったり、道路のアスファルトとなる。これらの石油は、現代人類文明を支える重要な物質であるが、膨大な量が消費されており、いずれ枯渇すると危惧されている。

石油の歴史

 原油の存在は、地中の油田から長い年月をかけて地表に湧き出てくることもあるため、その存在は有史以前から知られていた。当時は電気などがなかったため、照明器具の原料としても多く用いられていたり、建築物の詰め物や薬剤、防腐剤としても用いられていた。世界最古の石油資源として知られるのは、天然アスファルトとされている。紀元前3000年のころ、メソポタミアでは、地面の割れ目からしみ出していた天然アスファルトが、建造物の接着やミイラの防腐、水路の防水などに使われていた。紀元前1世紀ごろの記録では、石油を傷口にぬって血を止めたり、発熱をおさえるなどの万能薬として用いられていたと記されている。
 中世において最も大規模な原油として利用していたのはアゼルバイジャンのバクーである。地表だけでなく、35mの深さまで掘り下げられた油井から原油を採取していた。また、一方でヨーロッパもルーマニアのモレニ油田から石油が採掘され、ビザンツ帝国では、火炎放射器や焼夷弾として使われていた。しかし積極的に利用されていたとは言い難く、それどころか多くの国で利用の禁止さえされていたこともある。その理由については宗教や迷信も含めて様々だが、やはり最も大きい理由として挙げられるのは燃焼時等に発生する有毒ガスの危険性であると推測される。
 19世紀中頃、鯨油に代わって灯油がランプ油として利用されるようになってから、石油の利用量は爆発的に増え続けた。1858年にはルノアール・エンジンも発明され、需要が伸びるにつれ採掘の必要性が高まり、アメリカ合衆国のエドウィン・ドレークは、ペンシルベニア州に初の油井を建造、1859年8月に原油の採取に成功した。この頃第二次産業革命の時代であった世界は、石炭の需要が激増していた。それに伴い石油の利用方法も世界で確立されていった。ロシア帝国からヨーロッパ、アメリカ合衆国にかけて石油産出場が誕生していった。初期の頃石油は照明器具として鯨油の代わりに用いられていたが、石油は発熱量が大きく、ガスよりも輸送が簡単というメリットがあった。

石油価格は世界にどのような影響を与えるのか。


 1930年頃、英国はこの頃中東に多くの植民地を持っており、様々な国で石油を発掘し、大いに潤っていた。第二次世界大戦が起こると、需要が激増し、石油価格も跳ね上がった。戦後、アメリカはサウジアラビアと同盟を結んだ。サウジアラビアの安全を保障する代わりに石油利権を握らせてほしいという交渉であり、欧米企業と産油国とで利益を分け合う方針を固めた。例えばアメリカとサウジアラビアの企業の間では、石油の利益を50%に折半している。一方、イランは欧米企業の利権を握らせず、自国で開発を進めようとする動きも高まっていき(資源ナショナリズム)、英国企業を追い出し石油の国有化を図った。これに怒った英国はアメリカと協力し、国内でクーデターを起こし、イラン政府を転覆。結局欧米企業は石油利権を奪い返すことには成功したものの、このような動きはイランの反欧米感情を強めるきっかけにもなっていった。また、戦前ではソビエト連邦国内での石油資源が豊富にあることを理由に五カ年計画を始め、第二次世界大戦に向けた軍需製品を生産し、冷戦終了に至るまで石油採掘に力を入れていた。
 1960年、サウジアラビアやイラン、イラク、ベネズエラを中心に5カ国が石油輸出国機構(通称:OPEC)を結成した頃、その頃の石油の価格は1バレル3ドル未満であった。その後OPECの加盟国は北アフリカを中心に広がっていった。1972年、アメリカ合衆国は自国で採掘された資源だけでは国内の需要を賄えなくなり、外国からの輸入を始めた。英国は中東の石油市場から撤退し、中東の石油資源はイランとサウジアラビアが担うこととなった。アラブ諸国とイスラエルの第四次中東戦争が起きた後、OPECは石油を政治的な武器として活用し始めた。敵国イスラエルと仲良くしている西側諸国に対し、石油輸出を全面的にストップ。これにより、日本を含め石油価格は暴騰していき、経済的な大打撃を与えるオイルショックが発生した。各国は石油依存への脱却を図り、原子力発電、水力発電、石炭の活用などを推し進めた。西側諸国の石油会社は新たな油田を求めて探求した結果、北海沖合に新たな石油資源を発見した。
この頃オイルショックの影響を全く受けなかったソビエト連邦はアメリカを超え、世界一の石油保有国となるが、アメリカ合衆国もアラスカにて大規模な油田を発見し、石油生産量を増やした。1979年にイラン革命が発生。これにより、イランでの石油生産が禁止、OPECも石油価格を引き上げたことで第二次オイルショックが発生した。そのためイランとイラクの間で国境紛争が発生し、8年に及びイラン=イラク戦争が発生していた。OPEC非加盟国の石油産出量は増加し、OPEC加盟国の石油保有国30%を大幅に上回り、70%となった。これにより、石油価格はOPEC独自が決めるものではなくなり、需要と供給のバランスで決まるようになった。それでも中東諸国の情勢が不安定であることは世界にとって大きな懸念である。イラン・イラク戦争中双方がペルシャ湾石油施設を攻撃したことにより、欧米諸国は何艦ものフリゲート艦を派遣し、供給に損害が出ないようにしたものの、米軍はイラン海軍の攻撃を受け、護衛を受けた石油タンカーが破壊、原油市場の不安は、香港から始まった株価大暴落、ブラックマンデーに繋がっていった。この戦争は、イランの優勢で終結した。イラクは弱体化するとともにサウジアラビアやクウェートに対する負債を抱えた。しかし、イラクには強大な兵器と多数の軍隊がおり、イラクはクウェートに侵攻し、僅か半年で武力征服。この行為は国際秩序を乱すとしてアメリカ及び国連加盟国からの反感を買うこととなり、イランとイラクを敵対視するようになり、金融措置を課した。この頃サウジアラビアは産油国としての地位を高めようとし、世界最大の産油国となっていった。一方ロシア連邦でも石油産業への投資が盛んに行われるようになった。しかし、石油の価格が落ちてきたためあまり採算は取れなかった。1998年、欧米の石油会社が石油価格を高めるため、合併を始めた。その結果6つの巨大石油企業が誕生し、この6社はスーパーメジャーと呼ばれるようになった。中東には米軍が駐在していたが、その存在は新たな危機を引き起こした。イスラム原理主義者(タリバン)にとっては、イスラエルの同盟国であるアメリカ合衆国の存在が気に入らなかった。アメリカがイランやイラクに課した経済制裁は重すぎると反発する人もいた。こうして膨れていった反米感情は、同時多発テロ事件へとつながっていった。アメリカはサウジアラビアへの石油依存を脱却するため、新たな油田を探し求めた。その結果、ナイジェリアの沖合に位置するギニア湾で大規模な油田が発見された。アメリカは2003年、イラクに侵攻。反米的な首相であるフセイン大統領の石油利権を防ぐという目的とイラクが大量破壊兵器を保有しているのではないかという疑いから発生した。イランはインドや中国などの大国に通じる石油の販路を開拓した。世界中に潤沢な石油が供給され、先進国を中心に経済が発展していった。ウォール街の投資家たちが石油への投資を進め、価格高騰は進むものの、2008年のリーマン・ショックで石油価格は暴落し、不況に見舞われた。ベネズエラでは世界有数の埋蔵量を持つ油田が発見され、サウジアラビアに肉薄した。
 世界の石油需要が高まっていることから価格は再び上昇傾向にある。非在来型石油と呼ばれる新しい技術によって生産された石油も利益を上げるようになった。カナダとベネズエラは非在来型石油であるオイルサンド鉱床の開発に注力している。オイルサンドは地中にあるため大規模な森林破壊が行われる。更にその後の石油精製過程でも悪影響を与えるため、問題となっている。現在、沖合での石油採掘は全世界の産油量の3割を占めており、石油会社は更なる深海への採掘を試みている。そんな中メキシコ湾で、海上の石油採掘中に技術的ミスから天然ガスが爆発し、490万バレルもの原油が海に放出する大事故が発生した。アメリカでは水圧破砕と呼ばれる水の圧力を利用した採掘技術が発展したことにより、シェールオイルの組み上げを実現した。シェールオイルは地下の岩盤に挟まれる形で埋蔵されている。ここに超高圧の水を注ぎ込むことにより、周囲の岩盤を砕き、湧き出てきた原油を組み上げるのである。このような新しい採掘方法を確立した北アメリカは産油量が増えていった。
 世界最大石油保有国であるアメリカが石油を自給自足すると、中東の産油国にとっては稼ぎは減ることとなる。そこでサウジアラビアは、自己の販売する石油価格を下げることにより、アメリカで行われる高コストな採掘方法による石油事業の採算が取れなくなるようにしようと考えた。そこでOPEC加盟国にも石油価格を引き下げるように依頼した。そのためリーマン・ショック時のような石油価格の大規模な値下げが発生し、高コストな採掘方法では採算が合わなくなった。それでもアメリカはこの価格調整に抵抗し、石油生産を増やそうとしている。
 石油は豊富かつ安価なため、世界中で大量消費され、1日あたり1億バレルもの取引が行われる。運送業界で排出される石油は二酸化炭素の主な排出量となり、船の燃料として使われる重油はディーゼル燃料の3500倍もの硫黄が放出するため、深刻な大気汚染を引き起こしている。これに対し、欧米は一部地域の燃料消費を制限することで環境汚染を抑えようとした。サウジアラビアは政策が変わった影響により、近年大きな財政赤字が起きている。OPEC諸国は他の産油国と協力して価格の引き上げと安定化を求めた。世界で二番目の産油国であるロシア連邦も加盟し、OPEC+が結成された。一方でOPECに加盟していないアメリカは石油価格を低く抑え、経済成長を支えるために石油を増産し続けている。

世界から石油が枯渇するとどうなるのか

 2019年の時点で、全世界の石油可採埋蔵量は1兆7300億バレル、つまり2400億tと言われる。それに対し1日の石油生産量は1億バレルと言われる。可採年数は47年ないし48年。これを解釈すれば2066年〜2067年に地球上から石油が枯渇する恐れがあるだろう。しかし、原油はかつて海に生息していた植物や藻類が海底に堆積し、長い年月をかけて有機物が炭化水素へと変化するといわれるが、石油が存在する数百万年前の地層は当然地中奥深くに眠っている。そのため石油の埋蔵量を正確に推定するのは現在の技術力を持ってしても不可能に近いのである。また、技術の進歩により、以前は採掘できなかった油田から石油が採れるようになると、可採埋蔵量は増加する可能性もあるし、そもそも地球温暖化が進む中で世界はこのまま石油を使い続けるかという答えもない。しかしもし地中から石油が採れなくなったらどうなるだろうか?
 世界中から石油が取れなくなった瞬間、石油が使えなくなるかといわれれば、そうではない。世界の多くの国では万が一に備えて、石油を備蓄している。例えば日本では、多少の変動はあれど200日分の石油を常時貯蔵している。しかし世界中の油田で石油が枯渇すれば、人々はパニックに陥り、ガソリンやプラスチック、石油製品の買い占めに走る可能性は非常に高いだろう。実際に1973年のオイル・ショックでの原油価格の引き上げに対して、日本の中曽根康弘内閣は紙の節約を行ったものの、国内では紙の節約により紙がなくなるというデマが発生し、それに焦った国民がトイレットペーパーを買い占めるというような状況が起きていた。このような状況が起こると一般人の乗用車のためのガソリン供給が著しく制限されたり、石油を用いた医薬製品の製造も一時的にストップする可能性もある。しかも火力発電所で使う石炭や天然ガス、原子力発電所に使うウランなどの燃料はタンカーを用いて海を渡る。現在のタンカーは石油から作られる重油を燃料にしているものが多いため、燃料を発電所まで届けるには困難である。一方で、2022年ではトラックやタンカーを電動化する動きも見えており、発電量は大きな問題にならなくなる可能性もある。また、他にも石油は使えずとも、他の分子や原子から結合すれば石油の代わりとなるものを生み出せることもある。しかし電動化を推し進めると発電量が逼迫され、化学製品を製造するためには依然と比較にならないほど非効率で、エネルギーを多く使わなくてはならなくなるだろう。石油がなくなれば、おそらく世界は石油についてに関与せず、産業革命以前のように他の技術を持つようになるか。それか、新たなる産業の革新が行われると考える。

おわりに

 このように石油は国際社会に大きな影響を与えた他、料理、経済、医薬品、プラスチック、合成繊維、ゴムなど日用品の原料やモノにも影響を与えた優れものであるが、代わりとなる代用品は存在する。現在ロシアはウクライナとの戦争で、中東はイスラエルやパレスチナ、イランとの戦争で国際的な危機に直面しているが、この後の石油情勢はどう変化するのだろうか。今一度考えて生活してみると面白いだろう。

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