アイデンティティという難題に相対する-オガワジョージへのアンサー-
目に見えないもの。|オガワジョージ @L09jupeck #note #あたらしい自分へ https://note.com/l09jupeck/n/n7c3c67bf0db0
※本記事は上に添付した友人の記事への感想を述べたものです。ある種で言えば解釈だし、違う風に言えばアンサーです。
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誰もが、「自分が本当に今の自分で良いのか?」と自問したことはあるだろう。その問いは抱くと共に苦痛となり、それを乗り越えようとする力を苦痛から脱しようとする力が勝ることで、知らないうちに意識の範囲外へと消え去っている。何度も何度も現れながら、無力感のみを残して残酷に去る。
私にとっての[アイデンティティという難題]はそのような姿をしている。
もちろん、その難題に暫定解だとしても落ちを付けることが出来た人間はいるだろう。そして、そのような人間は皆オリジナリティのある思考プロセスを最大限練り上げ、それを駆使している。
個人的には記事で描かれたオガワジョージの葛藤はそのオリジナリティの育成過程を限りないリアリティを持って語ったものだと感じている。
その極めてこの記事から与えられた極めて個人的な言葉を次の三つの観点から述べる。
なお、その思考過程についての私の感動は述べるものの彼の結論に関しての言葉は述べない、私と彼のアイデンティティは違うからだ。
①人の心の混沌とした実像
②2人の自分の矛盾に向き合うこと
③その他細々と
①人の心の混沌とした実像
成功者がなぜ栄光を勝ち取ることができたのかを語るインタビューなどがある。私はそれを読むことはそこまで好きではない。リアリティがないからだ。
私にとってのリアリティは整然と因果の伴った文の上にはない。あーでもないこーでもないと何かを追い求める過程にこそリアリティはある。言い換えれば成功も失敗も伴った遠大な実践の中にこそそれはある。(この点を考慮すると今の私の文章にもおそらくリアリティはないだろう)
しかし、彼の落とした言霊は彼の思考による実践の軌跡がSFのような現実ではあり得ない表現、整然とはしていない文によってそのリアリティを描かれていた。
ああ、言葉は広いなぁ
②2人の自分の矛盾と向き合うこと
この世に実際に存在するものは全て矛盾を抱えている。存在することと存在しないこと、現実と理想などなど、無限に存在する矛盾を全ての存在ははらんでいる。
これは最近私が呼んでいる、西田幾多郎「善の研究」に述べられていた内容を私の解釈を持って解きほぐした、現在認めている真実である。
人一人を考えた際、その存在も矛盾をはらんでいる。理想の自分、現実の自分。その対比である。
(更に言うと理想の自分の中にも精査すれば望ましくない姿もあるやもしれない、現実の自分にもとても素敵な側面があるのは否定しきれない)
彼はその矛盾を認識し、現実の自分の姿を一部肯定しながらも、理想のため歩みを進めようとしている。
これこそが人の意思の発露ではないか
現実の自分自身を理想の自分自身と一致させゆく過程を今まさに彼は経験している。
その過程自体に彼は苦しんでいるようだ。間違いなく彼は苦しんでいる。だがいつか彼のその苦しみがいつか、慰めではなく歓びになることを願ってやまない。
③その他細々と
[難題に向き合う辛さについて]
アイデンティティの難題に向き合う際には、その過程は彼が述べるよう、ぐるぐるぐるぐると訳の分からない円環を繰り返すことから逃れようがない。
私たちはその苦しみを何の成長もなく経験して乗り越えていかなくてはならないのか?そう考えるとどうしようもなく絶望させられるようだ。
しかし、もしかしたらこうであって欲しいと思うことが一つ、それは「円環を繰り返す中で個人が認知し得ない何かの成長があるということだ」
彼の苦しみの奥底にそのようなものがあると、私は敢えて盲信したい。
[非通知の電話]
記事の中でどの時間軸かわからないがおそらく自分自身から非通知の電話のベルが鳴り、対話する場面が描かれる。
私はこの場面は、彼の中にいる精神の一側面からの叫びを彼が受け取っている所だと解釈した。
その内容については述べないが、彼は彼なりの思考のきっかけを掴み、何かの発想を掴めたのだろう。
きっかけを掴むことは、個人がその感性を鋭敏に待ち構えて、受け止める準備が出来てなくてはならない。
恐らく彼はその時、正に「半身」であることが出来たのだろう。
ここから得た仮説を一つ、人は何か個人的真実を知覚する際、すでにそのことを経験しているのではないかと言うことだ。経験は実践の中でしか得ることは出来ない。彼の実践を物語ったものだと感じた。
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以上
私はこのような文章を描く中で、感性で得た曖昧な観念に実像を与えることが出来たような気がする。
そのような機会を与えてくれた彼に感謝を述べたい。
あんがとございやす。