ハロウィーンの夜に思い出した、母の気持ち
私がハロウィーンという行事を知ったのは、漫画「ファミリー!」(渡辺多恵子•作)を読んだときだった。
まだ昭和だったあの頃の日本では、それほどメジャーではなかった。
あれから何十年経ったのか。
今や10月末になると世界中でカボチャのランタンが飾られている。
先日、ハロウィーン気分の高まった韓国で痛ましい事故が起きた。
ニュースを聞いてすぐに思ったのは、「日本でも起こりうる事故」だということ。
そして、現在東京で一人暮らしをしている長男のこと。
気になって長男にLINEしたら、「日中は出かけていたけど、もうアパートに帰ってきている」との返信があって安心した。
もともと長男は、そういう大人数で集まって騒ぐ場が得意ではないので、ハロウィーンの夜に渋谷にくり出すなんてことはしないだろうとは思っていた。予想通りだった。
韓国の事故のニュースを聞いてもう一つ思い出したことがある。
1987年4月に起きた、ラフィンノーズのライブでの事故だ。
私はその事故の約2週間前に、同じ日比谷野外音楽堂で行われていたライブを見に行っていた。
いくつかのバンドの演奏があるイベントだったが、私はそこでTOPSの演奏に圧倒された。
よしこちゃんとえり子ちゃんの電飾ジャケットが夕暮れに映えて、しっかり心を掴まれた。
その後の豪華なメンバーによるセッション(TOPSのよしこちゃんとえり子ちゃん、TOPSホーンセクション、ファンキー末吉さん、江川ほーじんさん、窪田晴男さん、アースシェイカーのマーシーさんなど)で幸せがMAXになった。
あの幸せの空間で、死傷者の出る事故。
私もショックだったが、それ以上にショックを受けたと思われるのが私の母だ。
その当時アパートの部屋に電話を引いておらず、週末に近所の公衆電話から実家に電話をかけていたのだが、開口一番に母に言われたのが「あんた、大丈夫だったの?」だった。
事故の数日前に同じ場所にいたからといって、同じような危険なことが起きるわけではないが、ただ母としては離れて暮らす娘のことが心配になったのだ。
私が行ったライブは、客層も前に押し寄せるタイプではなかったので、「タイプの違うライブだから、大丈夫だよ」と言ってその場は収まったように記憶している。
長男に送ったLINEの後、時間がたってから電話で話したが、「テレビでよく見る渋谷の混雑ほどではなかったけど、昨日行った所は人が多くて疲れた」と長男は言っていた。
「おれ、都会には向かないのかも」とも。
長男よ、東京に疲れたらいつでもこっちに帰ってこい。
次男に部屋を荒らされてはいるけど、あなたの居場所はここにあるから。
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