![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78672340/rectangle_large_type_2_14f9f5a2b3b73aa1f4ec426763e2a602.jpg?width=1200)
母親だって地雷を踏む
先日、次男の通う特別支援学校の運動会があった。
ここ最近、週明け休み明けの登校が困難になっていて、登校の際、車になかなか乗らなかったり、学校の駐車場に着いてもなかなか車から降りなかったりで、担任の先生を巻き込んであれこれ試しながら次男を校舎に入れることを試みていた。
そうかと思うと、あれだけ登校に難儀したのに翌日からはすんなり校舎に入って一日楽しく過ごしてきたりする。
授業が終わって放課後等デイサービスを利用する際、何かのきっかけでパニックになり暴れながら送迎車に乗り込み、施設に着くと落ち着いて過ごしたこともある。
何のアクシデントもなく終始ニコニコと笑いながらデイサービスや下校バスに乗ることも多いのだが。
暴れるのには次男なりに理由があるのだが、わりと些細な事だったりするので理由に気づきにくい。
例えば、小学部の児童の声が気になってしまってパニックになるとか(次男は聴覚過敏があり、小さい子の声が苦手)、次男なりのルーティンを邪魔されたりとか。
割とよくあるのが、週末に持ち帰るだけのはずの体育袋を友達に「あなたも持ち帰りなさい」と強要して断られたとか(次男は毎日持ち帰る)、上履きの持ち帰りを止められたとか(次男は毎日持ち帰る)、右の通路を通りたかったのに通れず左の通路を歩かされた みたいなこととか。
運動会の日、天気はどんより薄暗くて小雨も降り始めていた。
朝の全校一斉メールでは「運動会を短縮して行います」と書いてあった。
学校に向かう車中で、次男は初めは上機嫌だったが、だんだん不機嫌になっていった。
学校に着くと、駐車場で誘導されたのはいつもと違う位置。
次男を車から降ろそうと一旦開けたドアが隣の車にぶつかりそうだったので、反対側のドアから降りさせた。
駐車場から校舎に向かう途中で次男は爆発した。
朝からのいろいろな要因が積み重なった結果だろう。
最終的に、私が次男が想定していたドアじゃない方から降りさせたことが地雷となってしまった。
…というのに、後から気が付いた。
「親なんだから、子どものことは全て分かるだろう」という、外部からの意味不明の思い込みを、子を持つ親は押し付けられている。
それは、障害児であろうと健常児であろうと同じ。
分かるわけない。親と子どもは別の人間だから。
私は次男の考えていることを全て理解して代弁しているわけではない。
なんなら全くわからない。
全て、状況と表情と少しだけ発することばから推理しているだけだ。
次男のことについて、私が話すことは正解ではない。
「お母さん、どうなんですか?」と聞かれるたびに、私は「〇〇だと思います。状況から推理しただけですが」と答えるようにしている。
だって、本当のことだから。
もしかしたら、次男は全く別の原因で泣いたり怒ったり暴れたりしたのかもしれない。
でも、わからない。私はテレパスではないから。
もともと狭い空間に大人数がいる状況が苦手な次男は、体育館で短縮開催される運動会には参加できないだろうと、私も担任の先生も判断して、ことしの運動会は欠席することになった。
先生は、「悔しいなあ。せっかく学校に来ることができたのに」と言った。
ここで無理に運動会に参加させたところで、次男は競技に参加することもできずにイヤーマフごと耳を抑えて泣き叫んでいただけだろう。
他の子ども達や保護者達に迷惑をかけるだけだ。
開会式前に早退したのは賢明な判断だったと思う。
帰りの車で、家に近づくにつれて次男は元気を取り戻し、ケラケラ笑いながら帰宅した。
次男は玄関の戸を開けるなり、来ていた体育着を脱ぎ捨て、水筒に入った麦茶を一気飲みした。
いいなと思ったら応援しよう!
![ひやみん](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21203516/profile_5d4adddf83f79f9c425ffd4bb01e51e6.jpg?width=600&crop=1:1,smart)