noteの意図
このnoteを始めることになったきっかけは、とあるグループの話
京都で活動していたグループに、その公演や世界観を文章で伝える役割の人が居たらしい
その存在が一般の人にわかりやすく伝えていたのだそう
その話の中で、僕にやってみないかと声をかけてくれた
演出の庄は、親友で表現の深い話が出来る数少ない存在です
だけど僕はHIxTOで役割を見出せないでいた。作品にダンサーとして入れないでいた
でも、縁があるのなら何か形があるはずだと思っていた
そんな中でのこの提案は、すごく嬉しかった。
それに、彼とは感じていることが通じていることがあって、彼が言語化出来ないことを自分は書くことが出来ることがある
人はそれぞれ役割があるように、僕は振り付けが出来ない
自分がやりたいことで自然とマッチしたら嬉しい
もう少し落ち着いたら、マガジンに僕から見た庄波希を文章化して表現しようと思う
これは彼からの提案で、それを作品にしたいと言ってくれた
自分で自分を見れないし、自分のことを自分で語るのはクサい
それも面白いと思った。
コンテンポラリーダンスは、抽象的な世界過ぎて、相当な才能か吐出した表現でも無い限り一般の人には届きにくいように感じる
ダンサー側の伝えたいことがエゴイスティックだと、それも押しつけになる
世の中の需要と表現者側にとってwinwinな形はあるのだろうか
そこは、やりがいのある課題のように思う
辻田康平