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悲観的のち悲壮感

普段ではありえないことが起きた現実に躊躇
・加齢なのか?
・豪雪なのか?
・タイミング的なものか?
はたまた、
・元々そういう性質なのか?
(歳を重ねるほど親に似るというが)
その事実を中々自分の中で受け入れる事が暫く出来なくて
一週間が経ちようやく受け入れることが出来た。

原因は自分の思いと行動が裏目に出たこと。
悪い時は全てが悪い方に一方的に流れ、
その時の行動や判断を振り返ってみても何一つ良い事が無い。
怒りに任せて判断することは皆無だが、
思いに任せて判断することは多々有ることを痛感した。
私が懇意にさせて頂いている方々は
「あいつらしいな」で終わりますが
それ以外の方々は
「はっ?」「何やってんの?」「。。。」

一連の出来事に対して周りの反応に悲観的になり、
そんな気分の時に将来の事まで考えを巡らし
「俺、詰んでんじゃん」
絵に描いたような悲観論にとらわれた人になってました。
終始暗い気分になり、出口すら見つけようとしない精神状態でした。
そんな状態の時に何故か?一人ひとりに話をしようと決めました。
無意識に思い行動を起こしたわけですが、これが私に今足りなかった事で
「知らない」から「知る」の壁を乗り越えようとしている行動だと。
その時から、
・俺はこんなことで潰れない
・絶対生き残る
・こんなこと屁でもねーわ(藤◯◯風)

職場が変われば風土も違うし人や考え方や形式も違う。
指示待ちで常に待受で仕事を遂行出来たらって?
いつも思うのですが、そうは問屋がおろさない(苦笑)
自分の価値観が今は正しいと揺るがない自信でしたが、
それを頑なに貫き通す考え方が、何も考えない行為だと。
それは老害エリアにまさに第一歩を踏み入れた瞬間です。
それは、
今・事実・現実から目を背け自分の殻に閉じこもる行為なのです。

常にアンテナを張り、とにかく知ることが大切だと気が付きました。
私は蓄積された情報網を得て他人よりも情報を知っていると
自惚れていたんだと思います。
これからは、表面に表れない情報を「知る」行動を心がけたい。












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