
霞ヶ浦再訪・茨城の本屋さん・Xを「ツイッター」と呼んでいいか|12月15日(日)、16日(月)略箪笥
12/15
再び霞ヶ浦の前に立つと、僕は何かを間違えていたのではないかという気持ちになった。
僕たちは8月1、2日に牛久、つくば、土浦を訪れ、そしてその2日間をもとにして何回も渋谷や、ときには横浜で集まって文章を書き、読み合い、(主にさざわさぎさんが)レイアウトや印刷をし、文学フリマを訪れ、挙げ句の果てに死ぬまで交換日記をやろうと言い出したりしている。
12月の霞ヶ浦は静かに澄んで見えた。8月の霞ヶ浦がどんよりと濁って見えたのに対して。
静かな湖面を小さな舟がゆっくりとすべり、岸を釣り人や若者や老人が行き来していた。
僕たちの本は、旅の2日間を、旅でない膨大な時間を引き換えにして固着させたようなもので、一方で当の旅先である霞ヶ浦は顔色ひとつ変えずここにあり続けていた訳だ。
間違ったというのは言い過ぎとしても、変なことだとは思う。この、紙に印刷してある霞ヶ浦についての文章は、眼前の霞ヶ浦に対して何であるのか。
同じ理屈で、この本は地元の方を読者に想定したときに何であるのかということを考えないわけにはいかなかった。
この本は面白い本だが、面白い本というだけでは本を売る際の説明としては不十分かもしれない、というような話を運転席のさざわさんとした。
空はすっかり暮れて、遠くに見える山と空の境だけが赤い帯状に光り、道はそれに向かって続いているように見えた。
車内でそういうことを話したのは、今日訪れた本屋さんがきっちりと「説明できる」ような本を置いておられたからということとも関係がある。
「生存書房」さんは、僕たちが霞ヶ浦を眺めたところのすぐ近くにあった。
飾り気のない小さい入口をくぐって奥へ入っていくと、暖かい照明が焚かれた居心地の良い部屋に本が並べられている。
いただいた名刺は店主ご自身でカットされたそうで、そのことを謙遜しておられたけれども、店主の目の行き届いた本のラインナップやこぢんまりとした店構えを象徴するようで、簡にして要を得た名刺だと思った。

地元茨城に関する本はもちろん、戦争(特に太平洋戦争)関連の本が充実していたのが記憶に残っている。僕はつくばにある障害者自立支援の団体に関する本と、霞ヶ浦の環境や生態系に関する本を買った。

霞ヶ浦研究会STEP『ひとと湖とのかかわり─霞ヶ浦─』
次に、車を走らせてつくばの「本と喫茶サッフォー」さんにお邪魔した。駐車場内の狭いスペースで、さざわさんがアクロバティックな駐車をキメた。

キンカンのパウンドケーキとコーヒーをいただいて、とても美味しかった。僕は奈良原さんに「コーヒーが美味しいです」と言った。道中、コーヒーは飲まないとやってられんね、不味いやつだとしても、という話をしていたから。でも元来コーヒーが好きで飲んでいるわけだから美味しいコーヒーが一番いいに決まっている。
サッフォーさんでは、フェニズムとジェンダー論関連の本が中心に置かれていた。障害者の権利や当事者研究の棚に市川沙央『ハンチバック』が置かれていて、感銘を受けたというと大げさになってしまうかもしれないが、少なからず感心した。
多くの書店では『ハンチバック』は面白い小説という文脈で並べられているが、書店によって同じ本が異なる本の隣に並べられているということはいいことだと思う。異なる出会い方に開かれているということだから。
生存書房さんとサッフォーさんの本の置き方を見て共通していると感じたのは、現状への問題意識、それに「本を選んで置くことでその現状を変えていける」という信念のようなものだった。過去の日記で言及した「うっすらとした怒り」に近いかもしれない。
もちろん、何らかの問題意識のもとにやっておられる書店は他にも多いのだと思うけれども、生存書房さんとサッフォーさんはその問題意識が(例えば「小説」や「批評」や「読書」ではなく)現実社会に向いているのが特色だと思った。その共通点は偶然なのかもしれないが、同日に両店を訪れた僕としてはそれを茨城という土地と結びつけて考えてしまう。
茨城にどのような文化基盤があるのか僕は全く知らなかったし、今少し調べてみたくらいでは詳しいことはわからない。
少なくとも今日訪れた2つの書店はこれからの茨城の文化というものに大きな影響を持つことになるのだろうな、と思った。
生存書房さんには火を焚くZINEを置いてもらうことが決まって、楽しみでもあるし、不安がないと言えば嘘にもなる。何とか売れて欲しいし、読まれて欲しい。そして欲を言えばその感想が知りたい。茨城の人に届くだろうか。
『火を焚くZINE vol.1 つくば・牛久編』@hiwotaku_zine
— 生存書房 (@seizonshobo) December 15, 2024
を直接納品に来てくれた奈良原生織さんと略箪笥さん。
略さんが手にしているもう一冊は当店で購入してくれた霞ヶ浦についての本です(表紙の色合いが似ている)。 pic.twitter.com/SuuMXsCuv4
12/16
mixi2という新しいSNSがリリースされた。
mixiと言えば、mixiが流行り出す少し前にメールで一斉送信をしあってチャットのようなことをするのが中学で流行ったことを思い出した。キャリアによって一斉送信の宛先の上限数に限りがあるので、途中で送信先から漏れる人がいたりして、うっかり漏れるのはいいとしても、自分のお気に入りの友人の上位から選んで送るみたいなドラマがあったりして嫌だった。
クラスの中にちょっとエロい話を作ってメールで回している奴がいて、例えばエロあいうえお作文とかクラスでの浮いた話の脚色とか、とにかくくだらないものだったけどそういう才能は羨ましく思った。実在のクラスメートをネタにしていたし、当事者が傷ついて揉めたりしたから全然いい話ではないのだけど、下世話な話で(すら)場を盛り上げられない自分に対するコンプレックスがあったと言ってもいい。
芥川龍之介が猥談が得意だったとか、大江健三郎が子供の頃に人を集めて話をしていたとかそういう話を聞くたびに、話が得意でなかった自分には根本的なストーリーテリングの才能がないんじゃないかという気分になる。
とはいえ、人間は成長するし、能力を新しく獲得できるということを信じてやっていくしかない。
僕はmixi自体はやらなかったので、mixi懐古ネタはよくわからない。
mixi2は要するにツイッターの亜種みたいなサービスで、今のところ居心地はいいけれど、単純にユーザーが少ないということも関係していそうだからもう少し様子を見ないと何とも言えない。コミュニティ機能というものがあって、これのおかげでフォローしていない(知り合いでない)人の投稿を見られるのはいいと思う。ツイッターのおすすめと違って自分で選択できるし。
ところで「ツイッター」という呼称についてだが、イーロン・マスクが命名した「X」は気に入らないが、「ツイッター」は正式名称でないから…という理由で悩んでいる人を結構見かける。
僕の意見では、例えば「ファスナー」のことを「チャック」と呼んだり「ステープラー」のことを「ホッチキス」と呼んだからといって間違いとは見なされないように、Xのことをツイッターと呼んで間違いとは言えないと思っている。
厳密な正式名称が一つだったとしても通称はいくつもあっていいし、それは経営者が決めることではなく用例が決めるものだ。
だから逆に、公式ページなどでは潔くXと書いて、日常会話ではツイッターで通すというので何も恥じることはないと思う。
似た話で、よく理系の人がツイッターで「ORの定義はこれこれだから、牛肉か豚肉を買えと言われたら両方買ってもいいはず」云々と言っていることがあるけれども、ふざけるなよと思う。学問の方で言葉を借りているのであって、言葉は本来は話者のものなんだからでかい顔をする謂れはないはずだ。
さらに言えば、学問の中で作られた言葉であっても、それが話し言葉に吸収されたのなら権利は話者の側にあるとさえ思う。例えば「蛙化」は今非常に間違ったふうに通用している言葉だが、これだけ流行ってしまえば(嘆かわしいとは思うけど)現状そういう用法があると言うしかないと思う。
ただし、間違った言葉で学問の概念に触ろうとされたときは権利は学問側にあるのだから怒っていいはずで、微妙なんだけど、「蛙化」を心理学的な概念として使おうとして間違っているのはダメで、完全に日常語として「幻滅」というような意味で使われているなら諦めるしかない、と思っている。
諦めるというか、もちろん、「本来の意味は相手から好かれた途端に嫌になっちゃうやつだよ」と地道に訂正するのはいい行いで、そういう地道な努力や広告や文学や色々な力によって私たちの言葉は動的に形成されているのに、それを全部無視して「〇〇という言葉は本来こういう意味だからそれ以外の用法は間違いでーす! ここに書いてありまーす!」というような主張をするのは訳がわからないということだけを言いたかった。
だから、ツイッターという言葉も使ってしまえばいいんだよというのを結論としてこの日記を終わります。
略箪笥
京都出身。毎日水炊きを食べる。ソフトウェアエンジニア。引越しを検討中。
【「火を焚くZINE vol.1」販売予定】
◆2025年1月19日(日)文学フリマ京都9 @京都市勧業館みやこめっせ1F
【お取扱い書店一覧】
◆水道橋の機械書房さん(オンラインショップあります!)、梅ヶ丘の書肆書斎さん、吉祥寺の古書防破堤さん、百年さん、土浦の生存書房さんで販売中!◆BOOTHでのオンライン販売を開始しました!電子書籍版もあります。
https://hiwotaku.booth.pm/