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台所でリゼの『龍が如く』ゲーム実況配信を見てる|2月14日(金)略箪笥
リゼ・ヘルエスタというVTuberの『龍が如く』のゲーム実況を寝る前とか飯を作る間とかに見ている。だから、最近は日記のことなんかあんまり考えていなくて、男の生き様とかについて考えていた。
ヤクザ映画すらほとんど見たことなくて、去年podcastで話すために『県警対組織暴力』を見たくらい。『県警対組織暴力』は面白かったけど、まあ総じてヤクザという題材にはそんなに興味のない人生を送ってきたと言っていい。
題材の好き嫌いというのは結構でかい要素だと思う。すしさんが「背の高い草がたくさん生えている様子が好き」と言っていたけどそういう感じ。
僕は最近、文章を書くこととは・読むこととはどういうことかとか、そこにどういう意味があるのか(というのはつまり、良い=面白い文章とは何かということも部分的に含まれてくるけど)みたいなことを考えていたけど、結局好きなものが出てきたら面白い。
身も蓋もない言い方のようだけど、自分という容れ物に何を入れて生きていくのかという話だと思えばそりゃあそうだという話でもある。
僕がねちねち小説はどうの日記はどうのという話を(具体的な日記や小説を書いたり読んだりする以上に)しているのは、「言語芸術とはどういうものか」みたいな題材が僕にとって好きなものであるから、ということ以上のことを言うにはこじつけめいたことを考えるしかない。
日記なのだから具体的なことも書きたいな
『龍が如く』のゲーム実況はiPadで見ている。iPadを台所の端の方に立ててゲーム実況を流しながら豚肉と青梗菜を炒めたり、ベッドの隅に立てて流しながら寝たりする。キッチンとベッドを同一の物体が行き来することに抵抗を覚えないたちでよかった。
それにしても『龍が如く』は面白いな。何が面白いのかと考えると、何重にも張り巡らされたミステリー(Aのことを殺そうとしていたBを後ろで操っているのはCのはずだったが、その母体団体の意図は別のところにあり…みたいな)と暴力によるカタルシスが面白いのだけど、なんで面白く感じるのかと考えると別の話になる。
そもそも『龍が如く』を小説で読んでも多分僕は面白いと感じない。小説に対して僕が求めていることって、ストーリーを通しての謎の提示と解決みたいな部分じゃなくて、一文一文を読むことに喜びがあるかどうかだから。
というのはちょっとうそで、謎駆動の小説で好きなものがないのかと言えばある。奥泉光の諸小説(直近は『死神の棋譜』を読んでる)は謎が気になるからぐいぐい読まされるという感じがあるし、『三体』とかも、まあストーリーが気になるから、つまんないな~(面白い部分も確かにありましたが…)と思いつつも最後まで読まされてしまったし。
とはいえ、よっぽどのことでないと、ストーリーの力だけで読み続けていくということは僕はできない。奥泉光だって一文一文が読んでいて気持ちいいからこそストーリーを追おうという気持ちにさせてくれるわけで、『三体』に至っては話題の本だから読み切ろうという決意によって(だから小説の外側の力を借りて)何とか読み切った。(もちろんストーリーにかなり力のある小説だという前提でね)
小説(というかすべての娯楽とか作品)って面白くないと感じるより先に離脱してしまうことが多くて、作者は面白く書くだけでなくて離脱させないような工夫をする必要もある。
絶え間なく文章が面白いというのはその一つの回答ではあるけど、「読書好き」を増やす(それが読書である、ということが離脱しない理由になる)とか、作者自身に興味を持ってもらうとか、「重要なことが書いてある」と思わせるとか、手法は色々あるだろうと思う。
当事者性の強い小説は離脱しにくい。などと言ってみることもできる。離脱しにくいというとマーケティングの話っぽいけど、その小説を引き受けると決める、などと言っても同じことだからべつに露悪的なことを言おうとしているわけではない。
ほかにも、映画の場合は先にチケットを買っておくことによって上映時間内の離脱率を大きく下げていて、そういうやり方もある。
今思ったけど、じゃあもしかしたら電子書籍より紙の本の方が離脱率が低かったりするかな? 紙の方が「身銭を切って買った」という実感が湧きやすいから、通読のモチベーションになるかも。逆に、紙の本は読まなくても蒐集欲を満たしてくれるので、通読しないという可能性もある。
『龍が如く』に戻ると、まずはゲームであるということがデカい。自分の手で謎を解き明かしていく(と錯覚させてくれる)わけだから、サンクコストも大きくなるし、ストーリーを自分のこととして自然に引き受けていくことになる。
とはいえ自分で『龍が如く』のゲームを始めても離脱してしまうだろうなという気もする。ゲームという仕組み自体には離脱のチャンスが多いし、一度冷静になってしまえばヤクザ映画の方が多分作品としては面白いんだろうな、みたいに考えてしまう。ヤクザ映画のほうが面白いからといってゲームをやめる必要はないけど、僕にはそういうところがある。そしてヤクザ映画も見に行かない。
やはり僕にとってはそれがゲーム実況配信であることがデカくて、自分の好きな人間(好きだから配信を見ている訳である)が感情を大きく動かしながら(配信者というのはそういう芸なのだなと最近分かってきた)なにか喋っているというだけで、結構本能的に見ようと思ってしまう。
それは仲のいい家族が自然とリビングに集まるとか、友達が喋っていたら近寄っていくとかそういうのと同じ欲求なのだと思う。
他人の感情を見ているのが一番楽しいし、他人が良いと思っているものを見ているのが一番楽しい。
そういえばリゼ・ヘルエスタは月ノ美兎のことが大好きで、そのことによって僕も月ノ美兎のことが好きになったのだった。
なんだかんだ僕は人間が大好きなんだろうな(それ自体は僕にとってそんなに嬉しくない推測だ)。だからそういう、例えばVTuberのようなコンテンツがなかったら寂しくてやっていられなかったかもしれないし、かと言って実在の人間と本物の人間関係をやるのはコストがかかりすぎる。
そんなナヨナヨしたことを言っていたら『龍が如く』の登場人物の面々には鼻で笑われるだろう。言いたいことをはっきり言うこと。逃げないこと。責任を取ること。筋を通すこと。最後は暴力に訴えること。暴力に秀でたやつは良いやつ。全部『龍が如く』が教えてくれた。
ゲーム実況を見るばかりでなく、ゲーム上で人を殴るくらいのことは練習した方が良いのかもしれない。
略箪笥
京都出身。ゲームやアニメに触れずに育ったので、周回遅れで今すべてにハマっている。
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