私が自宅出産を選択した理由
【私が自宅出産を選択した理由】
毎月3日はお産の日
我が子が生まれるちょうど1ヶ月前の1月末の土曜日。助産師さんの働きかけで、味噌作りのイベントに参加することになった。このイベントは私の出産に対する気持ちを大きく動かすことになった大イベントとなるのだが、そのイベントを語る前に話しておきたいことがある。
自分で言うのもおかしな話ではあるが、2023年の12月は、妊婦とは思えないくらいがむしゃらに働き、何とか仕事を片付けて(やっつけて?)29日から産休に入った。(この話はまたいつか…?)
産休中の過ごし方もおいおい書くとして、味噌作りの一日前に、「いぶきの助産院」で『産婆SANBA』という自然分娩に向き合う妊婦と助産師を描いた映画の鑑賞会があった。鑑賞会の会場となった「いぶきの助産院」は私が分娩を手伝ってもらった「ぶどうの木助産院」と横の結び付きが強い助産院である。木の温もりが感じられる居心地の良い助産院で、自然分娩に特化し、快活な人柄の助産師小長井さんを慕ってたくさんの母子が集う。
予定日まで、あと1ヶ月と数日にもかかわらず、私はまだ分娩場所を決めきれずにいた。今でこそ自宅出産を賛美している私だが、間際になっても分娩場所を決められなかったのは今となっては笑い話(?)である。(ご迷惑をお掛けしました。)
ぶどうの木助産院は、出張型の助産院であり、分娩施設はない。助産院で産みたい場合は、横のつながりのある助産院を借りて斉藤さん(ぶどうの木助産院)に同行してもらい、産む。私が助産院で産む選択をすれば、「いぶきの助産院」で産むことが濃厚となっていた。どちらにせよ、大事がない限りは医療介入がない、自然分娩であることに間違いはないが、私も自宅で産むことには躊躇していた。
心配だった点は、いくつもある。何かあったときに本当に対応できるのか、アパートでも産むことができるのか(近所迷惑にならないか)、設備が不十分ではないのか、家や寝具など壊れたり汚れたりしないか、部屋が狭いが大丈夫なのか、衛生面は?…などと普通にみなさんが想像するような心配は一通り浮かんだ。しかし、どこか楽天的な性格もあり、これらの心配は浮かんでは消え、浮かんでは消え…とあまり考えないようにやり過ごしていたようにも思う。それ故に、決定打もなく、自宅か助産院かを決断できずにいた。そんなときに誘われた鑑賞会のイベントは、私に大きなインパクトを与えた。
以下が、鑑賞会後に私が回答したアンケートの言葉だ。そのまま載せる。
《お産のリアルを見て、感動と共にそれ以外の感情もたくさん湧いてきました。お産の怖さを言うことは、今まで控えていましたが、素直に表現できて自分でも驚きました。ネガティブなことを出していくことも自分を大切にすることだと、頭ではわかっていますがなかなか表に出すことを躊躇してしまう自分がいました。第三者の方にそういう部分を出して受け止めてもらえるかな?という怖さかなぁとも思います。これまでは、いろいろなことと向き合うことができていなかったし、やっと認めることができたようなそんな気持ちです。とは言え、この後、どうしたらいいかもわからないので、なるようになるとも思っています。》
この時の鑑賞会では、私のように妊婦さんもいたし、子連れのお母さんもいた。映画を観た後、互いに感想をシェアしたのだが、リアルな声に圧倒された。10代で妊娠し真剣に出産と命に向き合おうとしている子の話や、戸惑いながらも手探りで第一子の育児に当たる中で、関わり方に疑問を感じているお母さんの話を聞くことができた。皆、その時は不安を口にしていたが子どもに対する愛に溢れた話でもあった。『産婆SANBA』という映画がありのままを言っても良いと肯定してくれたから、自然なお産を通して全ての女性を丸々肯定してくれたから、参加者からもリアルな言葉が紡ぎ出されたのかもしれない。私も、皆の話に飲まれるように、言葉と涙が溢れた。アンケートに書いた言葉こそ、少しは意味が通るものになっているかもしれないが、その時は思いが溢れて言葉は辿々しく、何とも聞き苦しいものとなっていたと思う。でも、真剣に聞いてくれた。
私は、分娩場所を迷っていた。怖かったからだ。何もかも。どんな自分になってしまうのか、想像もつかないから怖かった。漠然とした不安をどう口にして良いかもわからなかった。とりあえず言ってみたら受け止めてもらえた。やっと、選択できる土俵に登った感じだった。
この日は、もしかしたらここで出産するかもしれないと「いぶきの助産院」の様子をたくさん見学させてもらった。ここならいいなと気に入った。
続く…