最近の記事

11月2日振り返り

第4チャクラがテーマ。 楽に生きるために呼吸している。 安心感は、共有していることに気付く(感謝する)ことで得られる。 人は環境に影響を受けやすい。ただ呼吸するだけ、瞑想するだけでもノイズ一つで遮られることもしばしば。 環境や状況に対して抱く感情は、自分で選択できる。 雨が降っている→どんより 雨が降っている→ワクワク 雨という現象をネガティブと捉えなくても、ポジティブに捉えればいい。 ポジティブな感情を取り入れるには、ネガティブな感情を全て吐き出すことが大切。(呼吸)

    • 私が自宅出産を選択した理由〜次世代に残したい安心安全な食生活を考える〜

      毎月3日はお産の日ということで、投稿している。 道の駅や路地裏などでよく見かける手作りの漬物。これが絶滅危惧種なのはご存知だろうか。 私も妊娠中、散歩の途中で無人販売を見つけると嬉しくて漬物や佃煮、野菜などを購入していた。 昔から引き継がれた地域の味は食べると元気が出てくる。 食品衛生法の改正で、手作り漬物の販売をするためには届出が必要になった。 漬物を作っていたのは、地域の高齢者が多い。届出は複雑で、許可が降りるためには設備を整えなければならない。住居とは別の製造

      • 宇宙の采配によって動き出した日

        毎月欠かさず、参加し楽しみにしてきた「直観リーディング」の講座を2ヶ月連続休んでいる。 私の最優先事項であるのに、休んでいるのは宇宙からの導きと言えると解釈している。 先月の欠席は、10年来の友人夫婦が初めて二人で健康をテーマに講座を開くというからである。興味はあったが、この講座に関しては直前までは断ろうと思っていた。 しかし、気付いたら行ってくると家を飛び出していた。 着いてからわかった。友人夫婦との久しぶりの再会はとても嬉しくそれだけでも喜ばしいことだが、どうやら私

        • 私が自宅出産を選択した理由

          【私が自宅出産を選択した理由】 毎月3日はお産の日 我が子が生まれるちょうど1ヶ月前の1月末の土曜日。助産師さんの働きかけで、味噌作りのイベントに参加することになった。このイベントは私の出産に対する気持ちを大きく動かすことになった大イベントとなるのだが、そのイベントを語る前に話しておきたいことがある。 自分で言うのもおかしな話ではあるが、2023年の12月は、妊婦とは思えないくらいがむしゃらに働き、何とか仕事を片付けて(やっつけて?)29日から産休に入った。(この話はま

          私が自宅出産を選択した理由

          #毎月3日はお産の日 (この文章は4月3日に書いたものです。) 最近は、めっきりコロナの話題が消え、次は小林製薬の紅麹の問題が盛んだ。これを薬害と言うなら(亡くなった方の命は重く尊い。)、コロナワクチンの薬害も報道してほしいものだ。ワクチン被害の国への申請は、1万件超え。認定されているものが6000件超え。被害が多すぎて審査に時間がかかり、総数は不明だ。もちろん、中には死者もいる。これまでの全てのワクチン被害の認定総数の2倍となっている。これをテレビで報道しているだろうか。

          私が自宅出産を選択した理由

          私が自宅出産を選択した理由④

          年始、お産の日の投稿をサボりましたが、今年も自分のペースでボチボチやっていきます。(noteの更新は、お産の日(毎月3日)でもなく不定期となるでしょうwww) シリーズものではありますが、どの投稿から読んでも楽しめるものになっています。 前置きはさておき、自宅出産は日本の文化です。たくさんの知恵が受け継がれ繋いできたものですが、病院出産がメインの昨今、分娩時に医療が介入しないお産を見たことがない医師も増えていると聞きます。自分の体験から自宅出産の文化を守っていきたいと感じた

          私が自宅出産を選択した理由④

          ムドラ全書実践①

          ムドラ全書が届いたので、物は試しということでやってみました。浮かんできたイメージも一部描いてみました。 1.カニシュタ・ムドラ 骨盤底は自分が思っているより下 これまでは、だいぶ上の方が(みぞおちあたり)が基盤だったと気づく 2.アナーミカー・ムドラ 左への傾きを修正するように右に意識が少ないのに気づく お尻の骨の設置面が増えるかのように骨盤を前後し、ちょうど良い位置を探す 位置が見つかると肩の力が後方に抜ける 自分が設定した溝落ち辺りより手の位置が下がる 背筋が首まで伸

          ムドラ全書実践①

          私が自宅出産を選択した理由③

          毎月3日はお産の日。 今回も前回の記事に続き、自宅での健診の様子を書いていく。 ・ ・ ・ ・ 「出産は生活の一部であり、病気ではない。」 まだ、ピンと来ない言葉ではあったが、この言葉はこの後、あらゆる場面で何度も実感することになった。 初診では、自宅で分娩に挑む家族の動画を見せてもらった。出産シーンを見るのは初めてのことで、自然と涙が溢れていた。正直、この涙の意味はよく分からない。こうやって生まれるのかー!という驚きと期待、感動、恐怖もあったと思う。頭が情報を整理でき

          私が自宅出産を選択した理由③

          私が自宅出産を選択した理由②

          毎月3日は、お産の日ということで私の妊娠生活〜出産体験を綴っている。 前回の投稿の続きであるが、この投稿から読んでもらっても構わない。興味があれば、前回の投稿を遡ってください。 「ぶどうの木助産院」での初めての健診は、電話から1週間後の9月の土曜日であった。つわりがちょうど落ち着いてきた頃である。 ぶどうの木助産院は、出張型の助産院で自宅に出向いて健診を行ってくれる。 「助産師さんはどんな方だろう。」「どんな健診が行われるのだろう。」…私たち夫婦は、期待と不安で浮ついた気

          私が自宅出産を選択した理由②

          私が自宅出産を選択した理由①

          私は2月の終わりに自宅出産をした。 その選択に至った経緯を書こうと思う。 私が妊娠したそのとき、世間はコロナ禍。コロナ慣れした頃とはいえ、まだまだコロナの話題に溢れていたし、マスク生活が続いていた。 コロナに対しては、ハナから疑ってかかっていた私は、この数年で生活が一変したことにやるせない思いを抱いていた。 本当にコロナが死に至る病なのか。そもそもコロナは存在するのか。調べれば調べるほど、「新しい生活様式」を選択するのではなく、「今までどおり」を選択しようと思ったし、も

          私が自宅出産を選択した理由①

          自然から学ぶ

          我が家には、今季バジルが育っている。 植える予定はなかったものだが、去年育てたバジルから自然に種が落ち、自生し始めた。 7月にバジルオイルの作り方を習い、あまりに美味しいだけでなく、薬効を感じたことから本腰を入れて手にかけることにした。 しかし、問題なことにベニフキノメイガという青虫が大量発生。青々としたバジルの新芽を狙って食べてしまう。葉に糸を絡めて巣を作り、バジルを味わっている。 今回のバジルは、全く農薬を与えていないため自然農法ということになる。だから、虫が付いた

          自然から学ぶ

          シルバニアの森の一角で

          あれから、作品をぼちぼち作っている。 気分はお店屋さんだ。シルバニアファミリーたちが住む森で、小さなアクセサリーショップをしているような設定。 屋号を考えた。今のところは、「Hiwairo」。これも気分で変わるかもしれない。笑 鶸(ひわ)という鳥は、おしどり夫婦なのだそう。シルバニアファミリーにピッタリ。 鶸色は、日本の伝統色でおめでたい色とされている。私は名前に「藍」の字が付くのだが、鶸色は藍から染色されるそう。 そして、今調べていて驚いている。色言葉はなんと「直観」だ

          シルバニアの森の一角で

          自分軸を取り戻す

          しばらくお休みしていた自分軸。最近、スイッチが入って目覚めたが、長いことおざなりにしていたから錆びついている。 最近は、相手に合わせて「それでいいよ。」とか、「どっちがいい?」とか、「何でもいいよ。」が口癖だった。口にする度、「あ、自分で決めてない…。」と心に刺さっていた。そのトゲトゲは、自分の中で眠る直観が出口を探してもがいていたんだなぁ。 私がやりたかったアクセサリーづくり。どうせ売り物にならないし、最初のコストがかかるだけ、無駄になるだけ…と言い訳をつけて避けていた

          自分軸を取り戻す

          直観すごすぎない⁉︎

          私の課題は、新しい一歩を踏み出すこと。受け入れること。 母の課題は、無条件の愛。 …だったよね⁉︎ 私が大好きな星読みの「石井ゆかりさん」。 苦しいときに出会って、そのときには彼女の言葉に幾度となく励まされてきた。思えば、彼女の言葉から大事なことは何かと直観を鍛えていたと言える。最近は、前向きでいることも増えたから頼らずにもいられることができていた。本当に困ったときに、ハッとして彼女の占いを見ることにしている。というより、そういうときは藁にもすがる気持ちで行き着くのはゆかり

          直観すごすぎない⁉︎

          無条件の愛について

          私はママに愛されて育ってきたと思っている。 数年前、結婚式の準備をしていて、幼いときのアルバムを見た。どの写真もいろんな人に抱っこされ、かまってもらい、自由に感情を表現していた私がいた。みんなの眼差しが温かった。その姿を見て、私は涙が止まらなかった。愛を実感した涙だった。 私の判断基準は、かなりママを軸に形成されている。別に強要されたわけではないのに、私はママのようになりたい(ならねば)と無意識で思ってきたのだと思う。 以下は、事実と(私の抱いてきた思い)だ。 ママは

          無条件の愛について

          やりたいことをやってみる

          直観リーディングの読書会をやってみて、最近やろうかどうしようか迷っていたことをやってみた。 ハンドメイドアクセサリーを作る。 まだまだ荒削りだけど、デザインが楽しい。 私はやりたいが先行しがちだから、とりあえず形にするまでは今日中にやりたかった。 試作ができたから、次はもっと精度の高いものを作りたい。 最初からうまくいくはずがないのに、自分の理想に辿り着けないとモヤモヤが続く悪い癖。 楽しんでやればいいのに、私は+αを課す。 自分を責めるのではなくて、夕方、直観

          やりたいことをやってみる