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阿部青鞋俳句全集を読む⑥
「霞ヶ浦春秋」は、阿部青鞋の第七句集(昭和54年発行)。序文に、古語で霞ヶ浦への想いや霞ヶ浦を想う歌五首が収録されています。
前回の「続・火門集」同様に、旧かなでかかれています。序文が古語で記述されているのをうけて、句も古語調で多く記述されています。
以下、感銘をうけた句をひいていきます。
螢火は螢の下をまづてらす
黒揚羽部屋の中にて休みけり
薄氷や泥を離れて泥を閉す
いちじくの一つとつぜん熟れもする
夏ごころ敷居のあぜに指触るる
れんこんの己れの腕と共に掘る
源五郎まで加はりて灯取虫
暑き日の肩を出したるからす貝
すべからくひるはくねりて泳ぐべし
静かにも円を合はせて梅みのる
いくつなるつもりの柱時計かな
陽炎は暗き鏡に似こそすれ
短か夜や水鳥の目が水を見る
朧ろ夜をしばらくわたくしして歩く
幹立ちは宗々しくて青嵐
最長の稲妻を見て世を愛しむ
われに向き植田にのこる足のあと
くちびるを結べる如き夏の空
にたにたと沖へ漕ぎ出す水ぬるむ
先にも述べたように、今回の句集では古語によって詠まれた句が多く収録されていたのですが、個人的にそれらの句にあまり惹かれるものが多くないなということに気が付きました。
おそらく、古語にすることによって、阿部青鞋句の特徴的な浮遊感がどっしりとしたものとなってしまったことが心惹かれなかった理由の一つとしてあるかもしれません。今回の句集は、今までの句集に比べると、句における漢字の量が増加していることも、浮遊感の減少につながってるかも。前の句集と連続して読んでいたこともあり、この句集だけが、異質にうつります。
この句集については、阿部青鞋の句集として読むというよりも、独立した句集として読むほうが、作品本来の良さが浮かびあがりそうな気がします。
また機会をみつけて、独立した気持ちで読み進めてみようと思います。(つづく)