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波多野爽波俳句全集を読む④
第四句集「一筆」は、昭和60年から昭和63年までの「青」に発表した句から375句抽いた句集。
あとがきに、
相変わらず「多作多捨」に徹して励んでいるが、これによって如何に技に磨きをかけ得るか、またどれだけよき出会い、偶然に恵まれるか、自力を超えた他力を引き出し得るかなど、道はなお遠いと言わざるを得ない。
とあり、これを踏まえながら、この句集で気になった句を抽いていきます。
昭和60年
胸の裡明かさずに去る茂かな
身を掻けば穢がぽろぽろと鶴凍てる
昭和61年
剪定の脚立の足の掻きし土
剪定のそつくり脱いで湯に浸る
竿秤置かれしところより干潟
豆腐沈む水の明るき夏書かな
レース着て寺の若妻気疎けれ
ソース壜汚れて立てる野分かな
髭剃りしあとに血の粒簗崩れ
昭和62年
玩具から電池とび出て蘖ゆる
雨雲の蛇々と連なる噴井かな
五山の火燃ゆるグランドピアノかな
尚毅居る裕明も居る大文字
蟷螂の飛ぶを見送る譜面台
秋草や四阿にある鼠捕り
昭和63年
桐の木を一本加ふ茂かな
猟犬はあるじのベレー帽が好き
アトリエに入つてならぬ冬紅葉
個人的に好きだった句、客観的な「写生」、ものやこともそうなのですが、人の「写生」が多いと改めて気が付きました。「写生」における取り合わせの妙なんかも。
客観的なものこと「写生」句、「剪定の脚」「桐の木を」あたり
人の「写生」句では、「胸の裡」「レース来て」あたり。
「写生」における取り合わせの妙だと、「ソース瓶」「五山の火」「玩具から」の句。特に、
五山の火燃ゆるグランドピアノかな
この句は、五山の火にグランドピアノが焚べてあるようで、衝撃的な一句でした。この前後の句群に、
尚毅居る裕明も居る大文字
蟷螂の飛ぶを見送る譜面台
とあり、音楽と五山の送り火が一体となった連作となっていて、非常に心惹かれました。おそらく「青」にこの連作が掲載されていると思うので、実際にどのような連作だったのか、確認したくなりました。
また、
尚毅居る裕明も居る大文字
の句は、波多野爽波の代表句の一つですが、この句は、
漱石が来て虚子が来て大三十日(正岡子規)
おそらく正岡子規のこの句をうけたものなのかなと。正岡子規の生涯をかんがえると、この頃から波多野爽波の体調があまり思わしくなかったのかなとかも想像してしまいます。(このあたりも「青」を読むと、当時の心境がわかるのかなと思っています。)
俳句雑誌「青」は、日本近代文学館にあるという情報を頂いたので、近いうちに訪問しようかと思っています。(つづく)
関連ブログ
ちーかまさんによる波多野爽波俳句全集の投稿は下記より御覧ください。