クライアントさんとの3回目のセッション「本当の欲望の前で降参する」
昨日、クライアントさんとの3回目のセッションを終えました。
彼に対しての「鏡」になって
自分に集中していただき、思う存分、嫌となるまでパターンを認識してもらう
セッションの最後にグルグルをやりきった彼は
「とにかく動きたい!」「行動したい!」「ワー!」と
音楽をやっていた学生時代の情熱が出てきた。
「目的は?」「そっちの方向で良い?」って確認して軌道修正はほとんどせずに自然に話して、ただひたすら、鏡になったり、反対側・真逆を務めるように居て
「お互いの違い」をぶつけていく
例えば、話題の中で
コーチングをいかに身近に取り組んでいくかというテーマについては
彼は純粋に人とその人の背景について話すことにワクワクしたり
自分と違い人との対話を通じて自分を知ることを求めているから
その視点で考えているが
対組織、対仕事に生かす考え方はどうか?
本業の仕事柄、関係部門や取引先、役員や株主など
色々な立場の間を取り持つことが多い中で
共通の旗を振り、ここを目指していこう!と持っていく
リーダーシップやファシリテーションに役立てていることが多い
彼に聞くと
仕事においてやりづらさを感じる時に
組織の仕組みとして改善のためのフィードバック・コミュニケーションという視点はない
結局「目的」ありきなのだ
そして「目的」は思考ではなく、感情・純粋な欲求。
それは何をしていても誰といても関係ない
本人も最後気づいていたけれど、
外側の誰かを納得させる理論や理由がなくても
コーチングでなくてもいい
「ただ、本音は怠惰でいたいのかもしれない」という欲求が出てきた
本当の欲望なんてそんなもんだし、それを認めて進めたらいい。
他者から肯定してもらって中途半端に満たすような誰かの養分になったり
洗脳の「わらしべ」に救いをもとめるのではなく
安心して自分に絶望したらいい
死なないことを知る
ダメな自分でいることが
そんな自分も生きることが誰かの助けになっていくから
ポンコツであればあるだけ、「ギフト」なんだと思う
彼と同じように、どうしようもない欲望は、私にもある。
その欲望は誰かにジャッジされるものではなく
ただどうしようもなく、ただそうなんだね、というものだ。
私の中で、どうしようもなく無力感を感じて
感情的になってしまうところは「女性」として外側で生きることだ。
これがどうしようもなく「苦しい」。
「女性として求められて、愛されて、生きたい」
こういう「女の子」の部分を、外の世界で、直接的に出すことはなかった
自分の心と向き合ってきた人には、
じんわりと伝わったり、感じ取られるものだったんだと思う
ずいぶん長いことどうしようもなく女の子な内面の自分を否定して、
認めてあげることができず、押し込めて
強さや力をつけて克服してきてしまった
男性に求めるものは、一通り、自分で身につけてきたけど、
そんなことしても欲求が満たされることはないから降参した
心の勉強をしてそちらもある程度は「自炊」しようとしているけれど
「女の子」の部分に居場所を与えて、「共感」でき、「行動変容」ができるから、こちらに徐々にシフトしているんだと思う
今のお仕事も得意だけど、
「女性性」の深い部分の心の欲求を満たすことはできない。
きっと同じように葛藤しているお仕事女性は沢山いる。
そんな女性の秘める女性性に気づいて、
自分の中の男性性を引き出す素敵な男性もたくさんいると感じている。
その経験を生かして、自分自身がトライアンドエラーしながら
私だから救える「克服型の女性(バリキャリが多いかな?)」をターゲットに友人の婚活事業をサポートすることも継続している。