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【書評】われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放され、他者を愛することによってのみ、自立を成しえる。『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』
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「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています。真の理解に近づく勇気を持ち合わせておらず、思想の向こうに広がる景色を直視しようとしないのです。
 
みなさんは哲学と宗教の違いを説明できますか?それは物語の有無だそうです。私たちは常識を疑い、自問と自答を繰り返し、どこまで続くかわからない道をひたすら歩いています。そしてある人は、考えることを放棄して歩むことをやめてしまいます。歩みを止めてしまうことを著者は「宗教」と呼びます。哲学とは、永遠に歩き続けることです。そこに神がいるかどうかは、関係ありません。そういう意味では「宗教」と名の付くもの以外にも、この定義に当てはまるものが多くありそうです。

恋愛にしろ、人生全般にしろ、アドラーは「運命の人」をいっさい認めません。人が「運命の人」を求める理由についてアドラーは、「すべての候補者を排除するため」だと断じます。「出会いがない」と嘆く人も、じつは毎日のように誰かと出会っています。よほど特別な事情がない限り、この1年のあいだ誰とも出会わなかったという人はいません。しかし、そのささやかな「出会い」を、なにかしらの「関係」に発展させるには一定の勇気が必要です。声をかけたり、手紙を送ったり。そこで「関係」に踏み出す勇気をくじかれた人は、どうするか?「運命の人」という幻想にすがりつくのです。目の前に愛すべき他者がいるのに。それが「出会いがない」と嘆く人の正体です。目の前の人をいきなり愛そうとするのはハードルが高いですが、相手に対して好奇心を持ち、暖かい目で見つめてみることなら、誰でも始められそうですね。

著者のアドラー心理学との出会いのきっかけは子育てだったそうです。大変な子育ての最中に友人に勧められたのがアドラーが書いた本。それからアドラー心理学を学んでいくうちに、「子育てとは大変だが楽しいものだ」と受け止められるようになり、子供との関係も劇的に良くなった。その変化を見たまわりのお母さん方からの相談に答えているうちに、「この教えをいろんな人に広めたい」と思うようになったそうです。

今この瞬間を生きる。これほど単純で、難しいことはないように思います。「集中しよう」と思えば思うほど、過去の後悔や未来への不安などの雑念がわいてきてしまう。そんなときは、自分ばかりに集中するのではなく、目の前の他者へ目を向けてみることが「今を生きる」ということへの鍵になってくるのではないでしょうか。



幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
作者:岸見 一郎,古賀 史健
発売日: 2016/02/26
メディア: 単行本(ソフトカバー)

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