画像1

書評_教育の裏に潜む人の業_ごう___いじめの聖域-_キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録

【書評】教育の裏に潜む人の業(ごう)。『いじめの聖域- キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』
00:00 | 00:00
決して一言では言い表せない複雑に絡み合ったボタンと紐の掛け違い。何故それが生まれるのか、に焦点をあてなければ、この問題は解決しないだろう。
2017年に自殺をした高校2年生、いじめに悩むメモ。第三者委員会でいじめを認定するも、学校は不服として受け入れを拒否。現在も法廷に両親が提訴(損害賠償と学校ウェブサイトへの謝罪文の掲載を求める訴訟)している。
両親の「この死を無駄にしたくない、風化させたくない」という思いが、物事を動かしている。いや、そういう声がないと動かない現実なのだ、と本書は述べている。

私学は公立以上に名声や評判が即に経営に響いてくる。教師の入れ替えは頻繁でなく閉鎖的な職場環境であろう。本書にかかれた学校の対応は遺族側の目線ではあるが、そういった背景を思わざるを得ない。学校としても膨大な対応をしているが、どこか、ん?と思うところがある。例えば読んでいて解せないのが、担任含め現場の先生には当人の遺書にある加害者が知らされていない、ということだ。氏名が分からなければ、個別具体的な指導は出来ない。自殺後の学校としての指導は生徒全体、クラス全員に対する総論のみになっていたのだが、自戒を促すのみで良いのかという疑問は残る。

人の命は重い。こうなってしまう前の予防策。こうなってしまったあとの再発防止策。そして独自性・自主性のある私立といえども学校教育の公益性・公共性をどう考えるのか、という構造を根本的に解決しないと、我々と我々の作る組織は変われないのではないか、との読後感に至る。

いじめ防止対策推進法という法律の枠組も出来ているなかでのこの出来事。本書がより多くの人の目にとまり、教育環境を家庭、学校、社会全体が自分ごととしてより良く再構築することが、我々の使命ではないだろうか。



いじめの聖域 キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録
作者:石川 陽一
文藝春秋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?