『どうする家康』第3回と、関ヶ原の戦い150通の手紙
大河ドラマ『どうする家康』
『どうする家康』第4回が放送されましたね。
まだ見られていないのですが、3回目までは見ました!
第2回最後の次回予告のなかで
「本多平八郎忠勝 討死…」ということばのあと、家康が泣くシーンで終わっていたので、はらはらしました。
山田裕貴さん演じる本多忠勝がいま気になるNO.1なのです。
今年は大河ドラマを見るチャレンジ。
続けられるかな~
NHKプラスで大河ドラマ関連のプレイリストに入っている動画もおもしろくて、このところ時代劇と歴史を調べることにハマっています。
『偉人の収入 How much?
戦国大名 徳川家康』
(NHKプラスでは1週間だけ無料のことが多くて、期間が過ぎたのでオンデマンドを貼っておきます)
関ヶ原の合戦
関ヶ原の合戦は天下分け目の戦いと言われているのですね。
日本史は高校で勉強したのが最後で、誰と誰の戦いなのかもすっかり忘れていました…
このとき、徳川家康ひきいる東軍は石田三成ひきいる西軍と戦いました。
徳川家康が味方を増やすためにやったことで、とても印象的だったのがたくさんの手紙を書いたことです。
ふだんは手紙をほかの人に書かせていたけれど、このときは直筆(全部かは不明ですが)で150通以上も書いたそうです。
どこから誰に手紙を送ったのか?
Wikipediaで調べてみて驚いたのは、書いた場所。
茨城、江戸、神奈川、三島、大阪などあちこちに居場所を移しながらから、各地から手紙を送っています。
同じ場所に留まって指揮をとるのかな?と思ったのでびっくり。
この手紙の影響もあり、最初は石田三成側についていた人達のなかに、徳川の味方をするものがあらわれるのですね~。
NHK 歴史探偵「北の関ヶ原 直江兼続と伊達政宗」
徳川家康が伊達政宗へ送った手紙にはこう書かれていました。
58万石から100万石の大名になれるという衝撃的内容がしるされていたといいます。
これもあり、『北の関ヶ原の戦い』では伊達政宗は上杉側から寝返り最上側(徳川家康の味方)へ。
そして、関ヶ原の合戦(本戦)では一日で徳川家康(東軍)が勝利することとなりました。
その後、伊達政宗の領地は100万石になったのでしょうか?
と、専門家の方が言っていました。
たしか独眼竜政宗という大河ドラマをかつて見たような気がしますが、 内容は忘れてしまっています。
遅刻した
たまにボロがでる
…ちょっぴり親しみが湧きました。
徳川家康は健康オタク?
米は○○の時刻に食べよ
過去の大河ドラマ『葵 徳川三代』の第1回だけ、NHKオンデマンドで無料(1/31まで)になっていたので見てみました。
関ヶ原の合戦がはじまるころは天候が悪かったようです。
それで家康は、
と伝令を出していました。
戦いのさなか、ご飯の食べ方の指示をしていたことにとても驚きました。
漢方
ほかの番組で見たのですが、徳川家康は長生きすればいつかチャンスがやってくるかもしれないとの気持ちもあり、自分の健康管理に気をつけていたようです。
漢方を学び、なんとみずから薬草を栽培しちゃう!!
それを煎じて漢方薬を作り、常備していたそうです。
こちらも面白いです。
子供が病気になったときにも、医師の薬をしりぞけて、自分の漢方薬を飲ませたというエピソードが書いてありました。
無事に快癒したとのことで、家康の知識は凄かったのだなぁと感心しました。
自分だけでなく、家臣の体調や健康も気遣っていたようです
家康のもとには、家臣が「お腹の調子が悪いのですが…」とか「子供の具合が悪いのですが…」と相談しに来たそうで、その症状に合う薬(自分が調合したもの)を分けてあげていたとのこと。
知識や道具も豊富ないまの時代でも、自分で薬草を栽培し、煎じて調合するなんて、なかなかできるものではないですよね~
戦国時代だったら、薬はもっと貴重なものだったと思うので、それを家臣やその家族にも分けてあげていたことに、ふところの深さを感じました。
狸親父
家康は狸親父と呼ばれることがあるそうです。
Wikipediaで徳川家康を調べると、別名の欄に『狸親父』と書いてあって面白いなぁと思いました。
まだ、なぜ『別名 狸親父』なのかは調べていないのですが、ただのふところの深い優しい人ではない何かがあるのでしょうか?
それは、これからの『どうする家康』のお楽しみにしたいと思います。