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自分のことをどれだけ書けるかやってみた‐その17

どうも、羊です。みな様、いかがお過ごしでしょうか?
このシリーズ、最後に書いていたのは2023年だそうで、気が付くと2025年なわけです。

普段、書いたものを読み返すという行為はめったにしない上に、だいたい書いたそばから忘れていくというスタイルなので同じようなことを書いている時もあれば真逆なことをさもしく綴っている時もあるわけです。
これがいいのか悪いのかわたしには決められない。
というわけで、ちょっと振り返ってみようと読んでみたら、整体の勉強をしていたわたし。その後、この勉強は資格を取得し、耳つぼダイエットも勉強し、資格取得。民間のものなので、ここから先は修行の道です。いざ、その分野へ!!とはいかず、今年は保育士試験を受けようと模索中です。

自分の現在地ってこんな感じかしら?
昨年よりパートを始めたことは何度かここで書いた記憶があるのですが、なんと、いまだにパート継続中。
児童発達支援員として日々、子どもと格闘中です。
正直、自分の経験のなさや、知識不足、懐の大きさ、向き不向きで言えば向いてなさ的な諸々の苦痛と闘いながらの仕事です。
わたしにしては頑張っている。そんなこんなで保育士試験に目を付けたのだけれど、わたしもそんなに若くはない。そうなのだ。変わってないようで老いは確実に背後から攻めてくる。

というのも昨年末よりどうにも体調がすぐれない。
自己免疫疾患やら膠原病、リウマチ等が疑われて血液検査をするもパッとしない。
漢方でちょっとはましになっているけれど…
不調というか未病というか、気持ちは元気なのだけれど、体が何か変なわけです。
おまけに、仕事中にケガもしまして…
と自分が思っているパワーと現実の自分のパワーの不一致からひしひしと年齢を感じることが多々ある日々です。

もう少し、いい年齢の重ね方をしたいものです。
まだまだ、手をかけてあげたい息子さんもいますし、これからやってくる思春期と反抗期のダブルパンチからの自立。
あちらの成長スピードの方が格段に速いので、振り落とされないようにいなければという焦りにも似た、切なさ。

45年、生きていればこんな心境になるんだと最近はふと思ったりしています。

他にもいろいろと思うことがあふれてくる出来事が最近ありまして、何となく自分についてよく考えています。

わたしは北海道で生まれ、育ちました。特に育ちは離島です。
走り出したら必ず海にたどりつくんです。ただただ、水平線が広がっているんです。船に乗って進んでいけば世界中どこへでも行ける。その先に広がる世界の中にいる自分を想像しながら育ったような子です。
だからなのか、ある意味ボーダレスです。自分と世界。周りを俯瞰して見るような視点を持つこともできたように思います。
なんだかいいような感じで書いていますが、要は想いを巡らすことぐらいしかできなかった幼少時代だったのかもしれないです。
そんなわけで、わたしは割と個性的に仕上がったのだと思います。
もっと行動力があったり、無鉄砲さがあったり、社交的だったりしたら、きっと面白い人生だった気がしますが、それはわたしが選ばなかった。
だったらよかったという憧れ的な後悔はあるけれど、今いる自分を否定したいわけではない。

先日、高校の時の友人から連絡があり、二十数年ぶりに再会したのですが、彼女はわたしとは真逆で、ずっと同じ仕事を続けている人。
わたしは何か一つのことをずっと続けることが苦手なので、そんな人を尊敬してしまう。多くの困難を乗り越えてもそれを続けているという強さを感じてしまう。
その彼女が会いたいと思う人にあっておかないと次に会えるかは分からないから、一年間、いろいろと会いたい人に会おうと決めて動いていたと話してくれた。その中の一人にわたしはいたのだけれど、そんな風に思って動ける彼女はやっぱり凄いのだと思う。
わたしは会っていなかった二十数年の出来事を話したのだけれど、
「年賀状は来るからどこかで生きてるのは分かってたけど、なんからしいね」と笑ってくれた。
瓜二つな息子の敏感さや偏食気味なところなんかもサラッと受け入れてくれた。
不思議なのだけれど、わたしを知る友人たちはみなわたしの息子の話を聞いても驚かないというのかわたしの子らしい。それでいいんじゃない。と受け入れてくれる。
きっと彼女とはまた20年後ぐらいに会うのかもしれない。
数は少ないがわたしはいい友人に恵まれていると思う。
友人といる時の自分が100%の自分かと言われればそうじゃない。たぶん50%ぐらいの自分しか見せてないと思うけれど、それで、いろいろと察してくれる人たちなのだと思う。

一人でいることが何よりもストレスフリー。
寂しさも、孤独感も、不便さも含めて、きっと一人が一番、気楽なんだと思う。

と今の自分と向き合ってみたけれど、
このまとまりのなさはもう、どうにもならないのだろうか。
最近、もしかしてわたしの脳内は他の人より忙しい?と思っています。
ぼーっと座ってますが、右と左の脳で別々のことを考えている感じが時々します。
閃きばかりで行動が追い付いていません。
話しながら書きながら考えるタイプです。
メモでもしておけばいいのだろうけれど、メモは苦手です。

ここに書いている時だって、集中はしていますが頭の隅では他のことが展開中。
これは集中しているのか?

ダラダラと書き進めていくのわたしには難しいことではなく、シンプルに手短にと削ぎ落としていくのは難しい。
生き方も文もどんどんシンプルにしていきたい。
とは言いつつ、物欲に悩まされ、うまく片付けができない。
なかなか捨てられない。
思う程には上手くいかない。
それでもまぁ、生きている。

それで良くない?なんて軽さもあったりする。
適当が丁度いい。

頑張ることも
頑張らないことも
みんな自分の匙加減。

意外とわたしはケセラセラで生きているかもしれない。

それもまたわたしらしい。

今日もぼんやりと自分の輪郭を描く羊でした。

あなたにHAPPYを…。


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羊
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