堤未果 著 100分de名著「ショック・ドクトリン」ナオミ・クライン 書籍レビュー
皆さんは「ショック・ドクトリン」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。
この言葉は、カナダ出身のジャーナリストで活動家、今世界で最も影響力のある政治思想家と呼ばれるナオミ・クラインが、2007年アメリカで刊行した書籍「ショック・ドクトリン」から、世の中にひろまったものである。戦争やテロやクーデターや自然災害が発生し、国民がショックを受け、通常の判断力を失っている間隙を縫って、通常では認められないような政策を、政治家、巨大企業、投資家が、屈託して、その政策を通し、結果、一部の利権者のみが巨額の富を得、大多数の市民が搾取や差別、暴力の犠牲になることを指している。
ナオミ・クラインは、書籍「ショック・ドクトリン」で、世界で発生した様々な社会問題の影の部分を、公文書や調査データを通して「ショック・ドクトリン」の文脈で解き明かす。そこには、にわかには信じがたい、社会の闇がある。
本書は、国際ジャーナリストの堤未果氏が、NHK100分de名著で、「ショック・ドクトリン」の解説を依頼され、そのテキストとして、書かれた書籍である。ボリュームのある原書の要旨をまとめ、さらに、日本で起きている「ショック・ドクトリン」に言及している。
それでは、「ショック・ドクトリン」が行われ始めた経緯について。1950年代のアメリカは、1929年のニューヨークにおける株価大暴落と世界大恐慌のショック以来、政府がきちっと規制して所得を再分配し、労働者の賃金と権利を守るべきだというケインズ主義が主流になっていた。
ウォール街の銀行家、投資家、多国籍企業群と株主は、この状況に強い不満を持ち、巨大な資金力を使って何とか別の流れを作ろう画策していた。
そんな中で、新自由主義、シカゴ学派の若き経済学者、ミルトン・フリードマンに白羽の矢が立つ。フリードマンの説く三大ドクトリン(規制緩和、民営化、社会保障費削減)は、彼らの利害と完璧に一致していたのである。早速財界から寄付金がシカゴ学派に降り注ぎ、企業側の見解を代弁するシンクタンクが立ち上げられる。さらに、贅沢な資金力を使って、シカゴ・ボーイズを全世界に増やすプロジェクトが開始される。
クラインは、この一連の動きを、フリードマンを広告塔にした「ケインズ主義に対する財界のクーデター」だったと指摘する。
そして、1973年、チリで世界初のショック・ドクトリンが実行される。1970年の大統領選挙で、社会党のサルドバール・アジェンテが当選。史上初の、自由選挙による社会主義政権の誕生である。政権は、国内最大の収入源だった銅山の国有化を進める。しかしこの選挙結果は、米国の多国籍企業群と投資家たちにとっては悪夢であった。
なぜならアジェンテ政権が国有化を公言していたのは、彼らが現地に子会社を持つ銅山や、米系電信企業ITTが大量の株式を持つ電話会社だったからだ。
痺れを切らしたITTは、当時アメリカ大統領だったニクソンにクーデター要請の書簡を送り、チリ国内の反アジェンデ派に100万ドルの賄賂を提供、同社とCIA、国務省が結託して進めるチリのクーデターが始まる。
陸海軍を率いたアウグスト・ピノチェト将軍率いるクーデター軍は、政府機関、大統領官邸を攻撃。大統領を支持していた市民は虐殺、拷問を受ける。チリ国民が、想像を絶するショックと恐怖で思考停止していたところに、新経済プログラムが次々と実行される。この経済政策を作成したのは、アメリカの奨学金制度で、シカゴ大学で教育を受け、シカゴ・ボーイズとなったチリのエリート学生ら。クーデター時には、チリの政界、財界で、主要な地位を占めていたのである。
公共サービスの民営化、価格統制の撤廃、国内市場の海外企業と投資家への開放。チリは、多国籍企業が国内資源を最安値で買い取る、草刈り場となる。自由貿易の解禁により、多くの国内企業が倒産。インフレ率は375%に上昇。公教育は解体され、幼稚園から墓場までありとあらゆるものが民営化され、「自己責任」が押し付けられた。
次に民主主義国でのショック・ドクトリンが始まる。そこは、サッチャーの英国であった。フリードマンに師事したサッチャーは、「インフレ解消」を公約に当選した首相であった。政府支出の大幅削減と高金利維持に貸し出し制限という「サッチャー革命」は、切り捨て労働政策による国内企業の倒産、失業者の倍増を生み出し、再選の危機に直面していた。ここに、1982年アルゼンチンとのフォークランド紛争が始まる。この紛争での勝利をきっかけに、サッチャー人気はV字回復。この機を利用して、ストライキを繰り返す労働者を警察により暴力的に鎮圧、さらには政府による監視が始まる。
作り出されたショック状態と生活苦のため、労働者はストを実行出来なくなる。サッチャーはショック・ドクトリンを実行する。
最低賃金撤廃と公営サービスの民営化が強硬され、国の需要インフラである電話やガス、空港や空港会社、鉄鋼や石油に最安値の札がつけられ、多国籍企業とその株主、銀行家と投資家に、”出血大セール”で提供された。
これを現代に当てはめると、金融危機や株式市場の大暴落、パンデミックや気候変動など、たとえ民主主義国家であったとしても、ショック・ドクトリンのきっかけは、たくさんあるのである。
多国籍企業と政府が結びつくことで、まるで株主が経営陣を動かすように、自分たちに都合の良い政策を次々と導入させて利益を拡大し、反対者を弾圧して黙らせるこのシステムを、ナオミ・クラインは「コーポラティズム」と表現する。
そこにもう一つ、私たちの誰もが知る国際機関が参入することによって、国家どころか一つの大陸を丸ごとターゲットにした大規模なショックドクトリンが可能になる。
1979年米国のFRBのポール・ヴォルカー議長が、当時10%になっていたインフレ率に対するショック療法として、金利の大幅な引き上げを発表する。80年代半ばまで続けられた、短期で最大21%という金利によって、米国では多くの企業が倒産し、債務不履行による破綻者が3倍に増加、景気が一気に失速する。
英米の国際銀行から変動金利で借金をしていた南米のアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、アフリカ等の債務国は壊滅的ショックを受ける。
これらの第三世界が頼ったのが、ショックドクトリンの新プレーヤー、IMF(国際通貨基金)であった。そして手を差し伸べてくれるはずのIMFを動かしていたのは、こうした危機をショック・ドクトリンに悪用するシカゴ・ボーイズだった。世界銀行とIMFの発言権は、各国の出資比率で決まる。ウォール街の投資家や銀行家などの国際金融資本が支配権を握れるようになった背景には、意思決定がお金で決まる構造があったからである。
1989年には、世界銀行、IMF、FRB、米国政府の4者合意により、救済する相手国に融資条件として出す「構造調整プログラム(SAP)」の基盤となる10項目、「ワシントン・コンセンサス」を発表する。その内容は、フリードマンの三大ドクトリン(規制緩和、民営化、社会保障費削減)を反映したものだった。
マネーショックで機能麻痺した国々に、IMFが融資と引き換えに新自由主義を押しつけ、民営化された国内資産を外資が底値で強奪していくという、ショック・ドクトリンの見事な連携プレーが確立されたのである。
その後、1997年には、欧米投資家が、タイから投機的な短期資金を一気に引き上げたことに端を発し、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国で、アジア通貨危機が発生する。IMFの構造改革によって、アジアの実態経済は破滅的な被害を受ける。
そして、ショック・ドクトリンは、共産主義陣営にも広がっていく。
鄧小平の中国は1国2制度を掲げ、経済はフリードマンの新自由主義を推進する。民衆の反発を元に発生した天安門事件を境に、中国共産党は、国民を恐怖で牽制し、経済の新自由主義が推し進められる。利益は、共産党幹部の子息と多国籍企業が、独占する。
ロシアでも、ソ連崩壊によって国民がショック状態に放り込まれる中、西側政府、IMF、世界銀行、国際金融資本などのシカゴ学派により支持されたエリツィン大統領を中心に、ショックドクトリンが行われ、経済は壊滅的な打撃を受ける。このとき、シカゴ・ボーイズと組んで莫大な利益を得たのが、ロシアの新興財閥だったオルガルヒである。
ショック・ドクトリンが世界に広がる中、本家本元のアメリカでは、新自由主義がさらに広がっていた。公共サービス(水道、電気、ごみ収集など)が、民間企業に売却、あるいは業務委託されていた。さらに、防衛の分野にも広がる。それまでは、政府は武器の購入は民間に発注していたが、基地などのインフラ運営も、民間委託にかわる。このプログラムを導入し、軍事関連の民間委託数を大幅に増やしたのが、ブッシュ政権下で、主席補佐官を務めていたチェイニーである。この中で、巨額の契約を勝ち取ったのが多国籍企業ハリバートン社。チェイニーは、首席補佐官退任後、ハリバートン社のCEOとして迎えられる。米国では、こういった例を、政府と民間企業の間の回転ドアが回ると表現される。アメリカでは、チェイニーに留まらず、政府と民間企業の間の回転ドアは、回り続けているのである。
そんな中、2001年、9・11同時多発テロが起こる。そして、民営化の弊害が露出する。民間に委託され、低賃金で雇われた契約社員がオペレーションする空港のセキュリティーゲートを、テロリストは、易々と通り抜けた。現場の救出作業中の消防隊と警察の無線は切れてしまう。有事の時にこそ機能しなければいけない国家、国民を守る仕組みが、脆弱化してしまっていたのである。
しかし、当時のブッシュ政権は、国民の恐怖感情を利用し、「愛国者法」という法律をスピード可決する。通常のアメリカでは通らない、国民への警察、軍、諜報機関による監視機能を強化するものである。そして、その治安維持のためのサービスを民間に外注する。
さらに、テロとの戦いは、時間と空間の制約をなくした。つまり、テロは、いつでも、どこでも起こりえるのである。
「対テロ戦争予算」という無制限の市場を手に入れたセキュリティー産業では、「セキュリティーバブル」が生まれた。
日本においても、東日本大震災後、復興特区法が可決され、被災地の農地や漁業権、住宅などを外資を含む大資本に開放し、金融、財政、税制など各分野にわたる規制緩和が導入された。宮城県の村井知事は、漁協の反対を押し切る形で漁業権を民間に開放、仙台空港(国管理空港)を初めて初めて民営化した。
そして市場原理を寡占化する障害の一つとしてターゲットにされているのが、多様性の象徴として日本経済を支えてきた中小企業である。コロナ禍での中小企業給付金は、安部政権時代の最大200万円から、岸田政権では、廃止され、融資のみとなった。
2021年に改正された銀行法では、銀行の出資規制が緩和され、中小企業を買収できるようになった。日本の有望な中小企業は、外資のターゲットになっていくだろう。
このように、ショック・ドクトリン(規制緩和、民営化、社会保障費削減)は、日本でも進行しているのである。
最後に、著者は、ショック・ドクトリンに打ち勝つのは「人間の知性」として、以下のような、文書を寄せている。
以上が、本書の概要である。
本書を通じて私が感じ、考えたことは、
・50年前から現在に至るまで、新自由主義の名のもとに、ショック・ドクトリンが、世界各地で行われていた事実。その実行に、国際機関までが、加担していたことに驚いた。
・そのカラクリを、事実の点と点を結びつけ、全体を俯瞰してみることにより、歴史の闇から、あぶり出したナオミ・クラインのジャーナリストとしての力量に圧倒された。
・”物事を俯瞰して眺め、本質をすくい上げる”ナオミ・クラインの思考方法は、現代を生きる我々が、自分自身の意思で、自身の行動を決める際の考え方のヒントになる。
である。
120ページのテキスト(書籍)には、濃密な内容が詰まっているのにかかわらず、手軽に読めるボリュームである。興味を持った方には、一読をお勧めする。世の中を見る目が、変わるかもしれない。