これからもずっと大好きでいるために、私に必要な文章
BUMP OF CHICKENのボーカルギター藤原基央さんがご結婚された。
この一文を書いてから、もう5日経つ。続きを書こうとするのだが、どうやっても途中で手が止まってしまう。頭の悪い文章しか出てこない。お祝いをちりばめた、かしこまった文章、私とBUMPとの出会い、思い出・・・まるでくだらないスピーチだ。どれもこれも、今私が書きたい事ではない。自分の文才のなさに嫌気がさして 消した。
自分が何を書きたいのか、実はよく分かっていない。自分の感情が謎のままなのだ。何を書いても嘘になるような気がする。書くのをやめようかとも思った。でも、この5日間、毎日私は必死で考えている。この感情は、何なんだろう、と。
仕事を終えて、夕暮れの空を見ながら歩いていると、いろんなことが頭に浮かぶ。8月24日の朝の事、CHAMAのツイートを読んで、震える手でイヤホンをスマホにさして、ラジオを聴いた。大騒ぎして、仕事に行って、一人になって、泣いて、ケーキを買って、写真を撮って、スマホの中の友達と、バカみたいにたくさん話して、はしゃいで、寝た。
ジェットコースターだと友達が言った。大きな感情のゼロと百に揺さぶられ、結果、自分は今、完全に平坦な場所にいる。凪だ。硬く、動かない、大地の真ん中で、泣きたいのか、笑いたいのか、分からないまま、立っている。
このままじゃ、前に進めないから、と友達は文章を書いた。素直な感情が、伝わってくる文章だった。別の友達はむき出しの感情を吐き出しながら、この現実を受け止めようと闘っている。才能にあふれた文章や絵で、思いを伝えている人たちもいる。
正直なところ、私は進みたくない。向き合うのが怖いのかもしれない。だから、平常心になれるように、自分の気持ちを凪の大地に磔にした。文章が書けないのもきっとそのせいだ。
でも、このままだと、私は新しい曲や新しい藤くんを受け取れない。私もきちんと考えよう。何度も言葉にしようとして、できなかったことを、もう一度、書いてみようと、思う。
『藤原が結婚しました』
そのニュースを知ったのは8月24日午前4時。目が覚めてまずスマホを開くのが習慣になっている私は、いつも通り目覚ましを止めながらスマートフォンの画面を見る。
CHAMAからのツイートが届いている。はじめの5文字が目に飛び込んできた時、まあ、ベタにあたりまえに、「夢かな」と思った。
『藤原が結婚』 ‐‐‐!!5文字の意味が頭に入ってきた瞬間、スマホの画面を開いてCHAMAからのメッセージを見る。意識が覚めると同時に鼓動がものすごく早くなる。なんなのだ、これは、どういう事なんだ?言葉の意味ははっきりと分かる。でも、感情がついていかない。Twitterが大騒ぎだ。
すぐ、震える手で、イヤホンをスマートフォンにさして、インターネットのラジオ( BUMP OF CHICKENのレギュラー番組、PONTSUKA!!) を聴く。いつも通りの4人のおしゃべりが全然頭に入ってこない。終盤、お手紙の宛先を読み上げ、最近はどうしていますか、なんていう、ふつうの日常の報告の中に、すっと差しこまれた、「結婚」という言葉。とても自然に、でもはっきりと、藤くんが言った
「オレ、結婚しました」
ああ、そうか、ご結婚されたのか。そうか、そうか、そうなのか。
よかった・・・藤くん、幸せになって、よかった。
すごい事だよね、おめでとう。
驚くことに、まず浮かんだ言葉は、おめでとうだった。大好きな人が幸せになった。喜ばないわけがない。本当に、嬉しい。BUMP OF CHICKENを知って、曲を作っている人が藤原基央という人だと知った時からずっとずっと藤くんが大好きだ。
大好きな人の幸せは、私の最大の願いだから、願いが叶って、藤くんが幸せになって、本当によかった。神さまありがとう、感謝。本当に、素直に、正直に、自然に、そう思った。
突然だけど、私は、藤くんの話し方が大好きだ。時に早口で、独特の不思議なゆるさのあるイントネーションで、ぶっきらぼうで雑なところもあるけど(そこも好き)一生懸命に自分の気持ちを伝えようとしてるのが、伝わってくる。ライブでも、ラジオでも、お話を聞くたびに、とても頭の回転が速くて、賢い人なんだなあと、尊敬してしまうし、あんなふうに伝えられたらいいのにとあこがれてしまう、世界で一番好きな話し方。あのね、とか、でもね、とか、語尾に「ね」ってつける所も好き。話し声も好き。歌う時とはまた違う、ちょっとかすれ気味で低くて、それはそれは耳に心地よい声、ずっと聴いていたい声、大好き。そんな藤くんの、声で、言葉で、こんなに親密な、大事な事を聞かせてもらえた。そのことがとてもうれしかった。
「声でね、自分の口から言えるっていうのが、それができてよかったなあ」と藤くんが言った。仰々しい場面でもなく、だれか他人の言葉でもなく、一番自然に藤くんが話せる場所(だと勝手に思っている)で、藤くん自身が自分の言葉で、声で、伝えようと思ってくれたことが、本当にうれしい。
信頼されている、大切にされている、家族のように思ってくれている。
信頼とか家族とか、だれかに大切に思われたいとか、私が心から求めているものを、いつも藤くんは用意してくれている。好きにならないわけにはいかない。やっぱり大好きだ。
藤くんが相手の人の事を話す。「すごい大事に思っている人」と言う。藤くんの言葉には、一ミリも嘘がない。藤くんがそういうなら、本当にものすごく、「大事」に思っているんだな、とフラットな気持ちで理解する。
まぎれもない 真実だ。これは。
「詮索などは控えていただくとありがたいな、と思います。よろしくお願いします。」
その控えめだけど、はっきりとした言い方に、藤くんの決意が伝わってくる。詮索されないわけがない、傷つけるかもしれない、そして、大切なものが傷つけられるかもしれない。藤くんは優しい人だから、きっと、たくさん考えて、いっぱい話をして、ありとあらゆる場面を想定して、その結果、本当の事を自分で言う事を選んだ。すごい覚悟だ。
なにがあっても、全力で、守るという、誓いが見えた。わたしたちへの信頼も伝わってきた。それだけ、藤くんにとって、大事な人なんだ、その人は。
すごいな、そんな人に出会えたんだね。
かっこいいな、藤くん、よかったね、藤くん。本当に、おめでとう。
短めの発表の後は、周りの人やリスナーへの感謝をたくさんたくさん話してくれて、これからも変わらず、音楽で伝え続けていきたいという決意も聞かせてくれて、最後は「まるでございます」とちょっとお茶目に締めくくった。そんなところも好きだと思った。
藤くんの言葉を全て、ノートに書き留めて、抱きしめるようにして、仕事に向かった。幸せだと思った。藤くんがとても近くに感じた。やっぱり藤くんはかっこいい、好きだ。そればかり考えて、仕事が手につかない。数分おきに、「ふじくん、けっこんしたんだ」と頭に浮かぶ、繰り返し、浮かぶ。自動的に、浮かぶ。
お昼休みまではあっという間に過ぎた。
ご飯を食べながら(お行儀悪いけど)CHAMAさんのツイートに寄せられた、藤くんからのメッセージをもう一度、読んだ。何度も繰り返し読んだ。
「かけがえのない大切な人」と書いてあった。
「かけがえのない」「大切な人」に、藤くんは、出会ったんだな・・・と思った。
私の大好きな藤くんが、たった一人の「かけがえのない人」に出会って、そして、その人と「一緒に」、「一日一日を精一杯生きていこう」と思ったんだなと理解したとき、突然、涙があふれてきた。おかしい。涙腺が壊れたのかと思った。
朝から、大好きな藤くんの声で、大切なお話を聞かせてもらって、ものすごく幸せなはずだった。結婚の報告をする藤くんの決意、覚悟、カッコよかった。惚れた、惚れ直した。藤くんの幸せを、心から嬉しいと思った。それは、まぎれもない真実で、自分の感情に嘘も偽りもない。
なのに、どうだろう、藤くんの幸せを喜ぶ気持ちでいっぱいのはずなのに、それとはまったく別の感情が涙を流している。
藤くんからのメッセージをもう一度読み直す。藤くんらしい、無駄のない、あたたかい、思いやりのある言葉。本当に好きだ。そう、大好きなのだ。
藤くんがご結婚をされた。
その報告にまつわる全てがとてつもなく愛おしい。BUMPのメンバーが何度も言うおめでとうも、藤くんが「詮索などしないで」とお願いするときに、口々に「お願いします」というメンバーの声も、本当に、本当に、愛おしい。
この人を、この人たちを好きでよかった。心の底から思う。
なのに、いや、だからこそ、もう一方の私の気持ちは、大きく揺れてしまった。
世界で一番、大好きな藤くんに、「大切」だと「すごい大事」だと思われている人がいる。当たり前だ、ご結婚されたんだから。そうか、そうなのか、結婚したんだ。
あの日から、この5日間ずっと私の頭に自動的に再生され続けている「ふじくん、けっこんしたんだ」という文字は、ボディーブローだった。事実を受け入れるための自動再生。何度も繰り返して浮かぶ文字が、ようやく、心に届いた。
『藤原が、結婚しました。』
普通だったら、好きな人が結婚をしたら、相手をうらやんだり、嫉妬したり、悔しかったり、悲しかったりするはずだ。もっと、黒い感情に自分をぶち込んで、心ゆくまで、汚くなる事もできる。
藤くんが、もっと、嘘つきで、いやな面がたくさんあって、そりゃ曲は素敵だけどね、そんなに、カッコよくないし、人間としてはどうなのよって人だったら、こんなことにはならなかった。私は、藤くんの相手の人の事も嫌いだと思えたし、藤くんのことだって、簡単に、もういいや、って思えたはずだ。他にもいくらでも、素晴らしいアーティストはいるし、かっこいい人だってたくさんいるんだし、藤原基央だけが人生じゃないんだし。そもそも芸能人だよ、アーティストだよ、私の物であったわけでもないんだよ。なにが、そんなに、悲しいのか、バカみたい、理解できないよ。
そんな風に思えたら、よかった。
思えるわけがない。BUMP OF CHICKENを知って、私の人生は大きく変わった。文字通り、'死にかけていた自分'が生きる力をいただいたのだ。
彼らの作る楽曲に惚れ込んで、体の一部のように聞きこんで、その曲を作っている人が、藤原基央という人だと知ってからは、藤くんは特別な人になった。お姿を拝見して、話す声を聞いて、ますます好きになった。
藤くんの紡ぎだす言葉が好き、ギターを弾く長い指と大きな手が好き、とがった唇と笑い方が好き、細い足首、広い背中、メンバーと話すときの楽しそうな声、思い出や普通の日常を大事にしているところ、人にやさしいところ、何もかも、全部が好き。
好きな思いを形にしたくて、何日もかけて絵を描いたり、文章を書いたりするくらい、私の人生の、大切な、光なのだ。失うわけにはいかない。なくしたら、私は生きてはいけない。くそ重くて、気持ち悪いくらい、感謝しているし、愛している。だから、私は、藤くんの全てを受け入れなくてはいけない。そうしなければ、藤くんを好きでいられない。
私にとって、「かけがえのない大切な人」が、「とても大事」に思っている人の事を、嫌いになることなんて、できない。
それでいい、私は、そうしたい。
だから、これからも、藤くんが大好きだ。
一度だけ言う。本当はとてもうらやましい。だって、その人は、藤くんに、こんなに大切に思われている、守られている。
言葉にしたくないけど、藤くんが、ただ一人の人を、ものすごく愛している、大事にしたいと思っている、だから、結婚したんだ、そういう事だ。
疑う余地のない 圧倒的真実
例えて言うなら、見渡す限り地平線の、何も遮るものがない場所で、
どんなに目を凝らして探しても、嘘は一つも見つからない。
そんな場所で、はっきりと、
藤原基央が 「大切だ」と 「大事に思っている人」だと
いうのだから、
本当に、ありのままに言葉のままに、そうなんだ。
もし、一生の願いが叶って、藤くんにお会いできることがあったら、心からおめでとうと言いたい。あなたに会えて、あなたの作る曲に出会えて、私は最高に幸せで、本当に大好きで、だから、あなたが幸せで、心の底からうれしいんだと、迷惑なくらい強い気持ちで、伝えたい。
藤原基央さま、ご結婚、本当に、おめでとうございます。
お二人の幸せを心から、お祈り申し上げます。
ずっとこれからも、大好きです。 (まるでございます。)
※引用先として、インターネットラジオ(BUMP OF CHICKENのPONTSUKA!!)と、BUMP OF CHICKENのベースCHAMAさんのTwitterを張ります。
https://twitter.com/boc_chama/status/1297607377697378304?s=20